100のお題・055. 禁じられた森(別設定の千と千尋より)

別設定のお遊び話・第2部恋人編

6・禁じられた森

 

はく、怒っているかな。

 

待望の夏休み。

5月の連休前に恋人に宣言した通り

ここ数ヶ月の千尋は目的に向かって

目の回るような忙しい日々を過ごしていた。

週末と夏休みの前半を使って

アルバイトに精を出した千尋は

目標額以上貯まったバイト代を

握り締め、バックパッカーに変身する。

そうして、この数ヶ月というもの

蔑ろ(ないがしろ)にされていた恋人が

せめて見送りをというのを断って

夜行に飛び乗ったのだ。

・・・だって、この時間だし。

はくってばお仕事を休んでまで

見送りになんていらないし。・・・

千尋は電車の揺れに身を任せながら、

窓枠にこつんと頭を乗せた。

すでに時刻は深夜を過ぎ

車内の灯火も落とされていて

ほんの僅かな灯りしかついていない。

千尋はごそごそとザックのサイドポケットに

手を突っこみ昔からの愛読書を取り出す。

千尋がこれから向かう先。

予定では明け方にはつくであろう駅から

始発をまってさらに2時間かかる山の奥。

千尋の尊敬する紀行家がまるで、

日本の原点が生きているようだと

手放しで感嘆してみせたのは、

千尋の住んでいる所よりも

かなり北上した場所にあるとある村で。

添えられた写真をみたかぎり、

確かに日本昔話に出てくるような

純粋素朴な雰囲気が醸されていて。

田舎のない千尋にとって

その写真だけでも珍しく

未だにこんなところが残っているんだ、と

強く強く心に残って。

千尋は本をぱらぱらめくると

すでに折癖がついているページを開く。

薄明かりの元ではそこにある写真の風景は

はっきりしないけれど。

今ならば分かる。

はじめてこの本に出会ったのは

たしか中学に上がったばかりの頃で。

しかし、写真を見た瞬間に受けた強烈な印象は、

無意識にトンネルの向こうで見た風景と

重ね合わせていたからなのだ、と。

 

『・・・ここでは古くから伝わる伝統行事が

未だに継承されていて、古の神々が

昔からのしきたり通りに祀られていて大変興味深い。

写真はイッケ氏神と呼ばれる一族の守り神を

祀る様子で、このようにこの地では同族同士

同じ神様を祀り一族の繁栄と健康を祈る行事が

脈々と受け継がれている。かつては、日本中で・・・』

 

