第2章旅立ち

湯婆婆と 帳簿係りの力関係が 逆転した事など露知らず、油屋の下っ端たちは、日常の

活動に入るところだった。

「リン、妹分がいなくなって寂しくなるねぇ。」

「最も、仕事は楽になるんじゃなあい?上役たちの嫌がらせも 相手がいないんじゃあね、」

短い期間だが、湯屋にいた人間の子どもが 無事 呪(のろ)いを解いて、元の世界に帰っていった

ことは、嬉しさ半分、寂しさ半分、湯屋を引っ掻き回せるだけ 引っ掻き回していった子どもに

懐かしさを感じているのは、リンだけでは なかったようである。

「ハク・・・様は、今ごろ なあに考えてやがるんだろうねぇ。」

『愛だ 愛』と、釜爺が言ったことは、冗談半分だとしても、なにやら 特別なつながりが

あったらしい 2人の行く末とやらが 気になる。

『まあ、あんなのの どこがよくって 必死に助けたんだろうねぇ、せん。もっとも、人間と

物の怪じゃあ 結ばれようもないか。ハク ・・・様が 自棄を起こして 攫(さら)ってでもこない限り。』

最も、そんなことしやがったら、この リン様が 黙っていないがよ。

心の中で、勝手な事を決め付けていたリンは、今まで避けていた いけ好かない上司を見張って

やろうと、心に決めたのだった。

 

リンさんの観察日記

 

○月×日  いやー、驚いたのなんのって、あのすかした鬼上司が 子どもから大人へ成長しやがった。

        いや、内面なんか分かんないけど、12くらいのチビが いきなり美青年になって 帳場に

        やってくりゃあ、誰だって驚くわさ。もう、湯屋全体 パニックよ。

        いったい 何があったんだ?せんが帰っちまったショックか?

        それとも、もともとがあんなんで、封印だかが解けて本当の姿に戻ったんか?

        中身は、あいかわらず やなやろーだったけどな。てか、前よりぴりぴりしてやがる。

        やつが、通るだけで、空気が凍てつくね。くわばら、くわばら。

○月△日  ここ、2・3日 やつを 見ない。また、やばい仕事でも やらされているんかね。

○月□日  やっと、帳場に戻ってきやがった。

        なんか、前よか、気のせいか 人当たりも柔らかくなって、ぴりぴりしたとこが

        なくなった感じがする。

        ふーん、こうしていりゃあ、目の保養になるいい男じゃんか。

        おっと、さっそく手の早いお姉さまが 食指をのばしてらぁ。

        ありゃ、人当たりがやわらかくなったつうのは、気のせいだったみたいだな。

        かわいそうな お姉さま。

        もっとも、あんなやつ食ったって 消化不良をおこして 下手すりゃ、あの世行き

        じゃん。

        あ〜ぁ、ハクの野郎、女を泣かせるなよ。 普通、そこまでいうかぁ。

○月○日  ここんとこ、開店前の点検がおわると、やつは姿を消すらしい。もっとも、忙しくって

        いちいち確かめたわけじゃないけど、うわさじゃ、明け方帰ってきてから、帳場の

        仕事をやってるとか。父役が判断に困った事を 相談しようとしても、「よきに計(はか)らえ」

        状態らしい。まあ、やつの勤務時間が、どうなっているのかなんて 

        全然分かんないけどよ。相変わらず、謎の行動を取るやつだぜ。

○月×□日仕事が終わって、ひと風呂浴びてから部屋に戻る途中、ばったりとやつと出くわしたから

       「あんたさ、ここんとこ 湯屋に落ち着いていないらしいけど、せんに会いにでも行って

        んじゃないの?おれからも、よろしくって伝えといてくれよな。」

       からかい半分、カマをかけてやったら、真面目な顔で 返されちまった。

       「いや、せん、に会いに 行っているわけではない。あの子は 人間の世界に戻ったとき

        こちらの記憶を失っている。余計な事をして、記憶を呼び出さない方が あの子のため

        ゆえ、すまないが 伝言は伝えられない。」

       「んじゃ、どこに行ってるんだ?」

       歩き出したやつの背中に向かって、言葉を投げてやったら、

       「銭婆のところだ。」と、返してきやがった。

       なんか、せんのことを話すやつの顔を見ていたら、切なくなっちまったぜ。

       せん、お前 元気でやってっか?

□月×日 銭婆のところに、トラバーユでもするつもりか、どうやら帳場の仕事を 他のやつに

       引き継いでいるらしい。まあ、ひところの ぴりぴりした様子は無くなったけど、忙し

       そうで 声を掛ける隙もねぇや。

□月△日 湯屋始まって以来の上客が 来るってんで、上役たちが大騒ぎして忙しいったら、

       ありゃしない。1日2回も掃除をやり直しさせられたら、たまんないぜ。第一、来るのは

       まだ、3日も先じゃんか。

       ハクのやつは、帳場に篭りっきりで 開店前にちらっと 顔を見せるくらいだ。

       この忙しさも 我関せずって感じでさ、なんか 浮き上がってやがる。

       やっぱ、ここやめて どこかに 行くつもりなんかなぁ。

       釜爺んとこ行って サボったついでにハクのことを 聞いてみた

       けど、知らないって言ってたし、本人に直接聞いてみるっきゃないか。

□月□日 ひゃ〜!やつって竜神さまだったんか!!

       そんなやつが どうして こんなとこで 帳簿係なんかやってんだよ〜!!!

       第一、龍神が魔女の弟子になるっつうのは どうよ。えっ?

       そこんとこ、説明ないまま いっちまうわけ?

       最後まで、わけわかんないやつだったな〜。

       おまけに、例の上客って 竜王の弟君よ!

       そんなお方と ためで 話しているお前って 何者? 

       元の世界に戻るっていうのは わかったけど、謎を残したまま 

       去っていくんじゃね〜〜〜!!!

 

「あ〜ぁ。行っちまったな。結局 やつって何者だったんだ?」

リンは、竜王の弟君と一緒に去っていく ハクの後姿を見送りながら、隣にいる釜爺に話し掛けた。

「さあな、修行に出されていた 竜王の身内ってところじゃないんかな。」

「なんだよ〜。釜爺にも説明しないで 行っちまったわけ?やっぱ 薄情者だわ。」

鼻の頭にしわを寄せるようにして、しかめっ面をしたリンを宥めるように、釜爺が言った。

「まあ、そう言うな。自分では 河を失った 単なる神崩れに過ぎないと 言っていたがな。ただの龍に

宮から迎えが来るわけないじゃろうし。結局、わしにも 本当のことを言わないままじゃったな。まあ、

せんのことは よく 話していきおったが。」

・・・せんのことをねぇ。

「ふ〜ん、でもよ、せんはこっちのこと覚えていないんだろ?やつも、思い出させる気は無いっつってたぜ。」

「影ながら、守護にでもついてやるつもりじゃないんかな。まあ、愛じゃな、愛。」

「釜爺って、いつもそれだよな〜。」

もう、とっくに姿は見えなくなっているというのに、なんとなく 立ち去りがたくて 軽口をたたきながら、

橋の向こうを眺めていたリンは、『まっ、頑張れよ。いろいろとな。』

心の中で、エールを送り、湯屋での仕事に戻っていった。

 

 

 

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