第4部龍王たちの伝説

 

第3章定律・・・水の流れのごとく

 

 

時は10年ほど前に遡る。

秋津島より東方に広がる海を支配する

東の竜王の居城のとある一室での出来事。

 

 

「ほう!」

サーガ王妃は熱心に便りを

読んでいる夫の声に目をあげた。

しかし、そんな王妃の様子に気付くことなく

文に没頭しているところをみると、

無意識のものであったのだろう。

美しい金髪を久方ぶりに結い上げている

王妃は、珍しいこともあるものだと

首をかしげて夫の様子を見守る。

と、ようやく顔をあげた東の竜王は、

口元の嬉しげな笑みとは裏腹に、

まるで困惑しているかのように眉を寄せていて。

この竜王がその心情を推し量れるような

表情をみせるのは、長年連れ添った

愛妃の前だけではあるのだが、

それでもこうまであからさまな顔をみせることは

めずらしい事態で サーガ王妃は少し驚く。

「どうかなさいましたの?琥珀はなんと?」

竜王は、そんな王妃を手招くと

胸に抱き寄せ、徐に髪を

結い上げている簪(かんざし)を抜き取ってしまう。

とたんにぱさっと流れ落ちた髪に

慌てて手を当てると王妃は

うらめしそうにため息をついた。

「もう!女官達が一生懸命結い上げてくれたのですよ。

メライが会心の出来だと申していましたのに。」

「そなたは、髪を流していた方が似合う。」

まあ、と眉を上げた王妃は僅かに頬を赤らめ

わざとらしくため息をついてみせる。

「昨日は私の項(うなじ)が見たいと

おっしゃっておりましたのに。」

そんな気紛れな悪戯に慣れている

王妃は、甘える仕草で胸を軽くはたき、

そうして、もう一度同じ質問をした。

「琥珀はなんと?」

竜王は愛妃の豊かな黄金の髪を 手ですくっては

さらさらと零れ落とすような手慰みを繰り返す。

そんな他愛のない手遊びに没頭しているかのような

夫に、しかしそうではないことを敏感に感じた

サーガ王妃はチラッと夫を見上げた。

「あやつの子が龍玉石の眠りにはいったとか。」

一瞬、意味をつかめなかった王妃は面食らったように瞬く。

しかし、かの琥珀自身もそうであったと思いあたると

「まあ、おめでたい事ではありませんか。」

にっこりと微笑んだ王妃にかすかな苦笑で返した竜王は

どこか、遠くを見通すかのような眼差しで呟いた。

「姫であることはおいておくとしても・・・・」

「なんですの?」

「水晶宮がだまってはおるまい。」

「えっ?」

思いがけない言葉に王妃は目を見開く。

そんな王妃の髪をつかみ

引き寄せるようにして顔を埋めた竜王は

その表情を窺わせない声音で続けた。

「崑崙の竜王家で龍玉石の

眠りについたのは琥珀が最後だ。

水晶宮に君臨する四海竜王の

子は数あれど、ここ数千年の間に

竜王の血筋と力を発現させた

ものは一柱とていないとか。

あれの子がその血を発現させたとなれば・・・」

「で、ですが、それがなんだというのです。

末弟たる琥珀を邪魔にしたのはあちらでしょう。

もはやあの子は秋津島の神。

とうに、縁(えにし)は切れ果てているではありませんか。」

遮るようにして声を高めた愛妃の頭上に

竜王のため息が降り注ぐ。

「子は、力の器(うつわ)ゆえ・・・」

それきりシンと静まり返る部屋に

王妃はふとその瞳を悲しげに伏せた。

「マリエは・・・」

言いかけた言葉を今度は竜王が遮る。

「そのような意味で申したのではない。」

「ですが、約定とはいえマリエをあちらに渡したのは

あの子がお気に召さなかったからなのでしょうか。」

「何を言う。そのような戯言を。まして

そなたを写し取ったかのような娘を

気に入らぬわけがあろうか。」

王妃の寂しげな姿に竜王は慌てたように言い募る。

「だが、西の・・・にはそなたを奪い去った

負い目があったゆえ、

形代としてとられたは仕方があるまい。」

「ですが・・・」

「もう、申すな。あれはあちらで幸せにやっているのだろう。」

「・・・はい。」

無理をして微笑んだ愛妃を胸に竜王はほっと息をつく。

互いの温もりの中、ほどなく気を取り直した王妃は

つと身を離し、先程の話を蒸し返した。

「それで、水晶宮に何か動きがありますの?」

軽く頷いた竜王はその瞳孔を細め、鋭い光を放つ。

「南海経由での情報では広がゼイコツに入ったらしいのだ。

近年、秋津島に大陸からの異形の霊霊(かみがみ)が

流入しているのはそのせいであろう。

四海竜王の長兄がしばしとはいえ、

崑崙の守備を離れ宮に篭るとなれば、周囲が

なにかしら騒がしくなってもおかしくはない。」

が、偶然とはいえ時期が悪い。

心配げに見上げてくる王妃の瞳に竜王は

つと表情を和らげそっとその額に唇をよせる。

しかし、落とされた声音はどこか深刻な響きを含んでいて。

「四海竜王家の影響は、小さなものではないのだよ。」

そう、崑崙の乱れは天の気の流れを乱す。

そうして、それは巡りめぐって、この

海神にも関わってくるのだ、と。

「力の器たる子が産まれたことを知れば

あやつらがどう出るか。ことによると・・・」

それきり黙って考え込んでいる竜王を

人妖の化身たる王妃は心配そうに覗きこむ。

しばしの後、その海水色の瞳をつと細めた竜王は

自身と王妃の気を引き立てるかのように

妻だけに見せる優しい笑みを浮かべた。

「このようなところで考えていたとて埒も明かぬな。

いずれにせよ、琥珀にとってはめでたごと。

目覚めを待って姫御子ともども竜宮に招かねばな。

そなたも、琥珀の子を見たいであろう。」

そんな、竜王に小さな笑みを見せた王妃は、心配げに

曇らせた瞳を閉じ、そっと夫の胸に頬を寄せた。

「ええ、楽しみですわ。」

 

 

 

東の竜宮の奥宮で、相愛の竜王と王妃の間で交わされた

会話は、いまだ秋津島の神々の一人とて知られずに

深い海神の底にたゆたっていったのだった。

 

 

 

 

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波乱の予感