第4部竜王たちの伝説 

第1章、降誕・・・過ぎるほどの

 

「そろそろ産屋の手配が必要のようだね。」

臨月も近くになり、これが生まれる前、最後の訪問に

なるだろうと、沼の底を訪れていた千尋は、

銭婆の言葉に真顔で頷いた。

「千尋?銭婆殿?」

「ま、まだ、早すぎるのでは。まさか、千尋、

体の調子がおかしいのか?ああ、やはり

電車などに乗せるのではなかった。」

「はくったら。」

千尋のおかしそうな声も耳にはいらず

がたんと椅子を鳴らして立ち上がった龍神は、

おろおろと妻を見下ろす。

子が宿った妻を龍身に乗せ宙を駆けるわけにもいかず

しかし、銭婆に会いたいとの千尋の懇願にまけて

海原電鉄に乗ってはるばるここまで付き添ってきたこの龍は

道中の長さもさることながら、見も知らぬ乗客たちとの

同乗に神経を張り詰め、臨月近い妻の体を気遣って

はらはらしながらの道行きだったのだ。ようよう到着し、

ほっと息をついて落ち着いたとたんの銭婆のセリフである。

慌てるなというほうが無理かもしれない。

一瞬で顔色を失った龍神に、銭婆は呆れたような一瞥を

与えると、やれやれとため息をついた。

「父神になろうという、あんたが今から焦ってどうするね。」

「今日明日産まれるというわけではないよ。

だけど、そろそろいつ産まれてもいいように

準備だけは整えておかねばということさね。」

うっと息を詰まらせた龍神は、

大丈夫よ、とにこっと笑っている妻を見ると

もう一度すとんと椅子に座りなおした。

「お婆ちゃん、お産いつごろになるかしら?」

「こればっかりはね・・・」

銭婆は千尋の腹や手首に手を当て考える。

「う〜ん、はっきりとはいえないけれど、

予定よりも、少し早まりそうな感じはするねえ。」

そういうと、心配げに妻を見つめている龍神を見やる。

「で、産屋の場所は決めてあるのかい?」

「・・・かつての社跡に潔斎場を設けるつもりですが。」

銭婆は頷くと再び視線を横に向ける。

「千尋。」

「はい。」

「お産の進み方についてはもう分かっているね。」

「はい。リンさんにもご本を貸していただいたし、それに

湯婆婆お婆ちゃんからもいろいろ教えていただきました。」

銭婆は穏やかな笑みで頷く。

「初めてで不安だろうけれど、落ち着いてね。」

「はい。」

銭婆の一言ずつに生真面目に返事をしている千尋の手を

ギュッと握り締めると龍神は銭婆に顔を向ける。

「銭婆殿、御相談が・・」

「おやめ。」

言葉の途中で遮られた龍神はむっと眉をよせる。

「まだ、何も申してはおりませんが。」

「言わなくてもわかるさね。」

銭婆はふんと鼻をならす。

「どうせ、お産に立ち会いたいというのだろう。

何回言えば分かるのかねえ、この愚かな若者は。」

「ですが、以前から便りで申し上げているとおり

千尋は初産なのですよ。それを一人でなどと。」

これで何回目のこととなるのか、しつこい龍神に

銭婆は青筋をたてると、ぴしっと人差し指を突きつけた。

「それ以上バカなことを言うのはおやめ。

女神のお産は神代の昔から産屋で一人で行うと

決まっているのだと何回も言っているだろう。」

「ですが、千尋は出自人間なのですよ。

リンの本にもありましたが、最近では人間たちの父も

立会い出産とやらで産屋に入るのだとか。

しきたりにこだわる必要などないのではないですか。」

「今更そのような理屈が通るとでも思っているのかい?

