共同☆企画2007−1

 

お姫様に恋をした龍のお話

 

 

ニャア・・・

「・・・・」

ニャアニャア・・・

「そうだ。もう間もなくであろう。」

冷たいほど表情のない響きに先刻より煩く

訴え続けていた声がぴたりと止む。

同時に三毛の艶やかな両足を揃えて主を見上げていた

小さな影が急速に形を変え、見る間に大きくなると

そこにはつるりとした女人の指先が三つ指をついて置かれていた。

「なれば、お願いでございます。」

今まさに姫君の側にいるはずの女房姿に変じて

人の言の葉を発した妖しに翡翠の光がつと降り注ぐ。

「元をただせば原因は私。どうかこれ以上

姫様を苦しめることはおやめくださいませ。」

「苦しめる、とな。」

細められた翡翠の瞳にごくりと唾を飲んだ猫又は

おずと顔をあげるとそれでも臆することなく視線を合わせた。

「いかに恋うる相手であっても人の定めを曲げるなど。

無理を通して結ばれはいたしましたが

御子をお産み参らせた暁には姫君の御身はお諦めください。

どうか、あの優しい方を人としての定めに

お返し申し上げてくださいませ。」

「・・・・」

「幼い子の申したことではありませんか。それを真に取るなど。」

「そなたが邪魔立ていたしたおかげであれから5年もの時を

無駄にした。これ以上の邪魔をするつもりならば

いかに姫の願いであろうとそなたの命はない。」

「構いませぬ。」

しかし、決死の覚悟など歯牙にもかけぬかのように

主はその瞳を上げて遠くを見つめる。

「誰にも邪魔はさせぬ。そなたであろうと

神祖神であろうと天であろうとも。」

「いや、たとえ千尋自身が抗おうとも邪魔はさせぬ。」

「あれはもはや我の妻。子を無事産みおとした

あかつきには我が元に召し上げる。」

冷徹な光はどこか渇望するかのような飢えさえも湛えていて

猫の妖しはひくりと喉を鳴らすと微かに身を引いた。

「下がれ。」

「主様・・・」

言葉を失いしばらく主の後姿を見つめていた猫の妖しは

ため息を飲み込むと唇をかみ締めふっとその場から姿を消した。

 

 

 

左大臣家の三の姫が篭められてひと月あまり。

土砂降りの雨に紛れ、数多くの陰陽師と宮中の衛士たちが

荻原御殿の北西の町にある対屋の内外を囲んでいる。

物々しい中にもどこかこれから起きるであろう出来事を

固ずを呑んで待ちわびる一種異様な気配に満ちていて。

つい先日御所から密かに左大臣家に下された宣旨は

半狂乱の北の方の抵抗むなしく、直に姫君に伝えられた。

 

曰く、河鎮めの巫女に宣ず、と。

曰く、神のものは神に返すべし、と。

 

その瞬間。

三ヶ月になんなんとするはずの姫の胎は、

見る見るうちに膨らんでまさに臨月の様相を呈したのだ。

そうして幸か不幸かすぐにも行うはずであった河鎮めの儀式は

祟りを恐れた陰陽師たちによって、

出産のための祈祷に取って代わられた。

庭に焚かれたかがり火は雨に負けじと天まで焦がすほど

炎を上げていて、魔を祓う弓弦の音も闇を払うほど高く鳴っている。

先日までの見捨てられたような静けさが嘘の様に慌しくなった

屋敷内の中心にある塗篭は、周囲を白い布で囲まれた

古来よりの結界が作られていて、事を委ねられた女たちの緊張で

痛いほど張り詰めていた。

「姫様、お気を確かに。」

「今しばらくのご辛抱です。」

「もっと白布を。」

「湯の用意はいいですか?」

産室が作られてすでに一昼夜。

幼い姫君は今まさに母となろうとして苦しんでいる。

今にも生まれそうでいてなかなかに生まれようとは

しない子に姫の体力も気力も尽きかけていて

しかしどこにそんな力が残っていたのかと思うくらい

生命力の最後の力を振り絞るかのように頑張っている。

目の前の姫君の苦しみを我がことのように感じながら

乳母子の心の奥深くに潜んだ闇の生き物は

痛ましげに唇を噛むと事の初めを思い出していた。

 

 

バシャン

『キャア。』

 

