共同☆企画2007−1

 

お姫様に恋をした龍のお話

 

 

羊水のように温かい暗闇に包まれて

千尋姫は、頬に小さな笑みを浮かべながら

疲れ果てた体を眠りのうちに委ねていた。

そんな姫を腕の中に包むように抱き込んでいた男は、

あどけないほどの安心しきった顔に、僅かに苦笑する。

「先程までの艶めいた姿は幻か?」

男を知っているものたちが見れば、

珍しさに目を瞠ったであろうそんな

微かな笑みは、しかし白い咽喉の脈打つ

鼓動を目にした瞬間、あっという間に

消え去って、翡翠の瞳に暗い熱が浮かび上がった。

「そなたは、私のもの。私だけの・・・」

鼓動を確かめるように首に手を当てた男は

次の瞬間、まるで喰らい付くかのような

勢いで姫の咽喉に歯を立てる。

「・・・あ・・・」

掠れた声が御帳台に響く。一瞬で目覚めたらしい姫は

驚愕に体を固くして、抗うこともせぬまに身を委ねる。

そんな従順さがますます狂気を呼ぶのであろうか、

ピチャリと音さえもたてて咽喉元から流れる血を

啜っていた男がようやく顔をあげた。

魅入られているように逸らされることのない視線に

男は、先程と同じ微かな笑みを見せる。

「怖いか。」

震えながらも小さく振られる首に男は笑みを深くした。

「今宵は三日夜。本来そなたたちの風習では

婚姻を言祝ぎ、餅を食すというが・・・」

そういうと、男は姫を抱き起こし左腕の中に

すっぽりと収めると、徐にもう片方の手を

自身の赤く濡れた唇に当てた。

プツッ

微かな音にビクッと震えた姫は、みるみる盛り上がっていく

赤いものに目を見開くと、翡翠の瞳と指を交互に見つめる。

「呑め。」

「え?」

「本来は契りを交わす前にすべきであったのだが。」

男は姫の小さく開けられた桜唇に指を近づける。

「我ら一族が女を娶るときは餅ではなく、血を取り交わすのだ。」

厳かな声に、しばらく困ったように指を見つめていた姫は

流れ落ちようとした血にそっと舌を伸ばすと

鋭い歯で付けられた傷を労わるように唇を寄せた。

コクリと動いた咽喉に男は満足そうに目を細める。

「それでよい。」

「はい。」

恥ずかしそうな小さな声に男が腕に力をこめる。

「この上は、一刻も早くそなたを迎える準備をせねば、な。」

「・・・あ・・・でも・・・」

「何か?」

「お言いつけの通り、殿のことはまだ誰も。」

知らない、と。

不安に震える小さな声に、抱き込む腕にさらに力が入る。

「時至った後、そなたの親には我から知らせよう。」

「はい。」

こくりと頷く姫に男は微かなため息をもらす。

「そなたの体に私の血が雑じったことで

しばらくは身体が辛いやもしれない。」

「ずっと側に居てやりたいのだが・・・」

自身に言い聞かせるかのような声に

小さな手が縋るように男の白い直衣を掴んだ。

「殿?」

男の翡翠の光が射抜くように降り注ぐ。

「暫しの間、夜離れなければならない。」

「え?」

「だが、必ずそなたを迎えに来る。」

私を信じよ・・・

 

 

 

「姫様。」

「姫様、お苦しいのですか?」

薬湯の椀を持ったまま気遣わしげに覗き込んでくる鈴に

千尋姫は飛んでいた意識を戻すと、

ゆっくりと首を振り儚げな笑みを頬に貼り付けた。

痛々しいほどの表情に顔を曇らせた鈴は

そっと薬湯を姫の唇に近づける。

ひと頃は頭を上げることさえ難儀だった身体は、

ようやく半身を起せるまでに回復し、薬湯を

受け付けることもできるようになっていて

鈴は密かに安堵のため息をもらす。

そうして、何やら訳ありらしい咽喉元の小さな傷から

目を逸らすと、空になった椀を下げた。

「そのお傷、なかなかよくなりませんね。

やはり、お薬をつけたほうがよくありませんか?