千尋は記憶に刻まれた文を読みあげると

暗闇で何も見えない窓の外を眺める。

ガタンゴトン

電車は独特のリズムを打ちながら海沿いを北上していて

千尋は揺れに身を任せながら暗闇を背景に

窓に映る自分の顔に話しかけた。

「そう。行くだけ行ってみよう。」

・・・だめでもともとなのだし・・・

そうして、何かをふっきったようにこくんと一つ頷くと

窓枠に寄りかかりなおし

仮眠を取るためにそっと瞼を閉じたのだ。

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

森と川に囲まれた小さな村は

紙と木と萱で出来ている家々が

其処彼処に固まりながら点在している。

道端には地蔵堂やら道祖神やらの像が立っていて

確かに、昔ながらの生活様式が

人々の日常の中に残されているらしいことは、

そんな家々の軒先の様子や道端の地蔵堂への

さりげない献花など、

村のあちこちから見て取れるのだ。

もっともここ最近出来たばかりらしい

大型バスも止まれるような

大きな駐車場が完備された

お土産屋やら食べ物屋やらは、

純朴さが強調されたわざとらしい建物で

どこで作られたか判らないような

土産物を売っているのは日本全国にある

他の観光地と全く同じであろう。

どころか、近くを走る国道端には

見慣れているコンビニやらチェーンの

レストランやらまであって。

千尋はため息をつくと、

先ほど行った観光会館でもらった

パンフレットをザックの中にしまった。

「仕方がないのかなあ。」

千尋が持っていた本の効果であろうか。

千尋が来たかった小さな村は

夏休みということもあり

結構な人出でにぎわっている。

昔ながらの伝説と伝統の息づく村

というキャッチフレーズで観光地化され、

それゆえにまるでプリザーブドフラワーのように

無理に保存されている村に、

ほんの少し肩を落として

とぼとぼと歩いていた千尋は、

何時の間にか定番の観光コースを外れ

谷筋の小道をたどっていた。

最初は、舗装はされていた道路は

何時の間にか踏み固められた土になり、

その左右には田畑や林が広がっていて、

道の傍らには小さな小川が流れている。

「まあ、この川は本当の川のままなのね。」

思いにふけっていた千尋は、

小さな川に気がつくとふと立ち止まり覗き込む。

一飛びで飛び越せそうなほどの小さな川は

その両岸には草が生い茂り、

葉先を流れに浸していて

おまけに底まで見通せる流水は、

どんなにじっと見つめようとも

ゴミ一つ落ちていずに、

光に煌いている。

いまだ、人間による暴力じみた

河川改修を受けていない小さな川。

「綺麗・・・」

かつてははくの川も、こんなふうだったのかしらと、

記憶の彼方の琥珀川を呼び起こそうとしても

朧な白いもやの中にあって、千尋は小さくため息を吐いた。

カサリ

思わず流れの中に引き込まれそうなほど

夢中になって川を覗き込んでいた千尋は、

何かの気配を感じ後ろを振り向く。

と、目の前にいたのはまるで仙人のような

見事な髭をした小柄な老人で、

千尋は目を擦りたくなるような気持ちを

ぐっと我慢すると、ぺこりと頭を下げた。

「こんにちは。」

「はい、こんにちは。」

返ってきたのは、どこか人好きのする

明るい声で、千尋は見た目の印象を

裏切られ、チラッと笑う。

同じように千尋に笑いかけた老爺は

行きかけた千尋の腕を軽く掴んだ。

「まあ、待ちなさい。」

「娘さんは、旅行者かな。」

「はい、まあ。」

千尋の答えに老爺はきらりと瞳を瞬かせる。

「この村は、どうだったかな。」

「そうですね。自然が豊かでとても美しい村ですね。」

「そう、思うかね。」

「はい。もっとも観光客が多くて

ちょっとがっかりですけど。」

あ、わたしもそうですね。

ときまり悪そうに笑う千尋が気に入ったのだろうか。

ふぉっふぉっふぉっ、と老人は声を上げて笑う。

そうして、千尋が一人旅で本に書かれた神様の息づく村を

見たくて来たのだと、そんなことまで聞き出すと

老人は嬉しそうに相好を崩した。

「ほう、この本か。ここに載っている写真は

わしの本家じゃて。かれこれ二十年は昔のやつじゃよ。」

「そうなんですか?今でもこんな風に

神様を祀っていらっしゃるんですか?」

「もちろんじゃよ。もっとも最近の若いもんは

何かと文句を言うてるがの。

だが、わしらがこうしていられるのも

この神様のおかげさんじゃからのう。」

長いこと一族に祀られてきた神のお力ををどれほど

頂いてきたか、孫の誕生から仕事上のことまで

日々がどれほどの幸運に恵まれていることか、すべて

神様のおかげなのだと、そんな老人の自慢ともつかない

長話を千尋はにこにこと聞いていた。

「この神様は何の神様なのですか?」

「何の、とは?」

「ほらよくお稲荷さんとか、りゅ、龍神様とかいうじゃないですか。」

千尋の問いに老爺は髭を扱く。

「さてのう。わしらはコウジンさんと呼んでいるがの。」

そうして、白髭の老爺はこの村の多くの家の神棚に祀られている

神の本家社は、そこの森にある神社なのだと、教えてくれたのだ。

 

