龍神恋歌

第2章  旅立ち    あるいは、その龍神理不尽につき

 

「ニギハヤミ コハクヌシ」

すでに姿の見えないあの子の気配を追いながら、

自分の真名を何回も呟(つぶや)く。

自分の意志で生きるためにこの世界に来たはずが、

自分を失い、魔女の意のままに

使役されていたことに、自嘲の笑みを吐く。

『また、どこかで会える?』

『うん、きっと。』

『きっとよ。』

『きっと。』

名残惜しく 離された手。

私の言う通りに ふり返らず、元の世界に戻っていった少女。

あの子を見つけたのが たった4日前だとは信じられない。

助けるつもりが助けられ、護るつもりが 守られた。

自分の情けなさを嘲る声が、身の内から 

確かに 聞こえてはいるが、それにもまして

荒れ狂っているのは、たった今、

別れていったばかりの少女の 名を叫び、呼び止める声。

恋しい 恋しい 恋しい と。

恋しい?

この想いは、一体なんだ。

経験した事のない感情を、ひとまず強引に押さえつけ、

自分をいいように使ってくれた魔女へ

どうやってこの怒りを 思い知らせてやろうかと、

暗い考えに笑みを浮かべる。

心のどこかでは、自分の愚かさを分かっているため、

これは完全に八つ当たり。

少女への思慕をごまかすための、これは完全に八つ当たり。

だが、守護すべきものを失った、

龍の荒ぶる魂を それ以外 どのように鎮めればいいというのだ。

 

油屋に帰ると 案の定、門前に集まっていた

群衆は解散し、それぞれの居場所に戻っていた。

それにつけても、あの子が呪いを破ったとき、

客の霊霊までもが 大喜びをしていたのが

気にかかる。確かに、ここしばらくないような 

見世物ではあったが、誰も彼も 彼女に

惹(ひ)かれ 彼女の幸福を願っているようにみえた。

あちらの世界に帰って行く霊霊たちの存在が

 どうしてこうまで心を騒がせるのか。

『千尋に 手を出せば 許しはしない。』

身の内に住まう龍が頭を擡(もた)げる。

・・・なるほど これが龍の独占欲というものか。

あの子に出会い、あの子と別れてから、急速に目覚める真実の力。

龍は、獣であって獣にあらず。

神獣としての力が確かに ここに あることが、自覚できる。

今まで、身近にありすぎて、本当には発揮できていなかった力。

真名を取り戻し、魔女が腹にしのばせた祟り虫がいなくなった今、

(ああ、千尋。どちらも 千尋の尽力だったね。)

その力に 身を委(ゆだ)ねてしまうのも一興かと思う。

使役されながらも 魔女の弟子であった間に 

確かに身についた魔力も感じ、

なぜか、負ける気がしないのは 

あの子が去ってしまったゆえの 自棄(やけ)なのだろうか。

 

迷うことなく最上階に行き、湯婆婆の前に立つ。

今まで、はっきりとは分からなかったが、

この魔女の持つ力の度合いを測っていると、

魔女がため息をつきながら、口火を切った。

「なるほどね。力を取り戻したとたん 

牙をむくか。仮にも 恩ある私に向かって。」

視線を絡め取るつもりで、その私の顔ほどもある 大きな目を強く見やる。

「湯婆婆殿、私とそなたの関係は、確かに 

この世界の理に則り、契約の上で成り立っていた。

それに対しては、文句をつけるつもりはない。

だが、そなたが私の力を使い、何をやっていたか

考えれば、どちらの貸しが大きいか 分かりそうなものだ。」

魔女は、言葉を荒げてくる。

「生意気な口を利くんじゃないよ。

魔法の力欲しさに、私に頭を下げたのは、

お前の方じゃないか。手の中に 

転がり込んできた 力を使って、何が悪い。」

「そう、悪くは ないな。だが、使った力の代償は

 きちんと払ってもらおうか。」

微笑んで、ことさら 静かな口調で言ってやると、

魔女は 怯えたように 腕を上げた。

「おやめ、無駄な争いは するつもりはないよ。

望みをいってみな。場合によっては、考えてもいい。」

「坊と、湯バードを 我が眷属に。」

するりと 口から 滑りでた言葉を聞いて、

パキンと固まり、次いで毛を逆立てた湯婆婆を見て、

怒りをぶつける事が、急に馬鹿らしくなった。

「冗談だ。役にも立たない眷属など、邪魔者にすぎない。」

瞳を鋭く尖らせてくる魔女に、本当の望みを言ってやる。

「契約の解除と、そなたの持つ魔力の半分、

ついで 向こうの世界の、東の竜宮への渡りをつけたい。」

唖然としたような表情の湯婆婆に、

どこか小気味良い気分が 湧いてくる。

「・・・東の竜宮?そんな宮にお前のような、

神崩れのはぐれ龍が、なんの用があるっていうんだい。」

湯婆婆は 咽に引っかかるような声で聞いてきたが、焦らしてやった。

「詮索は無用。その他の条件についての返答は?」

「・・・契約の解除は承知した。それに伴う

決まりごとの始末は、こちらでしよう。」

「魔力については?」畳み掛けるように 続けてやる。

「半分は多すぎる。湯屋の維持で精一杯になっちまうよ。

こちらにも こちらの事情があるんだ。

だが、5分の1程度なら 渡してもいい。

東の竜宮への 渡りは、あとひと月待ってもらわなくては

ならない。月道が開くのは、夏至が過ぎてからだよ。」

少しだけ考え、手を打つ。

「三分の一だ。それ以外は承知した。

渡りがつくまで、今まで通り 

帳簿係として世話になろう。 

新たな契約が 必要だな。」

パチンと指をならし、ことさら見せつけるように、

新しい契約書を魔法で出して、サインをするように

言うと、いまいましげに 睨みつけながらも 

『湯婆婆』の名と判を押してきた。

思ったより、すんなりことが運んだのは、

『坊に手出し無用』、との 一文が あったためだろう。

契約が成立した瞬間、体に魔力が満ちるのを感じ、

本来あるべきだった姿を得ることが出来たようだ。

驚きに目を見張っている、湯婆婆を無視して 

そのまま温室にむかうと、龍に転変して宙に飛び出す。

自分の力と意思で生きる

 という目的をやっと達成できたと思ったのに、

心は充足感からほど遠く、

得るべきものを失ってしまったかのように 

ざわざわと落ち着かなかった。

 

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