100のお題 088. 万華鏡

(千と千尋の神隠しより)

 

第4部竜王たちの伝説 

間章3

 

万華鏡

 

くるくるくると、めまぐるしく流れる時の中。

かつて地にあり神と呼ばれた存在は、

大いなるまどろみの中で地上の営みを夢に見る。

それは一瞬の中の永遠。

 

 

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『いやな予感がする。今日はお前たちの会社事業の全部を休みにして

従業員を自宅待機にさせろ。それと一族のもの総てをこの屋敷に呼んどけ。』

有史以来初めてともいえる巨大な暴風雨と磁気嵐を伴う天災の数時間前、

まさに獣のごとく危険を嗅ぎわけた稲荷神は、

屋敷の当主にそう告げると奇妙な静けさに満ちる空を見上げ続けている。

そうして、急激に崩れる天候に、あれよという間に一切の文明の利器が

無力化し外部と遮断され孤立化してしまった家々の中でも、格段に大きな

権勢を誇示するかのような屋敷の内を囲うように全身の力で結界を張った。

「俊也、南帆子を連れてこっちに移れ。

それと急いで和也と連絡を取って全員屋敷から出るなと伝えろ。」

「リン様、いったい何事なのですか?」

今までにない奇妙なお告げに戸惑いながらも従った人間たちの当主は

切迫した屋敷守の神の表情(かお)に狼狽しつつ、

答えのないまま歩き出した女神に慌てて付き従う。

そうして、奥座敷に臥せっている小柄な母を抱きかかえると

稲荷女神の無言の指示の元、屋敷の一角を占める小さな

しかし惜しみなく金銭をかけてある豪奢な社のすぐ側に床を取った。

「南帆子、大丈夫か?」

「このような所へお床をいただくなど勿体のうございます。」

数年前に連れ合いを失ってからめっきり衰えて寝たり起きたりの生活に

なってしまった前当主であった老婦人は、それでも生まれつきの品のよさは失わず、

心配げに覗き込む屋敷神に申し訳なさそうに微笑むと身体を起そうと肘をついた。

「いいからお前は寝てろ。俊也、南帆子は俺に任せて

みんなの様子を見て来い。絶対屋敷から出るなよ。」

「リン様、いったい何事なのですか?」

同じ問いを繰り返した白髪の当主に屋敷守の稲荷神は苦い顔で吐き捨てる。

「事情はわからんが、やつのしわざだ。」

「は?やつ、と申されますと?」

「いいから行け。」

不審顔で仰ぎ見ている人間たちをそのままに社の内に戻った稲荷女神は

ぐっと親指の爪を噛みながらいらいらと口の中で呟く。

「何考えてやがる。上位神が暴走するなど国を潰すつもりか。」

「何があった?やつがこうまで我を忘れるなんて。」

答えは自ずと一つしかないことを悟りながらも、まさかと稲荷女神は首を振る。

「そんなはずはない。ありえないだろ。せんになにかある、なんて。」

そうして、自身の守護地を通り抜けこの暴走する力の発信源たる

標の森の方角をにらみ付けるように顔をあげた。

この暴走を鎮めることの出来るのはただ一つの存在。

どうして何もしない?

なぜ手をこまねいている?

まさか・・・

 

 

 

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はたと一切の動きが止まった玉座の間。

その中心たる東の竜王その人さえもまるで

正確無比の彫刻と化したかのような永遠の狭間。

「竜泉!」

「はっ。」

かつてない切迫した声の波動が玉座の間に満ちる。

瞬間、竜王の結界に守られているはずの

海底の宮城がぐらりと大きく波打った。

驚愕に悲鳴をあげバランスを失って倒れ伏す廷臣たちの只中

唯一姿勢を崩さなかった竜王とその弟は

視線を合わせると頷き交わす。

「頼む。」

「はっ。」

そうして、海水色の瞳をプリズムに染め

踵を返した弟の背を見送りながら

竜王はこの騒ぎの源に思いを馳せ

ゆっくりと深いため息を吐いたのだった。

 

 

 

 

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「いや。よい。私自身が運ぶ。」

「ですが。」

上司にこのような物を運ばせるなど

矜持に係わるといわんばかりに

食い下がる下級武神をふっと視線で撫でた洸差は

微かに嘲笑するかのように口角を上げる。

「呪いを受けたいというのならば止めぬが、な。」

「呪い?」

「龍王の祟りなんぞ貰う物ではないぞ。」

「は?」

つい先ごろ東宮に上がったばかりの

下っ端の番兵は訝しげな顔を傾げ、

どう見ても平凡な人間の女にしか見えぬ物体と

それを手ずから運んでいるこの宮の現仮の主の

側近中の側近を交互に見やる。

そんな新人の混乱など知らぬげに

腕の中の娘をそっと抱えなおすと

頬に傷を持つ武神はゆっくりと

主の待つ謁見の間に歩いていった。

 

 

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くるくるくると、めまぐるしく流れる時の中。

巨大な俯瞰図に瞼なき瞳を閉じてゆったりと

笑ったのは、誰であったのだろうか。

その傍らにあって地上のことなど知らぬげに

微かに歌声が響いていたこともなお

気のせいであったかもしれない。

 

 

 

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