第4部 龍王たちの伝説

 

第2章、幕開け・・・目覚めて後の

 

神々が自身の穢れを祓い、疲れを癒す

御湯屋がある狭間の向こうに通じる標道。

現在、その標道を護る標の森の主は

他国から来た白い龍であり、

その龍神が人間の娘を娶り妻にした話は、

八百万の神々の間では有名な話である。

そうして、また神々は新しい噂話に興じている。

その白龍の妻につい先ごろ

子が生まれたらしい、と。

そんな噂は風に乗り

秋津島から遠く離れた地にも

流れていったのだ。

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

ヒュルン

「何?今の・・・」

厳冬の冷気漂う宙高く、はるか下方には

冨士の頂がその巨大な火口を覗かせている。

そんな、空の高みの入り口で興に任せて遊んでいた

幼い風の精たちは、自分たちの遊び道具である

雪を含んだ黒雲を蹴散らして、あっという間もなく

はるか北方に小さな点となって消えていった

細長く白い物体をぽかんと見送っていた。

「あ〜あ。せっかくお山の上昇気流で

出来た綺麗な雲塊だったのに〜。」

「うん。僕、あれに乗って雷熾しを

してみようと思ってたのにね。」

「ちぎちぎだね。」

「ぼきょぼきょだ。」

口々に不満を漏らす風の子と雷の子らは

小さく千切れとんだ雲を残念そうに眺めると

「じゃ、あれ。」

「ああ、いいね。」

「競争、競争。」

すでに自分たちの遊びを

台無しにした正体不明の

ものについては意識の外に追いやって

次の遊びに興じていった。

 

 

雲を蹴散らし一点を見据えて、今この瞬間

ニギハヤミシルベノコハクヌシは、

自身を呼ぶ声に向かって空を駆る。

蹴散らした雲塊にしがみついて遊んでいた

小さな精霊たちの不満など言うも及ばず。

自身が巻き起こす空気を切り裂く音さえも、

はるか後方に置き去りにして。

唯一聞こえるのは、小さく悲痛な悲鳴。

向かう先から身を切り裂くような

光となって届いてくる

自身の名を呼び、泣き叫ぶ声のみ。

白い龍は鬼神のごとく空を駆け抜ける。

常にないほどの恐怖に心臓を掴まれながら

まるで狂気に取り付かれたかのような勢いで

秋津島を駆け抜けていく。

 

 

この日、ニギハヤミシルベノコハクヌシの姿は、

自身の守護地からはるか遠く離れた地にあった。

秋津島と大陸を隔てる西の海の中に

ぽつんと聳え立つ西の果て。

むろん、好んでこの地に来たわけではなく

秋津島上位神の一人、水の神である翁神の命で

このところ頓に増えてきた

結界の綻びの修復に来ていたのだ。

いうまでも無く、この秋津島は大陸とは

西の海で分け離たれていて

その距離自体が秋津島を護る

結界となってはいるのだ。

しかし、数年ほど前より徐々に

増えていた異国の霊(かみ)の流入に、

前回の出雲の集いで結界強化の

決議をなされてより、ここ数ヶ月で

この龍が借り出されることが

もはや片手では足りないほどの

回数となっている。

(・・・もっとも昨年の暮れ近くの

ひと月ほどは

プライベートの重大事があり

脅されようがすかされようが

森から動こうとは

しなかったものだが・・・

閑話休題)

自身のお役目は標の森を護ること。

ごねる龍に、しかし、緊急事態なのだと

有無を言わさぬ上位神たちの命に

憮然としながらも、長いことお役目を

サボっていた弱みもあり、

仕方がないと

律儀にきっちりと

使命を果たしてきたのだ。

そうして、今日。

今までで最も遠く離れた地でのお役目に

いつも以上に気が乗らなかったのは

子を産んだばかりの愛妻が

気がかりだったからで。

生まれて3月ばかりの子と

何よりも愛おしい妻。

常に視界の中に収めていなければ

一時たりとも心が安んじない大切な宝物。

しかし、そんなことは理由にならぬと。

いつもながらの強引な命に

しぶしぶ出てきて仕事に

とりかかったとたん

ぴりぴりと胸を刺す気配がして。

そうして、龍の耳に届いたのは、

自身の名を呼び泣き叫ぶ愛妻の声。

たとえ、地の果てにいようとも

聞き間違えることはない愛しい妻の声。

何が起きたのか。

遠く離れた地にいる以上

具体的に分かるはずもなく。

その声を感知したとたん、

驚愕に目を見開き

恐怖に顔を強張らせ

同じお役目についていた

周囲の神々のことなど

意識の端にも留まらずに

龍神は身を翻し飛び立ったのだ。

何よりも大切なものから

目を離してしまった

焦燥と自身への怒りを供にして。

はるか彼方の自身の守護地へ。

愛するものの元へと。

 

『くそっ、追いつけない。』

『何があったのか。』

『分かるもんか。だけどあの顔色は・・・』

『ああ、ただ事ではないな。』

琥珀主と共に今回の呼び出しで西境の島に

来ていたヤ・シャとカァ・ウェンは

お役目の最中、急に飛び立っていった主を

追いかけるべく転変して宙をかけた。

深い蒼に輝く龍と鋼のように黒光りしている龍。

龍ならではの感応力で言葉を交わすと

2柱の龍はともに歯を食いしばりながら

全速力で主を追いかけた。

 

 

 

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幕を開けてしまった以上がんばりまっす。

気長についてきてくださいまし。