北山にある山荘に祖母君の病気見舞いを兼ねて

避暑に来ていた高貴な姫君。

都を離れた気安さと幼さゆえに許された自由を

満喫していた幼い少女のお気に入りは

庭に引き込まれている涼しげなせせらぎで、

その夏、たびたび御付の者の目を盗んでは

水遊びに興じていらしたものだった。

自分のせいながら主の不興を買い、手傷を負って

お庭の片隅で震えていた私を見つけたのも

そんな時で、御付の者たちの嗜めなど気にも留めず

血に塗れ穢れ果てた身体をそっと抱き上げると、

すでに力尽きつつあった命を取り留めんと

懸命に手当てしたくださったのだ。

『なんと暖かな光だったことか・・・』

幼いとはいえ姫君の放つ光の優しさに手傷のみならず、

闇に落ちかけすさんだ心までが次第に浄化されていって。

動けるようになってからも姫の傍を離れる気にならず

単なる子猫のふりをして常にお傍に纏わりついていたのだ。

それが、姫の運命を捻じ曲げてしまうなどと思いもよらずに。

そうして、あの運命の日。

持ち前の好奇心も手伝って、水に浮かべた笹舟を

追いかけていった姫君はとうとう山荘を抜け出してしまった。

屋敷に引き込まれていた流れの行き着く先は

やがては暴れ河にならんとする大河に注ぐ支流のひとつで。

追いつかずに流れていく笹舟にため息をついた姫君は

馴染のない景色にはっとしたように目を見開く。

しかして、この河の主である若い白竜が、

怒りをかったまま逃げ去っていた眷属を見逃すはずもなく。

姫君の足元にひたと寄り添っていた私は主の気配にびくりと怯え

とっさに駆け去ろうとしたのだけれど。

瞬間河がはじけ飛び固まりとなって伸びてきた水に体が掴まれていて。

『キャア。』

『大変。こすず!!』

パシャン

河に落とされた私を追いかけて躊躇わずに

水中にとび込んだ姫君はもちろん泳ぐことなどできなくて。

そうして・・・

そうして、主様に・・・

『ごほっごほっ。あ、ありがとう、助けてくれて。』

『ああ、よかった。こすずも助けてくれたのね。』

『こんなに流れが速いとは思わなかったの。溺れるかと思った。』

『あの、お名前は?』

『・・・人の子の身で無茶をする。』

『あらだってこすずが溺れちゃうかと思ったんですもの。それより

お名前を聞かせて?きちんとお礼を申し上げたいの。』

『・・・こすず、とな。』

『え?』

『我が眷属に名をつけたのか。』

『え?え?あなたのお名前もこすずとおっしゃるの?

もしかして女の方なのですか?』

『・・・我が女に見えると?』

『いえまさか。でもお名前が・・・』

『・・・我の名はニギハヤミコハクヌシ。』

『・・・ニギハヤミ・・・?』

『ニギハヤミコハクヌシだ。・・・そなたの名は?』

『すごいお名前。まるで神様のようですね。

ニギハヤミコハクヌシ様、助けてくださってありがとう。』

『私の名は千尋と申します。

けれど、父様はちぃ姫とお呼びになるの。

千尋姫というのは呼びにくいのですって。』

『・・・ハクと。』

『え?』

『私のことはハクと呼ぶように。』

『ハク様?』

『そうだ。』

姫君の無邪気な笑みを主の無表情な瞳がじっと

見つめていて、その視線の中にはすでに私など眼中になく。

姫君の腕の中で濡れそぼったままいやな予感に震える。

・・・ああ、申し訳ありません。お姫様。

まさか、主の目に留まってしまうとは・・・

 

 

オギャア

雷鳴をかき消すほどの産声があがり、

幼い姫にこすずと呼ばれていた猫又ははっと顔をあげると、

本来の意識を封印し再び人間の女に転じきる。

気がつけば腕の中には羊水と血にまみれた赤子がいて

無事のお産に安堵に包まれた産室には

赤ん坊の泣き声が響き渡っていて産湯の用意に

女房たちが慌しく行き交っている。

鈴はぼんやりして自失していた瞬間を振り払うように

頭を振ると腕の中の赤子を姫に見せようと差し出す。

「おめでとうございます、姫様。若君でございますよ。」

「・・・よかった・・・無事、生まれてきてくれたのね・・・」

苦しげな息遣いながら幸せに溢れんばかりの声に

姫君の腹心の女房となった猫又はにっこりと微笑む。

「がんばりましたね、姫様。ああ、なんとご立派な

若君でしょうか。」

ほっそりと小柄な身体を褥に横たえて

その隣に寝かされた裸のままの和子の頬を愛しげに

指でなぞっている姫は輝かんばかりに美しくて

鈴はその眩しさにほろりと涙をこぼした。

「さあさあ、姫様。若様にお湯を使いますから

しばらくこちらにお預かりいたしますよ。」

「ええ頼みますね鈴。でもすぐに連れてきておくれね。」

「はい。では・・・」

 

