別設定お遊び話第2部恋人編

 

3・よもすがら(お題・031より)

 

油屋の女部屋からはるか遠くに見渡せる

不思議の世界にあるとある町の

町外れの一軒屋。

ここは、かつて神であったと噂されている

魔法使いの家である。

若く硬質な美貌の魔法使いは

腕は一流であっても、その美貌と同じく

冷徹な男であり、刃向かう者には

情け容赦の無い力を振るうともいわれていて、

切羽詰りその力を必要として

この家を訪れる依頼人でさえ

その表情の無い瞳と目を合わせることを

避けているらしい。

そんな噂を信じているこの世界の住人には

今現在の魔法使いの顔など

想像の範疇外のことであろう。

若い竜の魔法使いは、その日そのとき

自室に掲げてある魔法の鏡の前で

動揺を顕に切なげな顔でうろたえているのだ。

 

その鏡はこの世界とは相容れない

人間の世界の

ある部屋を映し出していて、

もし、その鏡を覗くものがいたら、

そこに眠っている少女の姿を認めただろう。

そして、まじまじと見れば、

異変を感じたかもしれない。

時は夜。

なので、少女がベッドに

伏せているのは

不思議ではない。

しかし、よく見ると、

そのうら若い娘の頬は

不自然に紅潮していて

呼吸も心なしか苦しげであるのだ。

「ああ、千尋お願いだ。」

先ほどから何かを呟きながら鏡に写る娘を

指でなぞっている青年は

切なげに眉を寄せる。

少女が苦しげに寝返りを打つたびに、

熱いと息を漏らすたびに、

見ていられないとばかりに

目を固く瞑り、しかしそれも我慢できない

というかのようにすぐに鏡を覗き込む。

「わたしを呼んで。

千尋、千尋、お願いだ。」

そなたの許しがなければ、

結界を通り抜けられない。

祈るような言葉も隔てられた世界にいる

少女には届かなくて。

鏡の中の少女が咳き込んで

そうして、苦しそうに肩肘付いて起き上がると

ベッドからよろけながらおりる。

一歩ごとに息を整えなくては

前に進めないほど、

少女は熱に犯されていて。

美しい青年は聞こえないことを

承知しつつ、それでも声をかけ続ける。

「千尋、寝ていなくては・・・」

縋るように手を伸ばしても

そこにあるのは冷たい鏡の感触。

鏡は、少女が壁に縋りながら

階段を降り、洗面所に入っていく姿を

まるで目の前にいるかのように映し出す。

少女は、よろける様に棚につかまり

震える手でようやく箱を下ろすと

青い小箱をとりだして

中の錠剤を手のひらに載せる。

「千尋、だめ・・・」

なすすべも無くその錠剤を飲み下すのを

見つめながら魔法使いは、鏡に

手を伸ばしながら悔しげに唇をかんだ。

千尋が一人暮らしをすることになったあの日に

心配のあまりこっそりかけておいた

『招かれざるものを家から弾き飛ばす』

魔法が強すぎて千尋の許可がなければ、

かけた本人でさえ家に入れないのだ。

もっとも、そうでもしなければ、

つれない千尋への思いがつのるあまり

夜這い(!)をかけて、千尋の言霊と自身の誓いを

台無しにしてしまったかもしれない。

過去の所業もあることで、それは

自分ながら自分を信じられない竜の

自分への戒めでもあって。

しかし今日このときばかりは

それがあだになっていて、

病に苦しむ千尋の傍に

行ってやる事さえできないのだ。

 

どんなに、心細い思いをしているだろう。

ああ、千尋、今すぐ飛んでいって

そなたの体を抱きしめて安心させてやりたい。

 

少女は、薬とコップ一杯の水を

飲むと、再び壁を伝いながら

階段を上がっていく。

倒れこむようにベッドに伏せると

長い髪がベッドにふわりと散って。

そうして、そのまま動かなくなった。

「千尋・・・」

魔法使いは苦しげに眉を寄せる。

即効性のあるあの人間の薬は

確かに熱を下げてくれるだろうが

その分副作用も強いのだ。

 