千尋を神人のままにしておかず、比売神として

立てたのはお前だろう。」

千尋は、もはや人ではなく神の端くれ位置する身。

神としてのしきたりに従うのが務めというものさね。

「ですが。」

なおも言い募ろうとする龍に銭婆はふぅっとため息をついた。

そうして、尋常ではない輝きを放つ翡翠の瞳と正面から向き合う。

「ハク龍。」

思わず姿勢を正した龍に低い声で問いかける。

「ハク龍、お前は千尋の苦しみを

黙って見ていることに耐えられるのかい?」

「・・・・」

「どんなに苦しみ懇願されようとも

ひたすら見守り続けることができるのか?」

「それはそれは壮絶な苦痛が何時間も下手をすれば

何日も続くのだよ。しかも、自分にはその苦痛を

取り除く力があると分かっていて、

それでも手出しをせずに見守っていることが?」

ぐっと言葉につまった龍を目を細くして見ると

銭婆は肩を竦める。

「男神が産屋に入ることを禁じているのは

それなりのわけがあるのさ。」

特に相愛な夫婦神の場合は、あらざる悲劇が

起きることもないとはいえない。

ゆえに、神々は自らに掟を作ったのだ。

愛おしい妻の苦しみを見るに耐えず、

力を暴走させてしまうことがないように。

妻を苦しめた(そうして奪った)元凶に仇をなした

イザナギ神の悲劇を繰り返すことがないように。

「はく、大丈夫よ。」

「だが。」

握られている手をもう片方の手で包み込むと

千尋はぽんぽんとたたく。

「それに、はくには見られたくないかも。」

「千尋?」

「ほら、お産ってあんまり、き、綺麗じゃないし。」

「千尋?」

頬を染めて視線を横にそらした愛妻の姿に

龍神は思わず顔をゆがめる。

「ああ、千尋。そなたを一人で苦しめるなど・・・」

まるで、ここがどこだか忘れ去っているかのような

二人に銭婆はもう一度やれやれとため息をついた。

その気配に琥珀主が顔をあげ、そうしてまるで

縋るかのような視線を投げかけてくる。

「・・・しょうがない男だねえ。あんたが怯えてどうするね。

まったくほって置けないじゃないか、そんな顔をされると。」

あ〜、私も甘くなったもんだ。

そう一人ごちると

「仕方ない、ハク龍。お産の兆候があったら

連絡をよこしなさい。わたしが行こう。」

「銭婆様、真ですか?」

「トンネルへの『時忘れの呪い』は私がかけるから

出口と産屋を直結させるのはあんたがやりなさい。」

「それと、湯婆婆への事前の交渉と、

トンネルを通行止めにする間の油屋への

損害賠償はあんたが持つんだよ。」

「はい、もちろんです。」

ぱっと喜色を顕かにして見るからにほっとした龍神と

対照的に、千尋は心配げに顔を曇らせる。

「お婆ちゃん、来てくださるのはすごく嬉しいけれど

無理なさらないで。前に来てくださったときも

後が大変だったのでしょう?」

「あんたは、そんなことを心配しなくてもいいの。

確かに、この愚か者の言うとおり、初産なんだからねえ。

私もここでやきもきするより、側に控えていたほうが

安心というものだし。」

「本当?」

「もちろん。」

力強く頷いた銭婆に千尋はフニャッと顔を歪ませる。

「良かったあ。本当は心配で心配でとても不安だったの。

お婆ちゃんが側にいてくださるならすごく、す・・ご・・く・・・」

ぱっと顔を両手で覆ってしまった千尋を

慈愛に満ちた瞳で見ていた銭婆は、

「さあさあ、あんたは少し横になったほうがいいね。

今日は泊まっていくのだろう?」

夕食は何がいいかねえ。

そいうとカタリと立ち上がり、琥珀主の感謝を載せた瞳に

頷くと、いそいそと台所に向かったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうして・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

龍神の宿る標の森にひと柱の神が降誕したのは

その年の暮れ近く、初雪の舞う早朝のことであったという。

 

 

 

 

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昔の農家のお嫁さんは産む直前まで畑仕事をして

産気付いてから家の一角にある薄暗い産室で

一人で産んで、へその緒も自分で切ったもんだ、

というすさまじい話を聞いたことがあります。

(みんながみんなじゃない、と思うけど)

 

ヘタレ友林には想像もつかない・・・・

つか想像しただけで女を止めたくなるような世界だな。

 

んでもって、旦那さんに「オレの子じゃないだろう」と

(失礼なやっちゃ。いくら高天原から降った天孫ったって

言っていいことと悪いことがあるだろうに。愛がない、愛が)

疑われた木花咲耶姫様がやけになって?出入り口を

壁でふさいだ産屋に火を付け、燃え盛る炎の中で

3人の子を産んだっつう逸話を読んで

神様の世界って・・・とあきれ果てたものです。

(あんた、いくらなんでもやりすぎだって・・・)

 

というわけで

『ちーちゃんを無事お母さんにする会』(代表・某龍神様・・・笑)の

賛同会員たちがちーちゃんをひどい目に合わすなと

煩く言うので銭婆様に頼ってしまいました。

(ちなみに銭婆様は会員ナンバー5だそうです。笑)

 

 

 

そんなこんなで、第一章終わりです。

次回からは怒涛の展開になる・・・・かも?