共同☆企画2007−1

 

お姫様に恋をした龍のお話

 

 

 

「姫様。また右大将様からお届け物が。」

「・・・・」

「姫様。」

つい先ごろ床上げをしたばかりの千尋姫は、

脇息に伏せていた顔をあげると、小さく首を振る。

「ですが、せめて御文だけでもご覧になってくださいませ。

お届け物も日に日に増えてまいりますし、

一文なりとお礼を申し上げたほうがよろしくありませんか?」

「お届け物はお返しして。頂く謂れがないもの。

御文のことはそなたから、よろしく申し上げておくれ。」

物憂げにそう言うと姫は再び耳を澄ませるように

視線を戸口にむけたまま微動だにしなくなる。

腹心の女房たる鈴は、心配そうに背中に流れる

髪を見つめるが、その一筋さえも動く気配がなく

小さくため息をつくと、御前から下がっていった。

姫が身籠っていることはもちろん極秘事項であるのだが

こういうことは隠しおおせるはずもなく、しかし

表立っては病の床に就いたことになっているためか

姫君の婚約者であった右大将は、正式に破棄されぬまま

有耶無耶に延期になった結婚を未だに望んでいるようで

何処から聞き及んだのか、姫が隠されているこの北殿に

便りを遣すようになっている。

姫が身元の知れぬ男に通じ子を身籠ったことなど

まるで知らぬげに優しい心遣いのみを見せる文に

鈴とても心を動かされぬわけではないのだ。

呼び出され何度か物越しに会った貴人は確かに

姫の伴侶としては申し分ない器量を備えていて

容姿端麗で武人らしく鍛えられた身体に高い身分とくれば

左大臣家ならずとも婿に欲しがる家は多々あるだろう。

あまりの良縁に左大臣夫妻などは、

このまま身二つにした後、何食わぬ顔で

結婚させてしまえばよいとでも思っているらしいのだが。

「姫君がお腹の御子の父君をお忘れになり諦めたのならともかく、

取次ぎなど出来るわけないじゃない。でも・・・」

流暢な歌とともに耳障りの良い言葉が並べられた文は

乙女の心をくすぐるに余りある力があるだろう。

主以外の姫君たちにとっては。

「あのまま何事もなければ今頃は真に右大将様の

お子を身籠っておられたかもしれないと思うと。」

誰もが妖しに魅入られたゆえの不幸を嘆き

しかし、当の姫君のみは愛しい人の子を身籠った幸せに

おっとりと微笑んでいるのだ。

『あらだって、私はもう一人ではないのですもの。

殿が迎えにいらしたとき、この子のことを知ったら

どれほどお喜びになるかしら。』

どうしてそこまで信じられるのかと、思わず零したため息を

聞きとがめられ、無邪気に返ってきた言葉には

もはや何も言うこともできず

思わず諦観の笑みを漏らしてしまった。

「というわけで、右大将様。早々に諦めていただいたほうが

よろしいと思いますよっと。」

微妙にぼかしながらも意を汲めるように返事を書くのは

かなり骨が折れるのだが女房の腕の見せ所でもあって。

「ちょっとそっけないけどこんなもんかな。」

そうして、諦め悪い男に引導を渡すつもりで

姫君付きの家従に命じて返事を届けたのだった。

・・・しかし

ある意味閉ざされた世界に篭っている姫君たちの知らぬまま

のん気に恋文の返事を代筆している場合ではない

事態が外では着々と進行していたのだった。

 

 

ドウドウと音をたてて暴れ下る河を

人々は不安に満ちた目で見つめる。

古来幾度も氾濫を起し、そのたびに

都に甚大な被害を及ぼしてきた暴れ河。

「これ以上の雨が続くようだと。」

「ああ。」

「明日には堤が決壊するやもしれん。」

「そうだな。」

治水のお役目を持つ防鴨河使(ぼうかし)たちが、

深刻な表情で河の流れを読んでいた頃、五条橋中島に

ある方城寺では、下級陰陽師である声聞師たちさえも

総動員して、河鎮めの祈祷が夜を徹して行われていた。

古来より都を守る四神の一つ、

東の要たる青龍になぞられている河。

時の権力者たちさえ諦めと恐れをもって唯唯諾諾と従わざるを得ぬ

力を秘めた河は、今にも都を襲おうとその本性をむき出している。

「陰陽頭様は?」

「先刻御所より呼び出しが来て出かけられた。」

「そうか。このたびの卦を奏上されるおつもりだろうか?」

「たぶんな。もはや慮っている場合ではなかろう。」

「だがそれでは・・・」

「仕方があるまい。古来生贄は高貴なほど喜ばれたというし。」

「御所におかれては、天のお示しと奉ぜられるより

よほど受け入れやすいのではないか。」

「・・・お可哀相だな。まだうら若いというに。」

そうして、間もなく陰陽師たちの懸念していた通りの

宣旨が密かに下されたのだった。

 

 

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