あれは、毒だ。

早く吸い出してやらなければ・・・

ああ、千尋。

夢の中でもよい。

わたしを呼んでおくれ。

 

鏡の中の気を失っているかのように

動かない少女の紅潮した頬に

手を添えると、魔法使いはため息をつく。

そうして、夜もすがら

少女が自身の名を呼ばないかと

祈るような思いで見つめ続けたのだった。

 

 

さむ・・・い

まだ完全に夜が明けない暗い明け方。

千尋は、寒さに震えながら起き上がろうとした。

動いた拍子にずきっとこめかみが痛む。

頭痛は、夕べよりは和らいでいるものの

まだ熱は下がっていないようだ。

「・・・ん。起きてなにか食べなくちゃ。」

一人暮らしで一番大切なことは

自己管理で、体調を崩しそうなときは

睡眠と栄養を取って抵抗力をあげること。

そうして、完全に悪くなる前に

医者に行くなり、薬を飲むなりして

早めに治す。

そんな原則を無視していたわけではないけれど

アメリカに帰る母親を見送って

気が抜けたのか、本格的な風邪を

引き込んでしまったらしい。

母親のことを考えたとたん

空港での出来事も思い出し、

千尋は、熱のせいだけではなく

頬を赤らめる。

「はく・・・」

呟いたとたん、咳き込んでしまい

とたんに寒さが身にしみて。

 

うう、しんどかったお正月の最後が

これじゃあ、なんか情けないような。

とにかく薬を飲む前におなかに何かを

入れておかなければ・・・

 

そう思ってキッチンにたどり着いては

みたものの、お茶さえも入れる気にならず

千尋はだるい手で取り出した

イオン飲料をグラスに注ぐ。

コクッと一口飲んで気持ちの悪さに

それ以上は飲む気にならず

流しの中に流してしまうと洗面所に向かう。

「とりあえず、解熱剤を。」

夕べ飲んだ薬は思いのほかよく効いて

苦しさにのたうっているうちに

いつの間にか眠ることができた。

医者に行くにしても

ちょっとは動けるようにならないと・・・

 

ピンポ〜ン

 

突然のチャイムにビクッと立ち止まる。

まだほの暗い冬の早朝。

こんな時間にドアの向こうに立っている

相手は一人しか浮かばない。

ゆっくりと台所に引き返し

インターフォンのボタンを押すと

予想通りの声がして。

「千尋、ここを開けて。」

「はく。・・・早いのね。どうしたの?」

「体調が悪いのだろう?

一人でいてはだめだよ。

どうか、入れておくれ。」

「ど・・して・・?」

分かったの?という問いにすぐ答えが返る。

「さっきわたしを呼んでくれただろう?」

・・・ああ、なにかあったらすぐに名前を呼んでと

いつも言われていたのだった。

そんなつもりではなかったのにと思いつつ、

それでも本当に来てくれたことに嬉しさがこみ上げる。

震える手でドアを開けたとたん、

顔を見上げる間も無くぎゅっと抱きしめられて

そのまま、ふわりと抱き上げられてしまった。

それからは、あっという間で。

千尋は再びベッドの寝かされて

これを飲んで、といわれるまま

赤い小さな丸薬を口に入れる。

「噛んで、飲みなさい。大丈夫、苦くはない。」

・・・まるで、あのときみたい・・・

チラッと笑いながら言われるまま飲み下す。

はくも、思い出していたのだろうか、そんな千尋を

見ながらほんのり笑みを浮かべていて。

「大丈夫か確かめたい?」

触ってごらん、といたずらっぽく差し出された手のひらに

布団を握っていた手をそっと持ち上げ触れてみる。

その白く美しい造形からは、思いもかけないほど

力強くて優しくて、そして暖かい感触。

どこか夢ではないかと思っていた千尋に

確かに現実であることを実感させるような。

はくはおずおずと触れる千尋の指を

離さないというかのように握りこんできて

顔を傾け小さな指に口付ける。

そうして、布団の中に手をしまうと

じっと見つめている千尋にゆっくり顔を近づけて

そっと額に唇を落とした。

熱ばかりではなく頬を染めた千尋に囁く。

「すぐに、熱が下がるよ。ひと眠りしなさい。」

「はく、傍にいてくれる?」

かすれた声に優しい笑みが降ってくる。

「もちろん。さあ、目をつぶって。」

白い竜の魔法使いは、千尋の髪に

手を添えると頭をゆっくりとマッサージする。

その手の心地よさにいつの間にか頭痛も

遠ざかって、千尋はゆっくりと眠りに落ちていった。

 