御神木というのだろうか。境内には大きな

ケヤキを中心にうっそうとした木立が空を遮っている。

社に上る階段の最後の段からそんな境内を覗き込むと

千尋は思い切ったように一歩を踏み出した。

瞬間、ひんやりとした空気が体を包み込む。

夏の日差しが届かないこの聖地は

まるで別世界に来たかのような静けさが漂っていて

千尋は周囲を見回しながら深く息を吸い込んだ。

人の気配がまるでないそんな本殿への参拝を

済ませると、千尋はゆっくりとその周りを巡ってみる。

と、木立の中に続く小道の脇に『本宮へ』と書いてある

小さなたて看板があり、千尋はしばらくためらった後

その小道を辿っていった。

・・・これって・・・・

千尋は呆然と目を見開く。

10分ほど森の中を歩いた先にはどこぞで

見たことのある石の像とよく似ているものが立っていて。

・・・同じというわけではなさそうだけど・・・

その奥にはトンネルではなく白茶けた鳥居があって

うっそうとした暗い森に続いている。

鳥居の向こうには点々と白い置石が配され

道らしい体裁を保ってはいるものの、

しかし、千尋の直感はまるでトンネルを潜った

あのときのように警告を発していて。

・・・・本宮ってまだこの奥なのかしら。

ど、どうしよっかなあ。・・・・

千尋はずんぐりと不気味な笑みを浮かべている

石の像に無意識に手をのせていることに気づくと

びくっと手を引っ込め、後ろに飛びのいた。

そうして、ぶるりと肩を竦ませるとくるりと振り返って

元の小道を駆け足で戻っていったのだ。が、

・・・どうして?