と、回廊を重重しく渡ってくる気配に先導を待つ間もなく

御簾越しに部屋に入ってきたのはこの屋敷の主で

湯に入れられていっそう元気に泣き喚いている

赤子の様子を窺うと大きなため息をついた。

「三月で無事生まれるとはやはり妖しの子であったか。」

「・・・お父様、来て下さったのですか?」

「おお姫や。」

とたんに相好を崩した父大臣は愛娘の細い腕をそっと握った。

「おお姫や。ちぃ姫や。大変な目にあったのう。

可哀想に。だが、もう心配はいらぬぞ。

さあさあ、姫は身体を休ませなければ。

養生して身体を早く直すのだぞ。」

「・・・いえ。私は詔を果たさなければ・・・

お父様、どうかこの子を。」

湯を使い清められた和子をそっと姫君の傍に置いた鈴は

姫に課せられた運命に対抗するかのように

眦を強くすると親子を守ろうと傍らに控える。

告げられた勅命に何も考える間もなく始まったお産。

しかし、姫君が何をしたというのか。

例え朝廷からの命とはいえ理不尽なことに

屈するつもりなどないとの決意を瞳に乗せて

左大臣をにらみつけた。

「もうそのような心配はせずともよいのだ。」

「え?」

「その子をこちらへ。」

「何を・・・?・・・」

弱った身体を無理に起そうとして崩れ落ちる姫に

鈴は慌てて手を添える。

しかし肩をくるむようにして寝かせようとした鈴に首を振ると

姫は弱弱しいながらも生まれたてのわが子に

手を伸ばすとしっかりと抱きしめた。

「お父様?この子をどうするおつもりなのですか?」

「今上に陳情してまいった。河鎮めには

そなたではなく生まれた子を捧げるとな。」

「えっ?」

「そなたは何も心配せずともよい。

養生して早う身体を直してたもれ。」

「お・・・と・・・うさ・・ま?何を。」

「神のものは神にというのならば返してやればよいのじゃ。

さあさあ、その子をこちらへ。」

「!!いやです。」

「姫?そうわがままを言うではない。この赤子は

所詮は妖しの子。このまま人の世に無事過ごせようものか。」

「いやです。どうしてもというのならば私も共に

河の神の元へ参ります。」

頑なまでに抱きしめたわが子を離そうとしない姫の姿に

乳母子は庇うように割ってはいる。

「無礼な。お前は下がっておれ。」

「いえ、大臣様。姫様はお産がすんだばかり。

これ以上興奮されると御体に障ります。

どうぞこれ以上はお控えくださいませ。

何れ落ち着きましたら。」

「しかし、事は一刻を争うのだ。」

「どうか、今しばらくの御寛恕を。」

控えめながら一歩も引かない女房の迫力に

しぶしぶと部屋を出て行った左大臣を見送ると

鈴は念入りに几帳を重ね合わせ姫のほうを振り向いた。

「姫様。」

「ああ、私の赤さん。大切な大切な私の赤さん。」

愛しげに我が子を抱く母の姿を

眉を寄せ心配顔で見つめる女房の内に

封印された猫又は瞳に非難の光を乗せて

真の主に呼びかける。

『これでは・・・ああ、主様いかがいたします?

主様の思惑に愛しい姫様が納得されましょうや?』

 

 

前へ     次へ

 

多分次でおしまいになります。

こすずは鈴でいるときには人間になりきっているので

総てを意識的に忘れているんですね。

猫又としての力は総て姫君を隠すために使ってきたのですよ。

もっともそう長く隠しおおせることなどできないことはわかっていましたが

主様の興味関心が他所にずれる位まで

なんとか守りきろうとがんばっていたのですけど・・・・

この春の嵐に紛れてとうとう見つかってしまったのです。

そんでもって

大切に隠していた姫様はあっという間に手折られて

心さえも奪われて、子まで産ませられてしまったのです。

無、無念なり・・・

私が最初に見つけたのに〜

まあ、姫様が望むなら仕方がないけど、って感じか。

さてさて、それにしてもハク様ってば

まだ千尋姫さんの前に姿現さないし。