10万HIT記念企画・無謀にも「七粒ノお題A」に挑戦してみよ〜
05・これが今の距離だから
荒い息にヒューという呼吸音が入り混じる。
気がつけば遥か彼方にあったはずのネオンの洪水の中にいて
千尋は膝に手をついて地面を見ながら必死で喘いでいた。
少しずつ治まってくる呼吸にようやく体を起すと
なんとかバックの中を探ってハンカチを
取り出し滴り落ちる汗を拭う。
そうして恐る恐る首を動かすと
たった今駆け抜けてきた道を振り返った。
が、予想通りと言うべきか、そこには暗闇など欠片も見えず
ちかちかとした色とりどりの光に溢れているばかりで、
周囲の人の群れの中に紛れ込みあるべき場所に戻ったことに
千尋はふっと息を吐くとようやく肩の力を抜いた。
「うおっ、荻野さ〜ん!!」
と、まるで狙ったかのようなタイミングで
通りの向こうから大声が響く。
「こんなとこで会うなんて、ちょ〜ラッキー!!荻野さあん。」
見るからに体育会系の集団と思しき大男たちの中で
殊更大騒ぎして目立っている男を目にすると
千尋は違う意味でため息を吐く。
そうして、わざとらしく見なかったふりをして
くるりと後ろを向くと反対方向に歩き出した。
「おっぎっのっさあああん!!」
と、ドドッと地響きを立てるような勢いで
背後から追いかけてくる足音に思わず顔を顰めると
そのまま足を早める。しかし、筋肉の塊のような
男の足に敵うはずもなく、
千尋は目の前に立ちはだかった男を
見上げると不機嫌そうに眉を寄せた。
「ああよかった。やっと止まってくれた。」
そんなところにいられたんじゃ通れないからよ、
という千尋の内心の突っ込みなど全く気づかないように
爽やか笑顔全開でくったくなく話かけてくるこの男は
とある講義で偶然隣り合わせに座っただけの
千尋からすれば単なる顔見知りにすぎないのだ。が
どこか父親を髣髴させるような能天気な自信家は、
どこが気に入ったのやら千尋のつれないそぶりなど
歯牙にも引っ掛けず、顔を見るたびに口説き続けている。
「ねえねえ荻野さん、俺らこれからイチマルで
飲み会なんだけど一緒にどう?」
「・・・」
「もちろん、俺おごるからさあ。」
「・・・」
「夕飯まだでしょ。なんだったら飯だけでも食うつもりでどう?」
「・・・」
「あ、イチマルがいやだったら他のとこでもいいよ。」
「・・・」
「だめ?」
「・・・」
『ああ?しつこい男に諦めてもらう方だあ?』
『うん、困ってるの。』
『んなの、こっぴどく振ってやればいいじゃんか。』
『振ったつもりなんだけど、イマイチ通じないんだ。』
『あんたなんか嫌いっつってやれば?』
『もう言った。ほかに好きな人がいるっていうことも伝えたし、
迷惑だから話しかけないでとも言ったし、自分でも自分の事
やなやつって思うくらいけっこう酷いこと言ってると思う。』
『へえ、根性あるやつじゃん。お前のこと見初めるなんて
人見る目もあるし、顔見るのもやだって言うんじゃないなら
いっそのこと付き合ってみればいいじゃん。』
『いや!だって私は・・・』
『はいはい、ハクのものっつうんだろ。別にいいじゃん。
ある程度経験積んどくのもいい女になるための条件だぜ。』
『ハク以外の人との経験なんていらない。』
『おまえも大概頑固だな。第一やつともう一度会えるかさえ
わからないじゃないか。よしんば会えたとしても
ハクの野郎と結ばれる可能性なんてゼロだぜ。』
『いいの。』
『んなこと言っている内に孤独な年増になっちまうぞ。
年取ってから後悔したって遅いんだからな。』
『後悔なんてしないもん。ハクと結ばれることなんて
端(はな)から望んでいない。ただ私がハク以外の人と
付き合うなんていやなだけなの。』
『しょうがねえなあ。まあお前がハクを見限るのと、
その男がお前を諦めるのと
どっちが早いか根競べ(こんくらべ)だね、こりゃ。』
「負けないもん。」
「え、何か言った?荻野さん。」
『根競べなら負けない。だって私は・・・』
にこにこと人好きをする笑顔を浮かべている男には
どうやら聞こえなかったらしい呟きをもう一度口の中だけで唱える。
ねえ、ハク。
貴方がどこにいようとも。
何をしていようとも。
私は、貴方のもの。
貴方だけの・・・
瞼を伏せて、想いを抱きしめるように胸に手を置く。
そうして再び顔をあげた千尋のまっすぐに突き通る視線を受けて
男ははたと機関銃のようなおしゃべりを止めた。
そのまま捨て置くように歩き出した千尋を
ぼけっと見送った男はハッとしたように頭を振ると
突然うをぉぉっと奇妙な大声をあげる。
「か、可愛いぃぃ。」
「は?」
思わず振り返った千尋の目の前に
顔を赤らめた男が肩に力を入れるような
おかしな格好で突っ立っている。
そうして、目が合ったとたん唐突に絶叫した。
「荻野さ〜ん、好きだあ!!」
やるなあ、セン。
女も二十歳を過ぎれば
色恋沙汰の一つや二つなくっちゃな。
とウィンクしながら茶化しそうだな、リンさんなら。