千尋は零れそうな涙を押しとどめると

引きずるように足を動かす。

森の小道をほんの僅かしか入り込んでいないはずが

道をどんなに辿っていっても、元の神社に行き着くことが

できず、すでに周囲は薄暗くなり始めている。

そうして、再び前方に見えてきた白い石の像。

何回反対方向に行っても必ずここに戻ってしまって。

もう、どれくらいの時間、堂々巡りをしているのだろうか。

「うそ、また!」

千尋は、掠れた悲鳴をあげると、とうとう

その場に座り込んでしまった。

足を休め気持ちを落ち着かせようと、立てた膝に

顔を埋めていたのはほんの数分だったろうか。

・・・いつまでも、座ってちゃダメだ。

ふと周囲を見回してみれば

すでに物の影さえもわからないほどの暗闇が

取り巻いていて、千尋は一瞬パニックになる。

・・・どうしよう。

先程から頭の中には恋人の顔が浮かんでいて

口から名前が零れ落ちそうになるのを

必死で我慢している状態なのだ。

・・・でも、道に迷ったくらいで、はくに頼るなんて。

共に来たいと言うのを振り切って来たのは自分なのだ、と。

自分の始末さえつけることが出来ないなんて

何のためにこんなところまで来たのか、と。

千尋は、ぐっと息を飲み込むと

「ザックの中に懐中電灯を入れておけばよかった。」

自分を鼓舞するために立ち上がりながら声を出す。

「落ち着いて、落ち着いて。大丈夫よ。

なんだったらここでキャンプしちゃえばいいんだし。」

千尋は目の前にある石像と鳥居の存在を目に

入れないようにしながら、自分で自分に話しかける。

「明るくなったら、もう一度道を辿っていけばいいの。

薄暗い中を歩いたから、どこかわき道にそれちゃっただけよ。」

たしか、リングワンデルングって言うんだよね。

まっすぐ歩いているつもりで、知らずに

円を描くように歩いていて元の場所に

戻ってきちゃうことってよくあるんだから。

言葉にするうちに落ち着いてきたのか

千尋は夜明かしを決意すると、

唯一ボウッと見えている白い石を背にして

もう一度座りなおしたのだ。

どれくらいの時間が過ぎたのだろうか。

千尋が腕時計に目を落とすとぼんやりと光る針が

真夜中近くをさしていて、目を疑う。

感覚的にはついさっき

座り込んだばかりのような気がするのに、

すでにそれから数時間が経過していて

どうやら無意識にうとうとしていたらしい。

「案外すぐ夜が明けるかもね。こんなところで

眠れるなんて私ってすごいかも。」

強がった言葉とは裏腹に首筋がちりちりするような

感覚は無くならず、千尋は背中を石に

押し当てたまま小さく身じろぎする。

と顔をあげた拍子に遠くで何かが視線を横切って

千尋はぎくりと身体を竦ませた。

・・・やだ、なに。・・・

それが懐中電灯の灯りだと気づいたのはずいぶん近くに

来てからで、千尋はほっとしたように立ち上がった。

「あの、すみませ〜ん。」

「なんじゃ、まだこんな所にいたのか。」

「お爺さん。」

聞こえてきた声は昼間村であった老爺のもので

千尋は懐中電灯の光を腕で遮りながら、目を凝らす。

「あの、道に迷ってしまって。」

「ほれ、こっちじゃ。」

光の中からにゅっと出てきた手が

千尋の二の腕をつかむ。

瞬間、確かに白い髭が見え、千尋は小柄な

老人の思いがけないほど力の強い腕に

戸惑いながらも、迎えに来てくれたことにほっとして

引きずられるようにして歩き出した。

「あっ、やだっ、そっちは行きたくない。」

そうして、気がついたときは、あれほど避けていた

鳥居をくぐっていて千尋は鳥肌を立てる。

「良いんじゃよ。お前さんはこちらに行く定めじゃて。」

「な、何を言っているの。」

「自分から行ってくれれば、手間がなかったんじゃがのう。」

「はい?」

「早うせねば。コウジン様がお待ちじゃて。」

「何?なんのこと?やだ、お爺さん手を放して。」

腕を抜こうと暴れてもびくともしないほどの力で引きずられて。

ソッチハイヤダ!

イキタクナイ!!

千尋の本能が発する警告がどんどん強くなっていく。

そうして、恐怖のあまり、かの名を叫ぼうとした、その瞬間

ふっと灯りと腕の力が消えていて、千尋は呆然とその場に立っていた。

「お爺さん?」

暗闇の中に取り残された千尋は、周囲を探ろうと

手を伸ばすが、なにものにも触れることができず

思わず身体を縮めると両手で自身を抱きしめる。

「お爺さん、どこ?」

小さな声に、突然の物音が応える。

シュツ

マッチをする音と共に、ろうそくに火が灯され

千尋はほっとしたのもつかの間、どこか異様な

雰囲気に身体が小刻みに震えだして。

小さな炎の向こうには、どうやら社らしい建物があり

老爺らしい人影はそんな千尋を無視したまま

その社に向かって額づくと抑揚のない声で言葉を発した。

「カシコミカシコミタテマツル。

コレナルムスメハコトシノ二エ。

ドウゾオオサメクダサリマセ。」

何?何を言っているの?

呪文のような言葉は、その意味がよく分からず

千尋は、まるで金縛りにあったような身体を

何とか動かそうと試みる。しかし、

走って逃げたくても暗闇は道を隠していて

おまけにがたがたと震える身体は

まるでコントロールが効かないのだ。

と、老爺がゆっくりと顔をあげ

千尋のほうを振り向いた。

ろうそくの灯りに照らされた顔は

不気味な笑みに彩られていて。

ひっ。

千尋は息を呑むと目を見開いて固まる。

ギィッ

老爺の、その背後の社の扉がゆっくりと開き

ゆらりと黒い何かが立ち出でてきたのだ。

ギシッ

「・・・く・・・」

千尋はかすれた声を振り絞る。

まるで喉が張り付いたかのように

声さえもコントロールが効かなくて。

「・・・ぁ・・・く・・・」

そうして、瞬きもできない視線の先で

黒い影がゆっくりと老爺に重なって、

しわだらけの手を伸ばしてきた瞬間、

甲高い絶叫とともに千尋は意識を失った。

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・

 

 