「はく、ありがとう。」

ベッドの上に上半身だけ起き上がり、

はくがかけてくれたカーディガンに

手を通すと、手渡されたマグカップに口をつける。

ひと眠りしてすっかり気分もよくなり、

もう大丈夫と起き上がろうとしたら、

まだダメだよ、と

ベッドに押し戻されてしまった。

甲斐甲斐しく世話を焼かれて、

嬉しいような困ってしまうような

複雑な思いに、困惑する。

それでも、まるでふわふわと浮き立つような

甘やかな思いも確かにそこにはあって。

千尋はカップごしにはくを見つめる。

いつものように美しい翡翠の瞳には

まるで油屋で千尋の世話を焼いてくれたときのような

慈愛にあふれた光に満ちていて。

「はく。」

「なに?何か欲しい?」

「ううん。呼んでみただけ。」

そう言って恥ずかしげに目を伏せてしまったから、

そのとき翡翠の瞳に点った切なくて

そして熱情に満ちた光に気付くことはできなかった。

寝たり起きたり

はくの作ってくれたおかゆを食べたり

これまたはく特製の薬を飲んだりして

ゆっくりと甘やかされて過ごすうちに

夜には、すっかり熱もひいて

病の邪気も退散したようだ。

ベッドに起き上がっている千尋の

額に手を当てながら琥珀は

安心したように微笑む。

「もう大丈夫だね。」

このまま今晩一晩ぐっすり眠れば

明日には全快するだろう。と。

「うん。はくのおかげね。ありがとう。

風邪が移っていないといいのだけど。」

「そのときは、そなたが看病してくれる?」

「もちろんよ。」

琥珀は無邪気な笑顔に苦笑しながら

そっと柔らかな頬に手を伸ばす。

「冗談だよ。竜は丈夫で病の気など

近寄ってこないから。」だから心配しないで。

そう言って、名残惜しげに手を離すと立ち上がる。

「帰っちゃうの?」

「そのような顔をしないで。

帰りたくなくなってしまう。」

「だって・・・」

寂しげに眉じりを下げている千尋に

琥珀はふっと真顔にもどる。

「わたしの忍耐にも限界があるからね。」

これ以上、そなたの傍にいると

高校卒業を待たずにそなたを

この世界から連れ去ってしまいそうだ。

耳元で囁かれた言葉に一瞬意味が

分からなかったのは、千尋がすっかり

10歳のときに戻ったような気分でいたせい。

とたんにうろたえる少女を切なげな目で見つめると、

琥珀は静かに背を向ける。

 

「はく、ありがとう。」

今度のありがとうには初心な千尋が

やっと琥珀の胸に篭る熱情と、そうして

自身への自制に気付いたことを示していて。

もしこのとき琥珀が振り返っていたら

千尋の言霊の呪力など

砕け散ってしまっていたかもしれない。

千尋は、静かに立ち去る琥珀の背中を見つめる。

まるで、自分の胸の高まりが抑えきれない

というかのように両手で左胸の上を押さえながら。

その潤んだ瞳に宿した色を自覚しないまま。

千尋の言葉に振り返らずに頷くと

琥珀は意志の力を動員して

ドアのノブに手を伸ばしたのだった。

 

静かに閉められた自室のドアの音に千尋は

ふっと力が抜けて、ベッドにポスンと倒れる。

改めて恋人に言われたことを思い出し

顔中を真っ赤に染めて枕にしがみついて。

そうして、よもすがら愛しい竜に

思いをはせたのだった。

 

 

おしまい

 

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一人暮らしで一番気が弱るのは病気の時ですよね。

そんな時優しくされたら一発で落ちるだろうな、と思いつつ

ここで、ぐっと我慢した琥珀君に三重マルをあげましょう。