第4部龍王たちの伝説

 

第3章定律・・・水の流れのごとく

 

 

秋津島に居座ます八百万の神々。

森羅万象、あらゆる自然物に宿り

自然の理を守り育んできた神々。

そんな八百万の神々を導き、

秋津島の進む航路を舵取るは、

地、水、火、風、空を司る

五柱の上位神である。

茫洋たる大海原の只中に

奇跡のように浮かぶ秋津島。

その小さな島々の集合体は、

四季折々の自然の恵みと

原始の豊かさを内に秘め、

地と風と水と火の厳しさに

優しいまでに包まれて、

異なる理を持つ世界からしてみれば

一種危ういバランスを持つ

独特の理により、守護されている。

しかして、ここ数十年の間に

積もり重なってきた小さな異変は

人間が引き起こしてきたそれとは

顕かにその質を異にしていて、

神々の憂慮は深く、

これ以上は見過ごせぬ、と。

纏わりついてくる穢れを祓うために、

新しい風を巻き起こすべし、と。

そうして、若き白龍に白羽の矢が立つ。

すなわち、秋津島第6位を持つ

上位神の誕生である。

 

 

 

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先の出雲の集いから早半年。

上位神補佐に任命された龍神は自身の

プライベート空間である奥宮の中でも

最も寛げる場所でごろりと横になった。

「はくったら。」

春の盛りの庭が最も美しく見える部屋の

窓際に敷いた敷物の上に座っていた

千尋は楽しげに笑うと手慰みにしていた

編み物を横に置き、代わりに膝の上にどさりと

乗ってきた夫の黒髪を手グシで梳き始める。

「すごく疲れているみたいね。」

大丈夫?と穏やかに問うた声に、腰にまわした手に

力を入れることで応えた琥珀主は、それ以上の動きを

見せず、千尋は静かに髪を梳き続けた。

春の日差しがまるでスポットライトを当てるように

二人だけの時間と空間を照らし出す。

どこよりも平和で穏やかなひと時。

やがて、深いため息と共に妻の下腹に埋めていた

顔をあげた琥珀主は、真上から覗き込むように

愛情と慈しみに溢れんばかりの眼差しを注いでいる

妻の顔を引き寄せるとそっと唇を合わせた。

「お帰りなさい。」

「ただいま。」

そうして、ようやく夫婦神は久しぶりの逢瀬の

挨拶を交わし合ったのだった。

 

 

