脳内劇場☆HARAIYA☆
プロローグ
「いやあ、やっぱり全然変わってませんねえ。こちらは」
「いえ、国道沿いに大きなお店ができて、少しは便利になったんですよ」
「あら、来るときに見えたあそこかしら?」
《確かに変わってないな……》
両親と春華おばさんの会話を聞きながら、英二は昔のことを思い起こしていた。
三年なんてあっという間だ。
彼が今いるのは、見慣れた叶本家の客間だ。
青畳の広いお座敷で、中央に大木を輪切りにして作ったちゃぶ台がでんと鎮座している。
その足にはみっちゃんとイタズラしてつけた傷がまだそのままだ。
山桜の生け花が飾られた床の間には、山水画の描かれた古びた掛け軸がかかっている。
鴨居の上にはなんだか読めない文字で書かれた大きな額が吊ってある。
そして春華おばさん―――みっちゃんのお母さんは相変わらず優しそうだ。
みんな英二の記憶にあるとおり。
だが一つだけ違っていたのは―――すべてがひとまわり小さくなっていたことだった。
「でもまさかこんな早く戻ってくる羽目になるとは思ってませんでしたよ。あんな送別会まで開いてもらったのに」
「そんなの宴会の口実にしたかっただけですよ。佳太さんたちが戻ってきて、主人も大喜びしてますから。それでしばらくこちらにいられるんですか?」
「はい。当分こちらで勤めることになりそうです。ここの営業所の所長ということで。一応昇進なんですかね」
「所員は二人しかいませんけどね」
「おいおい。静恵~。そこは秘密にしとけよ。もう……」
英二は小学校まではこの九州の田舎町―――東磨で育った。
叶さんとは親戚同士で、ずっと家族ぐるみのつきあいをしてきた。年始やお盆、それにお神楽のときなどにはこうしてご本家に上がるのが年中行事みたいなものだ。
しかし今から三年前、英二が中学に上がる年、父が会社の新プロジェクトに参加するためこの町を出て都会に引っ越すことになったのだ。
そのときはもう戻れそうにはないからと、一家は住んでいた家も処分して不退転の決意で新天地へ旅立っていった。
ところがそのプロジェクトはあまりうまくいかず、わずか三年で規模縮小されてしまった結果、この春、彼らはこの東磨へと出戻ってきていたのだった。
「それにしても春華さん。あんな立派なお家、本当によろしかったんですか?」
「そうですよ。正直ちょっと破格値といいますか、ご迷惑をおかけしたんじゃ?」
「いえいえ。放っておいても借り手も見つかりませんし。人がいないと痛んでしまいますし。佳太さんたちに入ってもらえれば、こちらとしましても大歓迎なんですよ」
「やはり……みんな出て行ってしまいますか」
「ええ。まあ……」
地方都市というのはどこでも過疎化が問題だ。
この東磨も御多分にもれず“東磨神楽”と呼ばれるお祭りを除いては大した観光資源もない、ただの地方小都市だ。
そんな場所では良い職も少なく、町を離れていく者は多い。
旧市街の商店街ではシャッター閉めきりの店が前より増えているようだ。
バブルの頃にはその対策として川向こうの丘陵地を造成して工場団地を作ったりもした。
だが交通の便が良くなかったせいもあって、不況になった途端に入った企業は撤退して今ではゴーストタウン化していたりする―――典型的田舎町の衰退パターンだ。
「それで静恵さん、お加減はいかがですか?」
「ああ、それが本当に戻って来たら嘘みたいによく眠れるんですよ」
「やはりこちらは清浄ですからね。都会には良くないモノもたくさんおりますから。静恵さんってちょっと憑かれやすいから心配していたんですよ」
「……え? ええ」
「あはは。そうですね。こちらの空気がいいのは本当ですね」
場にちょっと微妙な空気が流れた。
母は目が少し泳いでいる。父は明らかに笑ってごまかしている。
春華おばさんはすごくいい人なのだけれど、少々こういうオカルトチックなところがあって、霊とかを信じていない両親とその点はそりが合わないのだ。
とはいっても叶家は東磨神社の宮司で厄払いなども日常に行っていたりする。そんな環境ではごく当たり前の話題なのだろうが。
それに実際、母が不眠症で苦しんでいることを聞いて、それが霊障なら東磨に戻ってくれば治ると言ったのも春華おばさんだった。
《やっぱ霊って本当にいるのかなあ……》
そんなことを考えていると、おばさんが英二の方を見た。
「英二君もずいぶん大きくなったわねえ」
「あ、はい」
「まだ絵は描いてるの?」
「え? はい。一応は」
「また見せてちょうだいね」
「はい」
英二はうなずいたが、内心は少々複雑だった。
彼は昔から絵が上手だったので中学の間は美術部に属していたりもした。
