第4部龍王たちの伝説

第4章 水晶宮・・・女王様の帰還

 

 

『時 至(いた)れり』

峻厳な岩肌に響き渡る荘厳な音(ね)。

いかなる鳥も越えられぬほどの高い頂と

いかなる獣も渡ることが敵わぬ深い谷底を頂いた

巨大な山塊を根底から揺るがさんばかりの響き。

瞬間、何者かがこの岩棚から舞い飛んで、

そうして咆哮のごとき鳴動が

ようやく鎮まったときには

まるで末世後の闇世界のごとく

荒涼とした静けさだけが残されていた。

 

 

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「只今戻りました。」

グリーンに金が散りばめられた瞳を伏せたまま、洸差は

可視できぬほどの高さと広がりを持つ謁見の間の

中央に置かれた金と鋼玉でできた玉座に座る主の前に平伏する。

「ほう。姫は生まれて十年足らずと聞いたが間違いか?」

足を組みふんぞり返ったまま右手で頬づえをついた主の視線は

洸差の前に寝かせ置かれた出自人の子に注がれていて、

皮肉げな笑みを含んだ声音に洸差は一瞬上げた顔を再び伏せた。

「これがあれ、か?」

「はい。」

「・・・たいした女とも思えぬが。」

「なれど、間違いなく。」

「それで?」

「ご準備を。」

「婚儀のならば、な。」

四海竜王の長である東海竜王の第一公子。

その生まれゆえに持つ高い矜持に相応しく傲慢までに不遜な口調と

確かに伴う実力は、水晶宮を支配する四柱の竜王の並み居る一族の中では

飛びぬけていて、その姿形は父である東海竜王にそっくりとも言われている。

「太子。」

しかし、それもこの主にとっては腹立たしいほどの屈辱の証であって。

「姫の母御前を押さえた以上、利はこちらにあります。」

ゆえに、と続けられるはずであった言葉は主の皮肉げな声に遮られた。

「龍王姫と申すはこれと引き換えられる程度のものなのか。」

目の前の主は徐に立ち上がると、足音を立てぬままふわりと

昏々と眠ったままの女のすぐ傍に降り立つ。

「触れてはなりません。」

主の伸ばしかけた腕と虜囚の間に割ってはいると洸差は

至近から主の黒曜石の瞳を見据えた。

「すでにお分かりでありましょう。この娘にかけられた

呪い自体、かの公子の執着ぶりを示す顕かな印。」

「つまらんな。」

「太子。」

「のけ。」

瞬間、洸差の体は弾き飛ばされ一瞬意識が暗転する。

くっ・・・

頭を振って気を取り戻すとすでに腕の中に収めた娘の

顎に手をそえ、まじまじと見つめる主がいて。

「ふむ。ちゃちな呪いだがお前たち程度のものには

確かに効果的ではあろうな。」

「・・・太子。」

かの公子の呪いなど歯牙にもかけぬ傲慢さは

確かにその力からすればさもありなんと。

「だが、確かに面白い娘だ。大地と海の印が額に刻まれているだけでなく

きゃつの龍玉でありながら水と火と風の寵愛も受けているとはな。」

まじまじと唇が触れそうなほど間近で見ている主の姿に

つい先程、トンネルの中で見たかの公子の顔が被さる。

瞬間はらわたが捩れるような恐怖を感じ、洸差はとっさに叫んだ。

「太子・・・太子、なりません。この方は龍王姫の母君です。」

「わかっておるわ。」

懸命に膝を立て振り絞るように声を上げる洸差を不快げに見やった主は

もう一度腕の中の娘を一瞥し、そのままふわりと手を離す。

そうして、娘の栗色の髪が音もなく舞い落ちる瞬間に転移した主は

洸差が瞬きする間もなく、サファイアで縁取られた

黄金の玉座に前と同じ姿勢で座っていた。

「・・・申し訳ありません。」

「何を謝る。」

「余計な危惧でございました。」

かの公子が掌中の珠のごとく慈しんでいた人間の妻。

夢もない暗黒の眠りについている女には

まるで疫病のごとく触れたもの総てに降りかかる

公子の呪いが纏わりついている。

刻一刻と命を削っていく祟りじみた穢れを広げまいと