ゆさゆさと気持ちの良いリズムが身体を揺らす。

ゆっくりと瞬きをした千尋は目の前にある

綺麗な角度を形作っている白い顎をぼうっと見つめた。

「・・・はく?」

ちらりと千尋を見下ろした瞳は確かに翡翠の色をしていて。

木々のシルエットがゆっくりと背後に動いていく様を

見るともなしに見ながら千尋は、

次第に気を失った直前の出来事を思い出してくる。

が、恋人の庇護の下にある心地よさに

そんなことはどうでもいいような気もして。

千尋はほおっと息を吐くと広い胸に頬を寄せて、

無意識が要求するままに、もう一度目を閉じた。

次に目覚めたときは目の前には紺色の布があって

千尋は一瞬わけが分からずに混乱する。

「起きたの?」

上から聞こえる声に身体を向き直らせようとすると

そっと押しとどめられ、そのままとろとろと

一定の速さで髪を撫でられて。

そんな手の気持ちの良さにぼうっとしていた千尋は

少しずつ感覚が戻るにつれて、どうやら

恋人の膝枕で寝ているのだと気がつく。

しかし、いつもならば飛び起きるであろう状態も、

今は気だるさが羞恥を上回っていて千尋は

恋人の手のなすがままになっていた。

「はく、わたし、いったい・・・」

しぃっ

目を瞑ったままの問いに、優しい手が応える。

しばらくその手の心地を感じていた千尋は

そうっと目を開けると周りを見回した。

黄色っぽい白熱灯に照らされた畳敷きの部屋。

どうやらはくは座椅子の背もたれに寄りかかりながら

片膝を立てていて、千尋の頭は伸ばしている

もう片方の膝に載せられているらしい。

しばらくぼうっと考えていた千尋はもう一度問う。

「・・・ここは、どこ?」

「宿屋だよ。」

「え?」

「心配しないで。人間の宿屋だから。」

ああ、この紺の布は浴衣だったのか。

と納得すると同時にはっと自身を見下ろす。

気がつけば千尋自身も白地に花の図柄の

浴衣を着ていて、しかも、どうやら湯を使ったらしく

身体がさっぱりとしているのだ。

そうして、驚きのあまりがばっと飛び起きた千尋を

残念そうに見やると竜の魔法使いはくすりと笑った。

「あ、あの、はく。」

「そなたが思っている通りだよ。」

「え?」

「泥だらけだったからね。

私が湯に入れて着替えさせた。」

「!!」

真っ赤になって口をパクパクさせている千尋を

口角を僅かに上げて見やっていた竜は、

ふとその笑みを消すと手を伸ばし、

愛しい娘の右腕に触れる。

「それに、そなたの腕についていた穢れを清めたかったし。」

その言葉に千尋は一瞬で顔色を変える。

「あれって夢じゃ・・・」

「ないよ、もちろん。それより千尋、私に言うこと無い?」

「ご、ごめんなさい。迷惑をかけてしまって。」

「そんなことを言っているんじゃない。」

声を荒げることなくしかし、プリズムのように

複雑な光を瞳に乗せて、竜は千尋を見つめる。

「ごめんなさい。」

そんな恋人にほかに何を言えるだろうか。

千尋はもう一度謝ると、小さくなって項垂れる。

しょぼんとして大人しく腕の中に納まっている姿に

竜の魔法使いは、ため息を吐いた。

「そなたときたら・・・」

「ごめんなさい。」

「もっと早く私を呼べば、怖い思いをしなくてすんだのに。」

「で、でも。迷子になったくらいで呼びたくなかったの。」

「迷子ではなくて、危うく行方不明になるところだ。」

さすがに、声を大きくした竜は、千尋の肩を強く掴む。

そなたは生贄としてこの村の守り主に

捧げられるところだったのだ、と。

道に迷ったのではなく神隠しにあいかけていたのだ、と。

怒鳴りつけるのを我慢しているような声が

話している意味を、本当に解っているのかと、

揺すぶってやりたいというかのように

肩に掛かる指先が震えていて。

千尋は顔をあげないまま、もう一度、

ごめんなさい、と呟いた。そうして、

「イケニエ・・・・って。あのお爺さんが?」

「そう。この村に足を踏み入れたときから

目をつけられていたのだろうね。」

「・・・・」

そういえば、パンフレットをもらった観光協会でも

お土産やでも、道を歩いていても、妙な視線を感じて

いたたまれないような感じがしていたのだ。

思っていたよりも人が多くて寒村だと思っていたイメージと

全然違っていたせいかと思っていたのだけど。

そんな千尋の呟きに、竜はぎりっと奥歯をかむ。

