100のお題・026. かいき(好きな漢字で)(別設定の千と千尋の神隠しより)

別設定のお遊び話・第2部恋人編

 

9・回帰

その2

 

ヒュルリ

頬を掠めて逃げ去っていったのは

この魔法使いからみれば小指の先で

ひねりつぶせそうなほど脆弱な物の怪であった。

すでに主が空となってかなりの年月がたっている

朽ちかけた祠をねぐらにしていたらしいそれは

しかし、人間たちからしてみれば悪鬼の類として

扱われるような存在で、それがいたが故に集まっていた

陰気は、いかな鈍感な人間たちにとっても

不吉な場所として認識されるに十分だったらしい。

神としての地位を失い、しかして

修行により魔力を得た魔法使いとして

再びこの地に降り立った白い竜は

かつて、自身が祀られていた社を

暗い目と皮肉げな笑みをもって眺めた。

山里近い森の中。

鮮やかだった鳥居の朱は、すでにその面影さえなく

根元はシロアリに食い荒らされ

ほんの一押しでばらばらに崩れそうなほど朽ちている。

常駐の神主がいたわけではなく、

近在の者たちによって管理されていた小さな社は

板葺きであった屋根はすでに抜け落ち、

ぐらつく柱に取り付けてある破れかけた格子戸が

風に揺れてギイギイと寂れた音をたてている。

本来神が宿るはずのお社は、当の昔に物の怪の住処と成り果てて

その気配の不気味さと、実際問題いつ崩壊するか

わからない危険性から、近寄るものとて一人もなく

河が埋め立てられてから、

長い間放置されていたのであろう。

琥珀主は、小さく肩を竦めると空っぽになった社を

無感動に一瞥し、その先へと視線を流す。

社の背後に続く小道は、冬枯れの藪に覆われ

道としての体裁をなさずにいたが

しかし、辛うじて残るかつての神威の残り香に

聖痕と言うべき一筋の光が残されている。

その光に促されるように、藪の中に躊躇無く

足を踏み入れた魔法使いの歩みに合わせて

丈の高い枯れ草は左右に割れて

隠されていた道を露にしていく。

そうして、彼が通り過ぎた瞬間、まるでその背中を

隠すかのように根元が分からぬほどの

荒果てた藪地に戻っていくのだ。

どれくらい進んだのか。

薄暗く密生した藪原が急激に開け、

森の中の陽だまりのような小さなくぼ地が現われる。

そうして、こちらも放置されてかなり年月がたっているらしい

小さな石の祠の前に来ると、魔法使いは静かに足を止めた。

 

とある山すそを分け入った場所。

草深い道なき道の終点に唐突に広がっているくぼ地は

僅かにじめつき冬の寒さに凍っている。

直径でいってもほんの数メートルのいびつな円形をしている

そんなくぼ地の外れにぽつんとある祠は、

『水神』と彫られた石の傍らに侘しげに佇んでいた。

「さすがにこちらは空のままか。」

そう、ここは、朽ち果てた社に祀られていた神の

真(まこと)のご神体と言うべき地。

つい10年ほど前には、滾々と清水が湧き出でる

小さな泉があった場所なのだ。

どのような日照りでも枯れたことの無い泉は

かつて、まさに命の源というべき

この竜が支配していた河の源流部で。

しかして、時を経て時代が移り変わり、

人間の命を守り育んでいたはずの

その小さな泉は用済みとばかりに

琥珀河と同時に埋め立てられてしまった。

 

魔法使いは祠を背に薄氷の張った地に腰を下ろす。

断末魔の叫びに怒りと苦痛を撒き散らし、

最後に生皮を剥ぐ様に人間たちの横暴によって

引き離されたこの場所は、

まさに神であった自身の呪いに満ち満ちていて

闇の眷属たちさえも怖じて住処と為せえなかったらしい。

いまだ、生々しく感じられるその時の思いを

抱きしめるように、魔法使いは泉の跡を見つめる。

 

「今ならば・・・」

 

そう、今の力ならばむざと河を失いはしなかっただろう。

地下深くから湧き出でる清らかな清水の源を

断ち切らせることなど許しはしなかったであろう。

 

「なれど・・・」

「なれど、そうなればそなたと再び

出会うことは無かったやもしれぬね。」

 