他の誰にも触れさせず連れては来たものの、

並みのものには命取りになるであろう呪いさえ

東海竜王家の継嗣には通用しないようで、

洸差は密かに安堵のため息をついた。

同時にこれほどの力を有しながらも、

しかし、竜王と呼ぶことのできぬ

理不尽さに洸差は唇をかみ締める。

東海竜王がゼイコツに入りその力が封印されてより

バランスが崩れた四海竜王家。

その隙をつこうと崑崙中の神々が窺っている今、

一刻も早く玉座を埋めることをこそ肝心なのに。

表に出なくなって久しい四海竜王に変わり

実質その責務を背負ってきたのはその次代の公子たちで

その中でも長たるに相応しいと誰もが認めるはずの目の前の主は、

しかし玉京に居ます海千山千の神々によりその戴冠を阻まれている。

竜王の証を持たぬものに資格なし、と。

曰く、竜王の位は『竜王』が継ぐべし、と。

しかし・・・

「ふん。幼い姫に頼らねばならぬような玉座など

得られたところで何ほどの価値があろうか。」

「・・・」

一瞬絶句した洸差はしかし気強く言い返す。

「何を仰せになります。太子のお力をこそ

玉座につくに相応しいではありませんか。」

「お前はそればかりだな。」

「太子。もはや、後には引けぬことです。

母御前を押さえている以上有利にことをすすめるのは易いはず。

どうぞ、力づくなり、交渉なり、太子のお心のままにご準備を。」

「きゃつが来るか?」

「間違いなく。」

「ふん。ならばよい退屈しのぎにはなろうか。」

そういうと、緊張の欠片もなくふらりと立ち上がった主は

洸差の目の前の人間に視線を落とす。

「来なければ、来ないでもよいがな。」

「は?」

「このものにもう一度竜王を産ませるという手もあるゆえ。」

「・・・ご冗談を。」

「竜王姫の夫であろうと竜王の父であろうと

玉座のすわり心地は変わらぬだろうさ。」

そう言うと、冷や汗を滲ませる洸差を一瞥し

東海竜王家の東瑛太子と呼ばれる竜は

つとその場から姿を消したのだった。

 

 

 

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第4章ようやく始動。

長らくお待たせしました。

今回の騒ぎの元凶様、御登場です。

東海竜王ゴウコウの第一公子。

ゴウエイ様。

東瑛太子(とうえいたいし)と呼ばれていた方です。

ちなみに太子とは日本で言う皇太子のこと。

お世継ぎの若様の称号です。

象徴である四海竜王に代わってここ何百年の間

水晶宮に君臨し、なおかつ天帝の臣下として

玉京でも大きな勢力を振るってきましたが

父君のゼイコツによりその地位は揺らいでいます。

今のところ、ちょっと拗ね拗ねモードですが

基本的に真面目な苦労性。

落ち目の崑崙を何とか立て直そうと

一生懸命お仕事をしてきた方なのです。

なかなか報われていませんけれど・・・

彼からすれば秋津島にいる琥珀の苦労など

遊んでいるようにしか見えないのかも。

本質、名より実を取る方なのですけれど

そうも言っていられなくなってしまいました。

水晶宮が揺らぐことはすなわち玉京の乱れにつながります。

そしてそれは神々の凋落にも・・・

これを機に自身の勢力を広げようと暗躍する神々に

対抗するため一刻も早く玉座に就く必要があったりするのでした。

 

*ゼイコツ・・・竜の脱皮のようなもの。一般の竜にもある現象ですが

彼らには数年単位ですむゼイコツも竜王ほどの竜ともなれば

一種の死に近い千年単位で眠りが必要になります。

その間ほとんど無防備になるため身を隠して行われるのだとか。

当然その間竜王の玉座は空になりますのでこうした竜族の力が弱まる時を狙って

他の神々が戦を仕掛けてくることがままあります。

まあ、他の竜王とは違い四海竜王一族ともなれば

そう簡単には戦を仕掛けられないとは思いますが。