龍神恋歌

第1章  目覚め    あるいは、その龍神神通力なきにつき

 

『霊力の高い人間に使役され、風神雷神の眷属に成り下がる』か・・・

竜泉に言われた言葉がまるで、はるか大昔に言われた事のように

ぼんやりと思い浮かんでくる。

神籍から離脱し背負うものから自由になって 海を、山を、湖を駆け巡り、

自然霊や精霊や、そして人間の営みを興味深く観察できたのは、

ほんの一時だった。

自分になじみのある川が、埋め立てられマンションになったあの日、

空の高見からぼんやりと、その様子をみつめながら、身を削る喪失感に耐え、

そして、それさえも許されぬ身であることの虚無に竦(すく)んでいる所を、何かが

突然襲ってきた。

気が付いたときには、体の自由を奪われ、雷神の眷属として使役される身となっていた。

主の命令は絶対。逆らう事も考えられず、ただ ただ、命令に従う 力のある道具に

成り下がっている。

山の頂から、遠くの晴れた山を安心して登っている人間に、風を操り、雷を落とす。

心は悲鳴をあげ、その理不尽さに怒りながら、それを表すことも許されない日々。

ときに、荒ぶる雷神は、気紛れな嵐を呼び起こし、目に付く大樹や動物や人間達に

容赦なく雷をおろし、命を奪う。

その怨嗟(えんさ)を引き受け、穢れを払うのは、眷属の役目。

ある日、何もかもいやになって 穢れを払わず、その身に受けられるだけ受けていたら

目障りだとばかりに投げ落とされた。

 

しかし、安堵するほどの時間は与えられなかった。

身に受けた穢れが 自然に浄化するのを 蹲(うずくま)りながら、待っていると

その匂いを嗅ぎ付け ちょうど良いとばかりに、霊能力のある人間に捕まった。

彼の持つ穢れを使い、更なる穢れを呼ぶ闇の呪法。

意思に関係なく 力は暴走し、人を呪い、不幸を呼ぶ。

輝いている魂に、穢れを吹きかけ、闇に落としていくその勢い。

良い道具を得たとばかりに、自分の欲を満たすため 更なる闇に手を染めて、

純粋な幼子を生贄にしようとした呪者に対し、自分の中の何かが目覚め、

気が付いたときには 呪者の魂を噛み砕く、狂った龍になっていた。

そばに 生贄になりそこなった幼子がいなければ、

自分を取り戻す事ができたかどうか。

 

3つばかりの幼子でも、常に無い出来事を忘れ去る事は、困難で、このままでは、

歪んで成長できないか、気が狂う運命が待っていると 分かっていながら、

その記憶を取り除く術は、すでに自身から失われていた。

神である事と、龍である事の違いに、初めて目を向け、

自分が持ち、投げ捨てた力の喪失を悔やんでも、後の祭りであった。

そして、自分がなぜ自分のままでいられないのか、

「使われず投げ捨てられた力を拾って何が悪い」という、世の理に対し、

反論できない自分に気付く。

それほどに、己に無頓着で、世に無知であった。

そのために、河を失い、多くの命を奪ってしまった罪。

初めて自分を意識して、自分の気配に気を配りながら、

幼子に対して 何も出来ない自分を思い知るのが 

自分への罰だとばかりに、幼子の運命を見守った。

言葉を失い、表情を失い、この世の何もかもを拒絶して、

それでも不思議と彼の瞳だけは見つめていた魂が、

2年ほどの後 その肉体を離れたとき、

彼は、一つの決断を下す。

 

力を取り戻し、何者にも流されず、自分の意志で生きていくことを。

しかし、この世界では 彼はもはや、一介の精霊に過ぎず、龍としての力は持っていても

それを自分の意志で使いこなす神通力は失われてしまっている。

同じことを繰り返さないために、狭間の向こうの世界に渡り、こことは異なる理の中で

力を取り戻す という決断は、やはり童神であった名残の 

世間知らずなものであったのだろうか。

それとも、

彼が、真の己に目覚めるため 必要であった

『運命の出会い』をするため、であったのかもしれない。

 

 

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