100のお題 069,夢の通い路(千と千尋の神隠しより)

 

龍神シリーズ第4部龍王たちの伝説

間章2

 

「夢の通い路」

 

「お帰りなさいませ。」

出迎えた奥付きの眷属たちが次々と

礼をとる中、秋津島第6位の神格を有する

標の森の主は、ほんの少し眉を寄せた。

「玉。」

「はい。」

「千尋は何処に?」

「奥の院に篭っておられます。」

一の眷属である桜木の神は、頭を下げる。

分かってはいた答えに一段と眉を寄せた龍神は

手を上げ、眷属たちをとどめると

そのまま歩みを止めることなく宮の奥に向かった。

 

歩むにつれ他者の存在の影が薄れ、

シンと静まり返っている龍神の宮の最奥は

森の泉の龍穴と繋げた10年前から

今ではこの森の龍神夫妻の日常の居宮とは

別格の聖なる場として、

奥の院と呼ばれるようになっている。

そうして、この奥の院に立ち入ることの出来るのは

ニギハヤミシルベノコハクヌシとその妻、

千尋姫命のみであるのだ。

琥珀主は寝室の扉をあけると

そこに求めていた気配が無いことを感じ、

ふっと息をはく。

『やはり、向こう、か。』

広い寝室のさらに奥の部屋。

主夫妻以外には見ることさえ敵わない

巨大な観音開きの扉は一面に呪(じゅ)を施した

文様が彫られ、しかしその厳めしいほどの重厚さは

扉を開けたとたん一変して、幾重にも重ねられ

薄い紗が部屋の奥へと垂れ下がっている。

一歩を踏み入れたとたん

別世界に誘うかのような雰囲気は

そこに流れている楽しげな慈しみあふれた

ピアノの音によりさらに強調されていて。

森の主が、手を上げすぃっと指を横に動かすと

さらさらと衣擦れの音をさせながら

垂れ下がっていた紗が次々に左右に巻き上がり

部屋の中心まで一直線に道がつながる。

そうして、流れる気の変化に気付いたのか

白い光の満ちる空間に、浮かぶようにおかれた

小さなベッドのすぐ側にある

ピアノから流れる音が止まったのだ。

「はく、お帰りなさい。」

光と同じ白く輝いているピアノから

栗色の髪をゆらしながら小柄な娘が立ち上がる。

「ずっと、ここに篭っていたの?」

渋い顔の夫に小さく目を瞬かせた千尋は

視線を夫からベッドの主に流すとほんのり微笑んだ。

「ん。お出迎えに出られなくてごめんなさい。

レイがピアノを聴きたがっていたから。」

「今日は、ほんの一瞬だけど目を開けてくれたのよ。

レイちゃんはモーツァルトがお気に入りね。」

「そう。」

龍神は、何心も無く一心に寝入っているように見える

娘をちらっとみると僅かに顔を顰めた。

 