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「琥珀主殿ですか?」

秋津島の神威が及ぶ西の端。

異国との関守も兼ねていた小さな島の主は、

見慣れぬ異国風の甲冑を身に着けた4柱の竜を従え、

自身は古色蒼然たる氷重ねの直衣を纏っただけの白い龍に

困惑と危惧が半々というような眼差しを向ける。

久方ぶりに出現した強大な神力の持ち主。

その眉唾物の噂だけは辺境までも届いてはいたものの

まだ新参者に過ぎない龍神に、秋津島の守りの要を

明け渡すことに躊躇いを覚えぬ筈もなく、

いくら地水火風空を代表する秋津島上位神が、

その力を認め、補佐神に任命しようとも、

心情的に納得もいくはずもないのだ。

しかし・・・

神代の昔から引き継がれてきた西の国境の関守の

役目を担う黒天狗は、深いため息を吐くと

上位神補佐の役目を担う龍についてくるように促した。

「ここです。お分かりになられますか。」

先日、一瞬の隙を突いてまるで禍神(まがつかみ)が通り抜けたがごとく

破られた結界は、応急処置的な修復はしてはいるものの、

異国の神の馴染のない気配を漂わせていて。

神代以来、初めての事態に

忸怩たる思いをしているのは、関守として当然で

破ったものの正体さえも掴めなかった身としては

唯一縋るような思いを持ってこの龍神の到来を

待ち望んでいたのも正直な所なのだ。

琥珀主は硬質な光を黒天狗が指し示した場所に向ける。

人間には何の変哲も無い様に見えるだろう円形に並べられた

白い石は、結界の力を充填すべく呪術的な

配置に置かれていて、そのうちの一つに

最近、顕かに動かされた形跡が残っている。

琥珀主は、微かに眉を顰めると、後ろを振り返った。

「ツェン、そなた跡を辿れるか?」

「かろうじて。ですが急ぎませんと。」

その言葉に頷くと、そのまま行けと命を下す。

壮年の武神は受諾のしるしに片膝をついて頭を下げると

関所破りの妖しの後を追うため、その身を地中に融かし去った。

武神の主(あるじ)はそのまま視線を横に向ける。

「カァ・ウェン。そなた正体をなんと見る?」

「単独での行動だとすればかなりの大物だと思います。」

大昔に秋津島に闊歩していた野武士のごとく

首の辺りでその黒髪を結わえているカァ・ウェンと呼ばれた

黒鋼色の竜は、主をまっすぐに見やった。

「組織だったものだとすれば、水晶宮の手のものかと。」

視線をそのまま背後にむけると、

残りの二柱の武神たちも同意するかのように頷く。

琥珀主は、振り向きざま厳しい眼差しを石に注ぐと

奥歯をかみ締めるようにつと顎を引く。

その視線に促されるように

カァ・ウェンは配列を乱された白い石の根元に

跪くと、手のひらを地面に押し当て呪を唱えた。

瞬間、土の中から煙のような白いものが立ち上り

一つ場所に集まると何かの形を取り始める。

そこにいる5柱の神々が見つめる中、

しかし煙は完全に形が出来上がる前に霧散してしまった。

「やはりだめか。」

眉を顰めたカァ・ウェンに頷いた琥珀主は、

西の関守である黒天狗神を振り返り唐突に命を下す。

「結界の再構築の後、島の周囲の海に隠呪を施し

侵入したものの退路を断ちます。

以降、事がすむまで外との繋がりが完全に

絶たれますが、お許しを願えますか?」

「・・・それは上位神としての御意向ですか?」

「はい。」

言葉使いは下手(したで)にあっても

有無を言わさぬ威圧感を持って古神の許可を得た白龍は、

そのまま一昼夜の時をかけ、

その昔、水晶宮の武神であった眷属達と共に

記憶の底に眠っていた秘呪を施したのだ。

「イキハヨイヨイ・・・だな。」

出自異国の秋津島上位神は

自身の施した結界に冷たい笑みを浮かべる。

「は?何か申されましたか?」

得られた神力の恩恵に

上位神補佐に対する見解を改めた国守の主は

不思議そうに首を傾げる。

それに首を振ることだけで応えた龍神は

労いの宴をぜひ、との誘いをそっけなく断ると

そのまま国境(くにざかい)の小島を辞去したのだった。

 

 

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「日本一周はもう、お終い?」

「一応、ね。」

出雲の集いで自身が宣言した

『秋津島の結界の再強化を図る』

という仕事は口で言うほど簡単ではなく

この半年の間に妻のもとに帰れたのは

合わせても片手で足りるほどの日数に過ぎず

今回は実に3月ぶりの帰宅なのだ。

全龍穴の管理を任せるといったはずの

上つ神々は、会議の席上で八百万の神々に

ニギハヤミシルベノコハクヌシの

上位神補佐への任命とその役割を

決定事項として通達したのみで

後は自身の披露目を兼ねて

自力でやれとばかりに

手を貸そうとはしなかったのだ。

こんなに時間が掛かってしまったのも

結界を張ること自体にではなく

それぞれの地域を守ってきた

誇り高い主神たちの矜持を損ねることなく

龍穴の管理を委ねるように

説得する所から始めていたからで

人好きをするほうではないとの自覚のある

龍神にとってこのような交渉ごとなどは

向いていないどころではなく。

つい先日の西の国境(くにざかい)の主の

ような例は珍しいくらいで

上位神の威光で押し切るにしても

その威光自体を認めようとしない者たちも多く。

しかし、全体秋津島の神威自体が落ちている上に

異国の神々の引き起こすトラブルへの

対処に困惑していた神々は

龍穴の管理の権限を譲り渡すことと引き換えに、

総じて総ての面倒ごとを押し付けてきたのだ。

 

「今回のことで、ただでさえ無かった

忍耐力を使い切った気がするよ。」

琥珀主はあれ以来切ることを許していない千尋の髪を

人差し指に絡ませながらため息をつく。

「お疲れ様。」

梳っていた手を止めた千尋は小首を傾げながらくすくす笑った。

「でも、はくの忍耐力はそんなことじゃ無くならないと思うけど。」

あの湯婆婆の下で働いていたのですもの。

「懐かしいことを言うね。」

琥珀主は眩しげに笑うと徐に上体を起こし

千尋の顔を覗き込むように見つめる。

「それを言うなら確かに鍛えられたかもしれないな。

湯婆婆にではなく、この森で幼いそなたを

ただ見守るしかなかったあの日々の間に。」

そんな夫に息をのんだ千尋はそっと名を呼んだ。

「はく。」

「何?」

蕩けそうなほど熱い視線を絡め合い、

琥珀主は優しく千尋の顎を持ち上げる。

「すごく寂しかったの。」

千尋の掠れた声は、あっという間に

口付けの中に溶け去って。

互いの息を奪うかのような熱い口付けはいつまでも続いていく。

どれほど時が過ぎたのか、

「ようやく、帰れた・・・」

ぐったりと息の上がった千尋を休ませるべくその腕に

抱き込みなおした琥珀主の顔には

本人も意識しない微笑みが浮かんでいて。

そうして、

就任僅か半年で国中に遍く(あまねく)

その威信を知らしめた龍神は

その心情を傾けうる唯一の存在を胸に抱き

久方ぶりにその荒ぶる魂を憩わせたのだった。

 

 

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別題・甘えん坊な秋津島第6位の神様の図。

よほど疲れたらしいね、はく様ってば。

まだこれからなのに・・・(くすくす)