膿んではいないようですけど。」

「いいの。」

「ですが。」

「いいの。大切な傷なの。」

不思議なことにあれから二月近くがたっているというのに

いっかな薄れない傷は肌の白さを引き立てるかのように

行儀よく二つ並んでいて、むしろ日を追うごとに鮮やかさを増している。

「今日も、雨が降っているのかしら。」

つい先日、身を起せるほどに回復したとたん、

北殿の片隅の塗篭に身を移され

周囲を陰陽博士どもが施した結界で閉ざされて

外を眺めることさえも許されなくなってしまった姫は

塗篭の厚い壁越しに外の気配を感じようと

するかのように、耳を澄ましながらポツリと呟く。

月数以上の膨らみを見せる胎の子共々に、

咽喉もとの傷は神の障りを受けた証しであろうとの

陰陽師たちの言を受けて、いかな愛し子であろうと

祟りを受けた姫をそのままにしておくわけにもいかず、

表向きには病気平癒を願っての方違えとなっているが

実質、幽閉の身となったのである。

姫の相手について姫以上に詰問された鈴にとっても

今度のことは青天の霹靂で、未だに何かの

間違いではないかとの思いが抜けていない。

しかし、見る見るうちに膨らんできた姫の胎は

間違いなく身籠っており、両親以上に

親しんでいるはずの鈴にさえ口を閉ざしたままの姫に、

裏切られたような気もしないわけではないのだが。

しかし、どのような言葉を投げられても、

どのような境遇に置かれても、無言を貫き通す姿には、

よほど心染まる殿御が相手だったのであろうと。

いつ、どのようにして近づいたかもわからぬ相手ながら

姫様がそれほどまでに心を捧げておられるのならば

もはや仕方がない、と姫第一主義の乳母子は気持ちを

きりっと切り替え、せめて自分だけは御心に副い

最後までお側に仕えようと決意を新たにしたのだ。

「ずいぶん長雨ね?」

「そうですね。今日で10日ほどになりましょうか。」

「すでに上流部の橋が流されたとかで防鴨川師たちも

てんてこ舞いをされていらっしゃるらしいですよ。

五条橋の寮では陰陽博士たちが総動員されるとか。

しばらくは姫様の周囲も静かになるかもしれませんね。」

少しでも気を引き立てようと聞きかじった噂話を

披露しながら鈴も外の気配に耳を欹てる。

「五月雨とはいえ、こう長雨が続くと気がめいりますね。」

「横になられますか?それともご気分がよろしければ

何か絵巻物でもお持ちいたしましょうか?」

「いいの。そなたには苦労をかけますね。」

「な、何をおっしゃいます。姫様はお腹の御子様のこと

だけをお考えになっていればいいんですよ。

鈴が付いております。どうぞ心安らかに。」

「・・・ありがとう。少し疲れました。横になってもいいかしら?」

「もちろんです。」

鈴は慌てて女主人の身体を支える。

そうして、重たいくらいしっとりとした髪を整えると

枕元の髪箱に乱れないようにそっと収めた。

・・・こんなにおやつれになって・・・

うとうとと眠りに落ちた女主人の頬の影に

鈴は拳を握り締める。

「未だに名乗りさえも上げないなんて。」

世間知らずの姫君を騙して、恋に落としただけでなく

あまつさえ身籠らせたまま放置するようなやつ。

神であろうと妖しであろうと、戯れに姫様を

このような目に合わるなど、絶対に許さない。

「・・・るわ・・・」

「はい?何かおっしゃいましたか?」

眠っているとばかり思っていた女主が

じっと鈴を見つめていた。

「信じよとおっしゃったの。」

「え?」

「だから、必ず迎えに来てくださるわ。」

「姫様・・・」

輝くような透明な笑みに、鈴は絶句する。

プレーボーイの常套句となんら変わらない言葉。

いくら結界に守られているとはいえ

こうまで続いた夜離れに、

それでも信じると微笑む姿は神々しくさえあって。

妖しの愛など偽りだというのに。

けれども姫様が信じるというのならば、

・・・仕方がない、わね。

「・・・ならば、私も必ずお供いたします。

どうか、お連れくださいませね。」

そういうと、幼子をあやすように姫の胸のあたりを

ぽんぽんと叩く。にっこり笑った側使いの少女に

姫も微かな笑みを返すと再び眠りの内に漂っていった。

 

 

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お待たせしました。

本日はここまでです。

ハク様ってば鬼畜入っていますね。

やつって吸血鬼だったっけ???

しかし

放置プレーもいい加減にしないと

お迎えにきたとき、真っ先に

鈴さんに殴り飛ばされるよん。