第4部 龍王たちの伝説

第2章、幕開け・・・目覚めて後の

 

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「お、お帰りなさいませ。」

「何があった?」

「は?いえ特に何も変わったことは・・・」

宮を揺るがすような勢いで飛び込んできた龍神を

慌てて出迎えた木霊出身の主席眷属は、

問われた意味が分からず呆然とする。

もっとも、答えを口にしたときにはすでに主の姿は

宮の奥に消えていて、玉は出迎えた時に向けられた

その一瞬の眼光に射抜かれたかのように

身を震わせ立ち尽くしていた。

遅れて主を追いかけてきた2柱の龍が

目にしたのはまるで金縛りにあったかの

ように突っ立っている主席眷属で、彼らは

宮の上空で人型に転変すると

そのまま木霊の前に飛び降りる。

「何が、あった?」

切れた息を整えるのももどかしげに

問われれた内容に

玉ははっとしたかのように我に返る。

「そ、それを聞きたいのはこちらです。

いったいどうされたのですか?」

「だから、何かあったのだろう?」

「何かといわれましても・・・」

別に何もと、訝しげに首を傾げた木霊神は

両手を広げて周囲を指し示した。

「先程主様も同じようなことを

問われて宮に入っていかれました。

いったいどうされたのです?」

玉の言葉の通り視線を巡らせてみても

森も宮も滞りなく、いつもと

同じ平穏な空気に包まれていて

蒼と黒の龍は顔を見合わせる。

「どう、といわれても、な。」

ヤ・シャが右手を自身の頭に入れ、

青い短髪を突っ立てながらカァ・ウェンを見やる。

「お役目の最中、殿下がいきなり転変されて

馳せ戻られたのだ。ここで何事か起きたのだと

思ったのだが・・・」

カァ・ウェンはそういうと、顔を顰め

一番あっては欲しくないことを問うた。

「姫君方はいかがされている?」

「千尋姫命様はちぃ姫君の御元におられるはずですが、

ま、まさか、姫様に何事か・・・」

言うなり、玉は蒼白になり踵を返して駆け出していく。

確かにあの主をあそこまで度を失わせることが

出来るのは、ただ一人の女性で

その女性はこの宮の最奥に位置する場所に

生まれたばかりの和子とともにいるはずなのだ。

2柱の龍も視線を交えると、厳しい顔つきで

玉の後に続いていった。

 

・・・・・・・・・・・・・・

 

「千尋!」

この森の主夫妻の寝室からしか入れない奥の部屋。

迷わずそこに飛び込んだ龍神が目にしたのは

涙にくれながら小さなベッドに

すがり付いている愛妻の姿だった。

「はくっ、ああ、はく。」

怒鳴るような呼びかけにハッと顔をあげ、

くしゃくしゃの顔で走りよってきた千尋を抱きとめると

琥珀主は気遣わしげに顔を覗き込む。

「千尋?」

とりあえず千尋に何事もなかったことに

安堵したものの、このように動転している様は、

初めてで、やはり側を離れるべきではなかったと

琥珀主は歯噛みをしながら、静かに問う。

「千尋、なにがあったの?」

「ごめんなさい、ごめんなさい、はく。

琉玲(リュウレイ)が、琉玲が変なの。

わたし、ずっと側にいたのに。

ああ、はく、琉玲を助けて。」

「?」

部屋の中央に置かれている小さなベッドから、

部屋に入った瞬間にはいつもと同じ気を感じていた

琥珀主は、泣きじゃくる妻をそっと横に置くと、

訝しげにベッドに近寄る。

姫君らしく桜色の薄絹でできた天蓋をのけ

中を覗き込んだ瞬間、龍神はハッと息を呑む。

そして、僅かに眉を寄せるとそっと指を伸ばした。

 

カツンンン・・・・・・

 

ほんの少し指先の爪が触れただけなのに

奏でる音はどこまでも透明に響き渡って。

その波動が消え去るまで、静寂だけが

子ども部屋を支配する。

 

・・・ああ、琉玲。そなたもなのか・・・

 