河の末期、すでに運命を予感して

自暴自棄に陥っていた自身を

ふと正気に戻した小さな幼子。

その輝きの見事さに思わず禁を犯して、

その身を救い上げたのが

神として最後に成した人間との関わりとなった。

そうして・・・

そうして、ありえぬ筈のあの出会い。

それは、暗闇に落ちていた自身を

救い上げてくれた一筋の光で。

 

「千尋・・・」

 

大切な玉を口中で転がすようにその名を呟く。

自身のものであった石の祠に寄りかかりながら

心はすでに目の前の失われた泉ではなく

自分の力で得たはずの光を追いかけていて。

夢幻(ゆめまぼろし)のように眼前に浮かび上がった光は

桃色の水干を身に付け栗毛のポニーテールを揺らしながら

魔法使いに向かって笑いかけている。

 

「我ながらよく、あの手を放せたことだ。」

 

小さく暖かかった手のひらを繋ぎ、不思議の町を

駆け抜けていったあの別れのときを思い出す。

次第に離れて行く手をどれほど引き止めたかったか。

しかし湯婆婆に八つ裂きにされることを覚悟してまで

光の中に戻してやりたかったのもまた事実なのだ。

微かに口角を上げぽつりと呟いた魔法使いの目の前から

輝くような光が次第に薄れ、黄昏のような

暗い光の中に別の夢幻が浮かび上がる。

それは、先程とは全く異なる表情を浮かべた少女の姿。

怯え怖じ驚愕に目を見開いて固まっていたその表情(かお)は

道理を忘れ、無理やりに花嫁にしてしまったあの瞬間の顔で。

魔法使いは大きく息を継ぐと瞳を閉じる。

 

「後悔はしていないよ。」

 

泣き叫んでいた声の可憐さに己の劣情までも思い出し

魔法使いは瞳を閉じたまま暗い笑みを浮かべる。

 

「あの瞬間、そなたは確かに我のものとなったのだから。」

 

神として失わざるべきものを失った竜は

同じことを2度は繰り返さぬとばかりに、

出会った瞬間、焦がれつくした存在に手を伸ばし、

思い出すことを待つこともせず、その純潔を散らしたのだ。

それからの日々。

いかにつれない態度をとられようとも、

根本にある絶対の安心は、まさにあの瞬間があったからで

竜の刻印をその身に刻んだ以上、

もはや逃れることなどできはしないのだと。

しかし・・・

つれなく、とらえどころの無かった千尋が

次第に心を開いてくるその幸せに、

立脚しているその最初の土台が歪んでいればいるほどに

言葉で言い顕すことなどできないほど心が揺らいで。

それは・・・

 

「そう、後悔はしていないけれど・・・」

 

昨年の夏、あの北の荒神の社での出来事を思い出し

魔法使いは、ぐっと拳を握って奥歯をかみ締める。

まさに『千尋』の海のごとく、千尋の思いの深さを思い知った

あの時以来、魔法使いの胸の奥底に硬いシコリが蟠っていて。

 

「後悔しているのは・・・」

 

そう・・・

後悔しているのは、そなたに相応しくない我の存在そのもの。

すでに現し世(うつしよ)の光の中に居場所が無く

闇の住人として、狭間の向こうで

生きるしかない異端な存在である我こそが。

人と神との婚姻はままあることなれど、

光の子たるそなたを魔法使いの妻として、

闇に繋ぎとめることなど・・・

 

「ああ、千尋。そなたに会いたい。」

 

そうして・・・

明るい日差しの中で煌くような笑みを浮かべ

手を差し伸べている千尋の姿を、

閉じた瞳で見つめながら、

竜の魔法使いは日が暮れるまでそこに座り続けていた。

 

 

 

おしまい

 

100のお題へ  別設定目次へ

 

 

魔法使いハク様、

いよいよ動き出したかと思ったら

うじうじと反省モードに突入。

ったく、ひねくれた直情型の男が

落ち込むと、うざったいったら。

 

というわけで、

かつての支配地を呪われた地にしてしまったのは

どうやら自分らしいよ、ハク様。

気前よく千尋を外国に送り出したのは

そんな自身の闇を千尋に見せたくなかったからかも。

傍から見てれば、今更なんですけどね。