第4部龍王たちの伝説

第3章定律・・・水の流れのごとく

 

キィ

 

生きるものの気配がコトリともしない森の一角に

小さな音が響き渡る。

呪が施された巨大な扉の、下からほんの数十センチ上に

プクリとした指がかけられる。

そうして、まるでおもちゃの家の扉を開けるがごとき気軽さで

小さくてそして、とてつもなく大きな生き物が

僅かな隙間からするりと抜け出した。

ヒタヒタと、音のない音を響かせて

足裏に生まれて始めての草地の感触を味わいながら

小さな足が大地を踏みしめ、迷うことなく歩をすすめていく。

 

カサリ

 

そうして、この森の中でも一段と太古の息吹を伝えている

巨木の根元にやってくると、ちょこんと無造作に腰を下ろした。

紅葉のようなと形容するに相応しい指が

露草色の直衣をつんつんと引っ張りながら

トテンと後ろに寄りかかる。そうして

置物と見まごうほどに気配を消して、

巨木の根元に結跏趺坐を組んでいた森の主の

膝の真ん中に座り込んだ童女は、

楽しそうに鼻歌を歌いだした。

 

聞いたことのある旋律に、森の主はつと

指をあげて、静かにというように小さな唇に触れる。

「そなたは、寝ていなさい。」

「母様のお歌がなければ眠れないの。」

母がよくピアノで聞かせてくれた曲を区切りのよいところで

止めると、生まれてから十年はたっているはずの龍の娘は

幼子のごときあどけない口調でおっとりと言う。

不思議なことに口調に相応しくその姿さえ、

3つに足りないほどの童女(わらわめ)のままで。

否、否。

龍玉石の眠りの不思議の前には

世の理など関係などないものなのであろう。

印を解いた父神は、目の前の幼子の肩に

揃えられた髪にゆっくりと手を伸ばす。

「ごめんなさい、父様。」

「何が?」

優しい仕草に幼子は小さく眉を寄せ

困ったように見上げてきて。

「私の髪、母様のように柔らかくないの。」

「仕方があるまい。そなたは龍ゆえ。」

一本一本がまるで生まれたばかりの朝日に輝く雪のごとき

銀の光を放つ髪は、こしが強く、

手にビロードのごとき感触を伝えてきて

色はともかくその質は父譲りのものなのだ。

掴もうとしても手の中からさらさらと零れ落ちてしまうその髪は

龍身となったそのときには美しい銀の鬣として光り輝くのだろう。

そうして、辺り一帯を染めるがごとき瑠璃色の瞳。

その色ばかりは、姿かたちを裏切って強い光を放っていて。

「母様の代わりに父の歌で我慢してはくれまいか。」

銀の髪をゆっくりと撫でおろしながら父神は言う。

「いや。」

そうして、幼子は父の膝の中で身体を起こし

姿かたちを裏切っている瞳を慙愧に染める。

「母様が連れて行かれてしまったの私のせいだから。」

父はつと瞼を閉じると殊更静かな声音で重ねた。

「それゆえに、なおさらそなたは眠っていなさい。」

「いや。」

幼児特有の甲高い声で幼子は叫ぶ。

「私は大丈夫。お願い父様、母様をお探し申し上げて。」

「父様は私のためにここに残られているのでしょう?」

しかし、父龍はゆっくりと確かな意思を持って首を振る。

「やつらの狙いがそなたならば、結界から

このように出てくること自体、やつらの思う壺だと

解らぬそなたでもあるまいに。」

「それに。」

父龍は今にも泣きそうな幼子を優しく抱きよせ、

その顎を銀の光に埋めて呟いた。

「千尋との約束がある。」

・・・我が父のように、この秋津島を作った根源神のように

妻と子をはかりにかけてどちらかを選ぶようなことをするな、と・・・

「そなたが、宿る前からの約束だ。違えるつもりはない。」

「でも・・・」

「大丈夫。千尋は必ず我らが元に取り戻す。」

我は二つ共に手を離すつもりはないのだから、と。

幼子はそんな父神を振り仰ぐと泣きべそをかいている様な声で言う。

「でも・・・母様の気配が国中に散っている。」

「気にすることはない。あれは千尋であって千尋ではないから。」

「・・・うん。」

それから、父と子は口を閉じると期せずして同じ仕草で

首を傾け、秋津島の気配を探るべく耳を澄ませた。

 

高い峰々やら湖の底やら、地の下やら草の陰やら

秋津島の四方(よも)至るところから聞こえくる波動。

・・・ワタシハココヨ。タスケテ、と。

しかし、

千尋を追い求める眷属達や秋津島の霊霊たちが

手を伸ばした瞬間に、はかなく舞い散るその波動に

偽者とはわかっていても胸の鼓動は悲鳴を上げて。

航空機の発着も、船の離着岸もできぬほどの、

総ての通信交通網が麻痺するほどの、

風と雷を伴う磁気嵐に覆われた秋津島の人間界の

驚き惑うパニックに満ちた悲鳴も合わさって。

硬い結界に覆われた秋津島の喧々囂々とした騒がしさに

顔を顰めた幼子は、一転して静けさに満ちる森に舞い戻ると

小首をかしげて父を見上げた。

 

「父様、やっぱり母様どこにもいらっしゃらない。」

「そうだな。」

「母様、どこ?」

今にも泣きそうな幼子は、いやいやをするように首を振る。

「もう少し待ちなさい。ツェンたちが戻るまで。」

翡翠の瞳に宿る光をじっと見上げた幼子は

零れ落ちそうな涙を呑むとこくりと頷き

それきり静かに座っていた。

 

 

 

 

 

 