10年前、この娘が龍玉石の眠りについたその日

千尋が夫の腕の中で目覚めたときには

すでに娘を龍穴に封印したあとだった。

未知のことゆえ龍神である夫の処置に文句を言うことも無く

しかして、そのあと、寂しげに扉の前に佇む姿は

まるで幼子の墓前にうな垂れる母のごとくで

そんな千尋を見ることに耐えられなくなったのは琥珀主の方なのだ。

そうして、標の森の龍神は僅か3日で龍穴の封印を解き、

母である千尋にだけは自由に出入りすることができる権を与えた。

当たり前ではあるが、それからは、千尋はこの空間に入り浸っていて。

もちろん、森の女主としてのお役目は曲がりなりにも

果たしている千尋ではあるのだが、

今では森を勝手気ままに逍遥するというような

姿をみることはほとんどなく、日常の自由な時間の

すべては娘に捧げているといっても過言ではない。

森の主と秋津島の上位神補佐のお役目を兼ね

ここしばらく留守がちになっている龍神が思わず

まるでそなたまでをも封印してしまったかのようだ、と

不満を漏らすほど。

外見は硬い膜に覆われ一見すると

玉に彫られた置物のような龍玉石。

その中で眠る龍王姫は

心地よいまどろみと覚醒を繰り返しつつ

真の目覚めのときまで力を蓄え続けている。

身体的には縛り付けられてはいてもその精神は

自由であり、意識だけを世界の果てまで飛ばすことも

出来るのであって、寂しいことなどひとつもないのだと。

封印を施したのもその身を守るためであって

隔離するためなどではないのだと。

琉玲はそなたの愛に育まれ幸せに眠っているのだと。

折にふれ言い聞かせ続けたのは当初だけで、

困ったような笑みとともに

寂しいのは私なの、と

言われてしまっては、いかな琥珀主といえど

愛おしい妻を泣かせることなどできるはずもなく

半分を子に取られてしまったような状況に

顔を顰めつつ耐えている。

 

・・・10年、か。

龍神はため息を吐きながらも母となって

一段と輝きを増した掌中の宝玉を見つめと

「・・・先程弾いていた曲はなんというの?」

瞬間湧き上がってきた衝動から

気を逸らすために、思いついたことを問う。

そんな琥珀主の思いに気づくことなく

千尋は娘に注いでいた視線を夫に向け微笑むと、

「フランスの歌、ああお母さん聞いて、による12の変奏曲ハ長調K.265。」

「?」

「きらきら星変奏曲ともいうの。」

楽しい曲でしょう。

もう一度弾くからはくも一緒に聞いてね。

流れるようにそう言うと、椅子に座りなおして

まるで踊るかのように軽やかに指を走らせはじめたのだ。

「ねえ、はく。」

「なに?」

そうして、その笑みに魅せられたように固まっていた龍神は

はっと心付くと数歩を歩んで妻の側に寄り添うように立つ。

「琉玲が、生まれて10年経つね。」

「・・・ああ。」

先程思ったことと同じことを言われて

龍神は愛おしげに目を細める。

「私がはくと出会ったのもちょうど10歳の時よ。」

「・・・正確に言うともっと前に会っているのだけれど・・・」

何を言い出すのかと首をかしげている龍神に

「・・・ん。でも『はく』として知り合ったのってあの時だもん。」

ピアノの演奏を止めることなく見上げると、はにかむ様に微笑みかける。

「琉玲は眠っているけれど、でもあの時の私と同じ位には

心が育っているのだとしたら、今の私たちを見て

なんて思っているのかしら。」

その瞬間、琥珀主はまるで拘束するかのように妻を抱きしめた。

中途半端に止められた和音が少しずつ静まっていく中

龍神はかすれた声で囁く。

「そなたは、幸せ?」

そんな、龍神の胸の鼓動を感じながら千尋はほんのりと微笑む。

「ええ、とても。」

とても幸せよ。

囁かれた言葉は一面に響き渡って。

「ならば・・・

ならば、琉玲もその気を感じているよ。」

「ん。なら、嬉しい。」

 

白い光の満ちる空間にいっぱいに響き渡っている波動。

かつて、千尋が夢の中で訪ね歩いたどこよりも

愛と慈しみに満ちたこの場所に

切ないほどの幸福がまた溢れる。

そうして、

まるで壊れ物を扱うかのように大切そうに

抱き上げられた母は、すでに娘のことなど

眼中に無い父の手でここから連れ出されてしまって。

シカタナイデスネ。

シバシカシテサシアゲマショウ・・・

父と母から放たれる螺旋を描く光を感じながら

龍王姫たる琉玲は石の中でくすくす笑いを零すと

薄く開けていた瞳を固く閉じて、

夢の世界にまどろんでいったのだった。

 

 

おしまい

 

 

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見ていたのね。レイちゃんったら。

まあ、これ以上はお子様には目の毒になる展開に

なりそうだし、良い子はお父様の精神安定のために

たくさん眠ってさしあげなさい。(なんちゃって)

それにしても

はく様、よく我慢しているねえ。

ちーちゃん、少しは夫君をかまってあげないと

出入り禁止にされちゃうかも。

 

 

つうことで、

祝生誕250周年にあたり

ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト様に敬意を表し

この作品を捧げます。(いらないって)