おそらく、知らず知らず人のいないほうへ追いやられ、

己から禁域に入り込むように仕向けられていたのだろう。

竜は先程の出来事を思い返しながら

千尋の頭を自身の腕に抱きこんだ。

「この村っていったい。それにあの神社って。」

胸の中からくぐもった声で聞いてくる千尋に

「まあ、ある意味、神としては理想的な村だな。」

竜の魔法使いは皮肉気に笑む。

「荒ぶる神がその祟りでもって未だに人間どもを

その勢力下に置いているのだろう。

昔はよく聞いた話だけれどね。」

祟りなす神に定期的に乙女を差し出して鎮めると

そんな昔話は確かに珍しくもなく、しかしたいてい

神と名乗るのはもののけで、生贄にされる乙女を哀れんだ

英雄やら力ある坊主やらの手で退治され、

乙女は救われる、という結末に終わっている。

「今の世に、そういつまでも続かないだろうが。」

いかなる手腕によるものか、ここの神は未だに生贄を

受け取って、それより力を蓄え続けることができたのだ。

そうして、村を守っている。

今の世には不自然なほど昔然とした形で。

のちに調べたら確かにこの近在で行方不明になった

少女の数はかなりのもので、しかしどういうわけか

当初に一度新聞の片隅に小さく載る程度で

たいしたニュースにもなっておらず、

改めて背筋が寒くなる思いをしたものだ。

竜の魔法使いは皮肉気に笑みを含んだ声で続ける。

「不相応な力を注いでいるゆえ、力も早く失われる。

此度は贄を受け取れず力を補充できなかった分、

時の流れを抑えていた反動が来るだろうね。

あやつが生贄の人選を誤ったこの村に

どんな罰をくだすのか楽しみだな。」

「・・・はく?」

そんな言葉に驚いて俯いていた顔をあげると

赤く染まった瞳が千尋を見つめていて、

千尋はぶるりと体を竦ませるとおずおずと問うた。

「はく、怒っている、よね?」

「妻をとられそうになったのだ。

怒らぬ男などいるものか。」

冷たい笑みに彩られた顔に千尋は顔を伏せる。

どうやってあの場から逃れたのか、そんな質問は

はくの怒りの前には無意味な気がして。

千尋は伏せた顔の下で唇を噛んだ。

そんな様子をじっと見ていた竜はもう一度ため息を吐くと

千尋をそっと抱き寄せて顎を髪に埋める。

「なぜ・・・」

「え?」

「なぜ、この村に来たかったの?」

静かな声は、どこか悲しげで。

「それは・・・」

「私には、聞く権利は無い?」

「違う!そんなんじゃ。」

はくの寂しげな問いに千尋は胸に手を当て

押しやると勢いよく頭を振る。

「・・・一緒に。」

言葉をためらう娘の瞳は揺らめく竜を映していて。

「続けて。」

竜は、瞳を赤く染めたまま、しかし優しげに促す。

そんな声に息を呑んだ千尋は、瞼を伏せるとぽつりと呟く。

「こっちの世界で一緒に住める場所を探したかったの。」

そういうと、大きく肩を上下させ竜の胸に顔を埋めたのだ。

「・・・神様と一緒に生きる村を見てみたかった。

・・・でも・・・こんなふうだったなんて・・・」

「・・・そなたは、それほどあちらに行くのがいやなのか?」

掠れた声での質問は竜の魔法使いの衝撃を物語っていて。

「そうじゃない。そんなんじゃないの。」

千尋は顔をあげると恋人の赤い瞳を覗き込む。

「だって・・・」

千尋の苦しげに歪んだ顔が赤い瞳に写っていて。

「だって、はくは私と共にあるために無理をしてしまうじゃない。

銭婆お婆ちゃんが言っていたもの。去年の夏だって私に

かまけていたせいで、無茶な仕事の仕方をして

それであの闇の眷属に襲われたのでしょう?」

「もう、いや。油屋にいたときもおかしなお仕事をして

傷だらけになって危うく死ぬところだったじゃない。」

「あれは、湯婆婆に支配・・・」

言いかけた言葉を千尋が勢いよく遮る。

「去年の夏だって、黒いやつに襲われていたじゃないの。

この前は無事だったけど次はどうなるかわからないもの。

ああ、はく、お願い。もう魔法使いなんてお仕事止めて、

こっちに戻ってきて。こっちなら、わたしだって

アルバイトとかでお仕事ができるもの。そうすれば・・・」

勢いのまま言い募ってきた言葉は

次第に尻すぼみになって千尋は、もう一度うなだれる。

でも・・・

「・・・はくが安心して住める場所は、もう無いのかしら・・・」

呆然と、竜はそんな千尋を見つめる。

さらりと流れた栗色の髪の隙間から

目に痛いほど白い項が覗いていて。