「殿下。」

ほどなく、期せずして4柱の竜が、主の下に帰参する。

四方八方に散っていた眷属達もまた時を同じくして。

平伏したまま述べられる報告はみな同じもので、

表面上静かに報告を聞いていた龍王は、しかし

少年型の竜が震える手で差し出したものを見た瞬間

一瞬にして、その瞳を憤怒に染める。

少年型の竜の手に握られた艶やかな栗色の髪。

それは、まぎれもなくこの森の女主のもので

魂が砕けるほどの狂気に満ちた金の光を

差し出した本人さえも覗き込む勇気がなく、

この龍神の前にひれ伏しているものら総てが

金縛りにあったがごとく固ずを呑んで時を待つ。

 

と、

「父様。」

森に木霊する幼い声。

その言霊が発せられた瞬間。

確かに、この森は鳴動したのだ。

そうして、出自崑崙の竜たちのみならず

この森の主に仕える総ての眷属達は

その声を耳にしたと同時に主の掛けていた術が解け

まるで夢から覚めたかのように驚愕に目を見開いた。

 

そう・・・

千尋姫命が産み参らせた姫龍は生まれて3月で

徹底的に隠されて、近しい眷属達からさえも、

その意識から存在を遠ざけられた。

誰一人、まるで最初からいなかったがごとく

意識に乗せることがなくなって、

父たる龍と母たる人間の娘の間にのみ

存在することとなったのだ。

ゆえに、それ以降、噂にさえも上らずに

最初の頃こそ、秋津島の神々の間に

思い出したように流れる噂があったが

聞かぬ話に蛭子ででもあったのだろうと、

次第に次第に忘れ去られていって。

 

そして今・・・

「父様。」

目の前にある光景にようやく武闘神たちも得心がいったのだ。

崑崙の水晶宮の狙いはなんであったのか。

なぜ、無謀にも、捨てたはずの末の公子に拘って

挙句の果てに、その妻を攫うなどというまねをしたのか、と。

そう、狙いは、この世に降誕せしめた女龍王。

いまだ幼く、その力が安定していない龍王姫。

そうして、噂に聞こえた東海青龍王のゼイコツ。

ここしばらくの混乱の原因は、まさにココにあったのだと。

そう、四海竜王の長兄がいない今、この姫龍の力を得さえすれば、

水晶宮とてその手中にするは易かろう、と。

しかし・・・

 

眷属達の驚愕と畏怖に満ちた沈黙など意識の端にも

置かぬかのように、幼い龍女王は、父の手を取る。

「父様、早く。」

「母様、きっとお泣きになっていらっしゃる。」

幼い手に促されるまま立ち上がった父龍も

眼前の娘しか目に入らぬかのように静かに応える。

「千尋は泣かないよ。自分のことでは。」

「なら、代わりに私が泣きます。」

綺麗な綺麗なお髪だったのに。

母様のお背中にゆらゆらと揺れている

お髪を眺めるのが大好きだったのに。

「そなたも、泣いてはいけない。

そなたが泣くと千尋が泣いてしまうからね。」

そうして、小さな姫龍の脇を抱え上げ

ひょいと自身の左肩に乗せた龍王は

ひれ伏している眷属達を一渡り眺め渡すと、

ゆっくりと視線をうつし

そのまま視線を森の一角に固定した。

「秋津島のいずこにも千尋の姿はなかったとな。」

「はっ。」

主の低い問いかけに、武闘神たちは一様に頷く。

「この髪を持っていたものは?」

「追い詰めたものの、その場で自ら消失いたしました。」

「・・・」

シンと静まり返った森の中。

森の主は、肩に乗せた小さな娘を見上げた。

「いや。」

父神が言葉を発するより早く瑠璃の瞳が拒絶を吐く。

「私も行く。」

「琉玲。」

「母様がお戻りになるまで眠らない。」

「意思を曲げぬところは千尋そっくりだな。」

森の主は、苦笑するかのように口角を上げる。

「ならば、一緒に母様を探しに参ろうか。」

そうして、秋津島上位神たる森の主は、視線を戻すと

表情を一変させ、自身の眷属達に必要な指示を与えると、

肩に娘を乗せたまま、狭間のトンネルに向かったのだった。

 

 

 

 

「千尋に触れたもの一人とて許さぬ。

千尋の涙の一滴(ひとしずく)が

古の予言の実現となること刻み置け。」

呪言を吸い込みながら崩れゆく狭間のトンネルに、

一歩が及ばなかった父と子は、

翡翠と瑠璃の光に同じ色を乗せる。

そうして、

「父様、私も参ります。」

あどけなさ消し去った幼ない声に

その本質を露わにした龍王姫は

総てを見通すかのような深い眼差しで呟く。

「私自身の手で、決着をつけなければ。」

そんな幼子を黙って見つめた父龍は、

しばらくの沈黙の後、深いため息と共に頷くと、

「そなたの望みどおりに。」

かつてその母へ捧げたものと同じ言霊を発したのだった。

 

 

 

 

 

 

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「レイちゃんの活躍が楽しみです。」

とコメントをくださった大勢の皆さま、お待たせしました。

ここにきて、ようやくご登場でっす。

次章、レイちゃん大活躍。

主役は誰だってなもんだ。(の予定)

それにしても、

基本的にハク様、一人娘に甘い模様。

外見は全く似てない親子なのにね。

 

はい、ここでおさらい

龍王姫  琉玲(りゅうれい)

銀髪

瑠璃色の瞳

外見年齢3歳児

(実質年齢10歳と5ヶ月)

その力  未知数

誕生から3ヶ月にして泉の龍穴に封印され

父母以外から、その存在は忘れ去られる。

(という術を父がかけたらしい)

もっとも、一番ばれたくなかった場所に

なぜかばれていましたけど。