そうして、龍神は縋るような

視線を向けてくる妻を振り返り

気づかれないくらい僅かな間を置くと、

安心させるように微笑んだ。

「おいで。」

「ああ、はく。」

慌てて駆け寄ってきた千尋を胸に抱くと

琥珀主は視線を娘に向けたまま静かに話し出した。

「すまない千尋。そなたを心配させてしまって。

説明しておかなかった私のミスだ。」

琥珀主は千尋の涙をそっと拭うと傍らの長椅子に導く。

「はく?」

「心配しなくても大丈夫だよ。

琉玲は 龍玉石の眠りについたのだ。」

琥珀主が留守の間、胸が張り裂けるような

思いをしていたのだろう。

いまだ、小刻みに震えている

千尋の髪をそっと撫で下ろす。

「りゅうぎょくせきの眠り?」

見開いた瞳からポロリと零れ落ちた

涙をもう一度拭うと、龍神は妻を

胸に押し付け、頭上から続けた。

「そう、龍玉石の眠り。

私も子どもの頃には

このように眠っていたのだ。」

手足をまるで子宮の中にいるかのように小さく縮め、

半透明の薄い、しかし、金剛石以上の硬さを持つ

膜に包まれて、石のごとく眠りを貪る我が子。

石と同体となり呼吸さえも

していないかのように見える小さな小さな娘。

「龍の子どもは、みんなこんなふうに眠るの?」

琥珀主の胸の鼓動を聞きながら少しは

落ち着いてきたのだろう。

千尋は涙声ながら驚いたように問うた。

「そう、だね。みんながみんなではないけれど。

こういう風に眠りにつく子もいるのだよ。」

「ほんとに病気とかじゃないの?」

「大丈夫。次に目覚めたときは、もっと大きく

美しく成長しているよ。楽しみにしておいで。」

「で、でも、どの位?どの位で目が覚めるの?」

母親としての心配は千尋としては当たり前で、

次々に浮かぶ疑問の中、今度の問いに

首を振る夫に、みるみる涙が溜まっていく。

「ああ。泣かないで千尋。本当に大丈夫なんだよ。」

「こればかりは、龍によって差があって。

どれほどの年月を眠ることになるのか、

私にもわからない。」

「だって、ああ、こんなに小さいのに。

まだ生まれてからほんの

少ししかたっていないのに。

もう、抱くこともできないの?そんなの・・・」

生まれたての和子に対する執着は、

世話はいらないといわれても、

納得できる事ではなく、

ベッドに石のように硬い殻に包まれて

ピクとも動かなくなった我が子を見つけてからの

心配と心労で 神経も高ぶっているのだろう。

千尋は涙をぽろぽろ零して言い募りながら、

しかしその身体はだんだんと脱力していく。

「すまない。だけど今はただ静かに。」

そういうと、琥珀主は、妻を抱き上げ寝室へと向かう。

「時がくれば自然と目が覚めるから。」

ゆっくりと褥の中央に横たわらせると、

なすがままになっている千尋の傍らに添う。

「少し、休みなさい。そなたが琉玲にずっと ついていたように

今宵は私がそなたについていよう。琉玲も、そなたの体を

気遣って龍玉石の眠りについたのかもしれないよ。」

「はく・・・」

静かに髪を撫でつづける手の感触に、夫の胸に顔を埋めて

震えていた若い母親は、やがてゆっくりと眠りに落ちていった。

 

・・・そう、今はただ静かにお休み・・・

 

そっと身を起こした琥珀主は、涙の残る妻の額に

口付けると、そのまま静かに奥の部屋に赴いた。

そうして、ベットの中で石になったかのように

眠っている娘をじっと見おろす。

 

秋津島の小さな森のいち守護神にすぎない我に

ありえるはずがないと思っていた。

この娘が生まれた瞬間の気を感じながら、

それでもありえぬ、と。

この力は竜王の直系にのみ現れ、

その末には広がらぬはずなのだから、と。

だが、なぜ・・・

 

竜王一族の中でも直系のしかも力を受け継ぐに

足るものにのみ顕れる御徴(みしるし)を

背負った娘の運命を思い、父は深いため息をつく。

琥珀主は 我が子にそっと手をのばし、

温石のように暖かく、しかし硬い殻を被っているその頬に

手を添えると、静かな祈りとともに、自身の想いを伝える。

 

今は何も考えず 眠りの内に憩うがよい。

我は、そなたとそなたの母のために 

全力でその眠りを守ろう。

平穏な時の中、健やかに 

目覚めの時を迎えることができるように。

そなたに申しおくはただ一つ。

『母を 泣かすことなかれ。』

 

琥珀主は、そっと我が子を抱き上げると

自身の持つ最強の結界の内に連れて行く。

かつて、仮の主にすぎなかったときも東の竜王弟でさえ、

破る事が出来なかったほどの結界の施された場所。

千尋を妻にし、また我が子がこの世で最初に

その命を芽吹かせた龍穴の泉の内。

琥珀主は奥の部屋に繋がる扉を龍穴に直結させる。

そうして、神力でもって子ども部屋をそっくり移してしまうと

腕の中の娘を先程まで寝ていた寝台にそっと下ろした。

 

「母を 泣かすことなかれ。」

 

白い光の満ちる空間に響き渡った言霊の中

龍女王たる力を秘めた子の父は、

龍穴の泉に封印を施したのだ。

 

 

 

そうして、

生まれて三月の龍の姫君は

次に目覚めるそのときまで

龍穴の中に隠され続けることとなる。

 

 

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お待たせしました。

やっとお二人のお子様の御登場です。

と思ったら、もう神隠しされちゃったし。

改めまして、お子様のご紹介

(という名の言い訳)をさせていただきます。

 

性別・女性

ご芳名・琉玲(りゅうれい)

(または、りぅ・りんと発音されることも)

意味・ 美しい音を響かせる宝玉。

その瞳の色から、琉は瑠と置き換えられることもあります。

また、大人になってからは、その美しさを称えて時に

瓏玲(=光り輝くの意がある)

と称されることもあったとか。

なお、親しいものの間では

レイと略して呼ばれることもあります。

ちなみに、役職も何もない今の段階では

神名はつきません。

 

 

なお、龍玉石の眠りについては第1部設定集にも説明してあります。

(まあ、読まなくても支障はありませんが。)