きゃあっ

そうして、ガクッと音がするほどの勢いで

愛おしい娘を抱き寄せるときつくきつく抱きしめたのだ。

「そなたは・・・」

早鐘のような琥珀主の鼓動が耳を打って

そんな音を聞きながら、

千尋は体の力をゆっくり抜いて

恋人にもたれかかる。

「・・・ごめんなさい。」

「そなたは・・・そなたは、わたしを・・・」

竜は信じられないというように頭を振ると

千尋の細いうなじに手を添え、顔を上向かせる。

翡翠に戻った瞳と黒く潤む瞳が交じり合って。

互いの瞳に揺らいでいる映っている姿が次第に大きくなっていく。

「愛している。」

震える声は真摯な思いにあふれていて。

「そなたを、愛しているよ、千尋。」

そんな恋人に千尋はほんのり頬を染めると小さく囁きかえした。

「わ、わたしも、愛しています。」

愛しい娘からの初めての言霊に

竜の魔法使いは大きく目を見開く。

そうして、堪らず重ねた唇に竜は我慢の限界を試されて。

しかし、心身の暴走を自身にさえも許す気は無く、

竜の魔法使いは大きく息を吐くとほんの少し身体を離した。

「すまない。私が不甲斐ないばかりにそなたに

そのような心配をかけていたのだね。」

「そ、そんなんじゃ・・・」

言いかけた桜唇を白く長い指がそっと抑える。

「そなたがこちらで暮らしたいというのならば

わたしがなんとかしよう。だから、そなた一人で

背負おうとしないでおくれ。」

「違うってば。ただこっちにいれば私だって

何か役に立てるかなって思うだけで。はくが

無茶をしてしまうなら、どっちにいても同じことなの。」

「無茶などしないよ。約束する。それに、そのような

かわいらしいことを言われてしまうと、そなたに

学生の本分を全うさせてやれなくなってしまうよ。」

「か、かわいらしいって、あのねえ、はく!」

真剣な思いを茶化されて憤慨してみせる、そんな仕草も愛らしくて。

竜は冗談に紛らわせて本音を吐く。

「そのように私を煽るなら、今すぐ正式な婚姻の儀を行って、

そなたを完全にわたしのものにしたくなってしまう。

高校を卒業できなくなってしまってもよいの?」

「うっ。とぉ、それは、ちょっといやかも。」

「そなたは、私に抱かれたくない?」

「はくっ!!」

忙しなく視線を動かしながら頬を染めている様は

先程恋人に愛を告げてきた娘と違い、まだまだ幼くて、

そんな千尋のアンバランスさは魅力でもあるのだけれど。

しかし、我慢を強いられている身にしてみれば

煽られているとしか思えず、竜は切なげにため息を吐く。

そうして、竜は密かに決意する。

そなたを真に我が物とするのは婚姻の儀を行った宵。

己から言霊の誓いを覆すことはできないけれど、

そなたの口から新たな言霊を言わせて見せよう、と。

 

「ならば、せめてもう少し私との時間をとっておくれ。」

この数ヶ月、そなたにつれなくされて

どんなに寂しい思いをしたことか。

「ご、ごめんなさい。」

わざとらしいほど寂しげに瞳を伏せる竜に

千尋はころりとだまされて。

「だからね。」

「なあに?」

「その償いに残りの休みはすべて私と過ごして欲しいな。」

だから、見ほれるほど綺麗な笑みと共に発せられた

お願いの形をとった命令に、千尋はこくこくと頷いたのだった。

 

そうして、この出来事をきっかけに

竜の魔法使いは、今まで耐えて抑えていた求愛を

積極的に仕掛けていくことになる。

 

 

おしまい

 

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やっと、

やっと、

やっと、

仕上がりました。

バタリ

(と倒れる音)

別設定の恋人たちをお待ちくださった皆さま

めちゃくちゃ待たせてしまってすみません。

 

しかしねえ、(と、ため息)

魔法使いがどうやって千尋を救い出したのか、

とか

白髭爺さんがどんな目にあったのか

とか

意識の無い千尋さんを風呂に

入れてるときの魔法使いの葛藤

とか

書きたいことはいろいろあったけれど

最後の魔法使いの決意に吹きとんでっちゃったよ。

 

あ〜、このふたり、なんかこれから

妙な具合になっていきそうです。

やばい、また微エロとかいわれてしまうかしら・・・

 

というわけで、残りの夏休み

千尋さんの貞操が守られるかどうか

どなたか賭けをしませんか。(な〜んて)