だが正直あまり人に見せたい絵がないのだ。見せればみんな上手だとは言ってくれるだろうが―――彼は自身の絵を良いと思ったことがあまりなかった。
《贅沢な悩みだとか言われそうだけど……》
世の中には彼よりはるかに下手なのに、絵を描くのが大好きだという人も多い。そんな連中を見かけると、正直すまないという気持ちになってくるのだが……
「それでは今日はそろそろこれでおいとましませんと」
父の佳太が立ち上がる。
「あら、もっとゆっくりしてらしたら?」
「手続きとかがいろいろありますので、こんど夜にゆっくりお伺いしたいと思います。秀一君にもそう伝えといて下さい」
秀一とは春華おばさんのご主人だ。
「ええ。お待ちしておりますわ」
おばさんはうなずいて立ち上がろうとして、再び英二の方を見た。
「あ、瑞希はお座敷の方よ。お神楽のお稽古をしてるから。見に来る?」
「え? あ、はい」
心臓がどきりと脈うった。
叶瑞希―――彼女のことを英二はいつも“みっちゃん”と呼んでいた。
彼女は本家の一人娘で、春華おばさんが父の従姉妹にあたるので、英二の再従姉妹という関係になる。
春華おばさんは立ち上がると英二たちに先だって歩きはじめた。
客間を出ると磨き抜かれた廊下が続き、外には見事な日本庭園が広がっている。
《これってやっぱりすごいんだよな……》
叶本家というのは東磨の名家中の名家だった。
物心ついたころから見ていたから大したものとも思っていなかったのだが、その邸宅は百年以上の歴史を誇る、少なくとも県の文化財級の建物と庭園なのだ。
今では中学校で京都・奈良への修学旅行というイベントをクリアしているから、眼前に広がった光景にどういった値打ちがあるのかはもう十分に理解できた。
昔よく、丁寧に畝を彫られた白州にみんなで足跡をつけては、怒った庭師の三郎じいさんに追いかけ回されたものだが……
《絶対ムリだよな。今じゃ……あはは!》
すべてが子供の頃から見慣れていた光景だというのに、なにかまるで別世界に迷い込んでしまったような、そんな気分だ。
やがて渡り廊下にくると、その先にはこんもりとした木々に覆われたご神山を背景に、これまた歴史的価値がありそうな別棟が見えてきた。
そこはなんでも“姫御殿”と呼ばれているそうで、本家の奥方専用の住居なのだとか。
ちなみにご神山とは山自体が東磨神社のご神体なのでそう呼ばれている。子供のころはよくみんなで入って遊んでは怒られたのを思いだす。
一行が近づくとその棟から笛の音がこぼれ聞こえてきた。
次いで彼らが見たものとは……
‼
英二は目を見張った。
そこには華やかな衣装に身を包み、軽やかな笛の音に合わせて舞い踊る一人の少女の姿があった。
優雅に、あでやかに―――そして力強く。
英二にはいま見ているものを言いあらわす言葉が浮かばなかった。
《一体……誰なんだろう? この子……》
代わりに心によぎったのはそんな想いだ。
それが誰かということは、理屈では理解できていた。
春華おばさんの案内で来たのだから、この少女がみっちゃん―――叶瑞希なのだと。
だが思い出の中の“みっちゃん”と、目の前の可憐な少女のイメージがまったく重なり合わない。
みっちゃんといえばいつも元気で、夏は真っ黒に日焼けしていて、外で泥だらけになってみんなと遊んでいて……
「瑞希ちゃん。きれいになったねえ」
父の言葉にその少女が軽く会釈する。
「まあ、高祖のおじさま。ご無沙汰してます」
それから彼女は初めて気付いたかのように横の英二に目を止めると……
「あら、英二君も、ごきげんよう」
「あ、うん」
そして―――それだけだった。
彼女はきりりと前を向いて再び舞いはじめると、そのあとは一度も英二に目を留めることはなかった。
《………………だめだろ。これって?》
思い知らされた。
三年とは―――短いようで永遠の断絶だったことを。
正直、彼女との再会にはちょっと期待していたのだ。
もちろんいきなり「会いたかった~!」なんて飛びつかれたりするのは無理だとしても、ちょっとはにかんだような笑みを浮かべて見つめてくれたり、赤い顔をして「ふんあんたのことなんて何とも思ってないんだからね」とか言ってくれたりとか―――ここに至るまではそんなささやかな夢想(正しくは妄想)に耽っていたりもしたのだ。
だがその瞬間、すべては綺麗さっぱり消し飛んでいた。
それを一言でいえば“赤の他人”だった。
彼女にとって英二とは、もはや庭の石灯籠と大差ない存在になりはてていたのだ。
残っているのは再従姉妹という遠~い親戚関係と、東磨名家のご令嬢にしがないサラリーマンの息子という事実。
すなわち―――彼女とはもう住む世界が違うのだということを。
始まりがあればまた終わりもあると悟った、高一の春だった。