龍神シリーズ第3部3章幸福論

その21、自火の夢

 

 

そこは、この世の終わりまで、真の闇と真の静寂が

訪れることが許されぬ場所。

幸福と対極の叫びが満ちる地の底。

 

秋津島のいずれにあるのか、人に知られぬ

火の山の、煙を吐き続ける火口の淵。

その小さな丸い光は突然そこに現われたのだ。

天空には星が煌き、月のない闇夜を微かに照らし出している

そんな真夜中の一瞬の狭間。

突然出現した小さな光は、ためらいも無く、

巨大な火山の火口に飛び込む。

下へ下へと下っていく小さな丸い光は、

まるで遊山に来た子どもが思いがけず見つけた

洞窟をあちこち探検するかのように

ふらふらと彷徨いながら地下深くへと下っていく。

真下へと向いていた道はいつしか

緩やかな下り坂になり、上下左右に

どれほどの広がりを持つのか定かには

見えないほどの広い空間は

どこか薄ぼんやりした闇の中に続いている。

下へと進む小さな光に反射して、

暗闇を包む硬い岩肌のそこかしこが

まるで金剛石でも埋まっているかのように

瞬間の輝きを放っていて、見るものがあれば

宇宙空間に浮かんでいる星屑か何かのような

錯覚に陥ったかもしれない。

どれくらい進んだのだろうか、

人であったらどのような英雄や豪傑であっても

その闇に呑まれ、時間も距離も計ることを

忘れてしまったであろうというくらい地下深くの

彼方に、ぼうっと輝く赤い光の帯が見えてきた。

 

暗闇の中、突然現れたのは、赤く見上げるほど大きな鳥居。

地から立ち上る赤い光に反射して鈍く光るそこを通り抜けた瞬間、

耳に痛いほどの沈黙が、突然聞こえてきた低く深い声に破られた。

「これは、珍しい。人の魂が、この地を訪れるなど、幾世紀ぶりか。」

小さな光はまるで壁にぶつかったかのようにその動きを止める。

次の瞬間、無骨なほど大きな手が闇の中から

現われて形の定まらない光をその中に包みこむ。

手のひらの窪みにすっぽりと入る小さな光に、

手の主はまるでこそばゆいというかのように目を細めた。

「・・・なるほど。神銀を帯びているのか。」

手の主は楽しげに口角を上げる。

「さてさて、人に神銀を授けたは数えるほどであるが

そなたは何れから来たのやら。」

そういうと、手の中の光はそのままに、のしのしと地を踏みしめる。

向かった先は火口から続く道の行き止まり。

地下深くを流動する地球の命の根源である溶岩が

その真下を滾り流れる崖の淵。

その崖に深く突き出た大岩の先端に着くと、

その男神はどかりと胡坐をかいた。

そうして、手のひらを開くと小さな輝きをためつすがめつ眺める。

「魂の幻影か。そなた、夢に遊ぶはよいが帰り道を迷うたらいかがする。」

楽しげに、しかし若干の呆れも含んで揶揄すると

手の上の光は返事をするかのように明るく瞬く。

「あり得ぬと言うか。たいした自信だが、我のような

ものの元を訪れると、帰してもらえぬやもしれぬぞ。」

ほれ、このように。

そう言うと、光を包み込むかのようにもう片方の手をかぶせる。

そうして焦ったように激しく点滅を繰り返す光に苦笑すると

もう一度手のひらを開き自由にしてやった。

「冗談だ。単なる遊びでそなたの保護者を敵に

まわすほど愚かではない。」

そう言うと、ふっと真顔になる。

「何を求めて、はるばる火の宮まで来たのか。

そなたは森の龍穴で眠りについているはずであろう。」

「あまり無茶をすれば、眠りの自由も束縛されように。

そなたの夫がよう許したものだ。」

小さな光はまるで大丈夫だと微笑むように一際輝くと、

それから、小さな波動を放った。

『お一人なのですか。』

「そうだ。」

『ずっと?』

「ここでは、な。眷属の立ち入りを禁じておるゆえ。」

『なぜ?』

「ここがどういう場所か知っていて来たのであろう。

そなたの夫になんぞ言い含められでもしたのか?」

皮肉げな声に光は否定するように瞬きを繰り返す。

『・・・ここは・・・』

「神代の昔、大いなる創造神が産まれたわが子を

その手で滅し去った場所。

この河は、殺された子の体から流れ出た血だというぞ。」

 

根源神の一人であるイザナギ神とイザナミ神。

この世界で最初の夫婦神であるこの二柱の神は

国生みと神生みを行って、今ある秋津島を作り上げたのだという。

しかし、その蜜月はある神を誕生させたことで終わりを迎える。

火の神である迦具土神を生んだとき、引き換えに母神は体を焼かれ、

この常世とは異なる理を持つ黄泉の国の神となるべく冥界に下った。

そうして、この夫婦神から最後に産まれた子は激怒した父に殺されて

その定めを全うし、産まれてほんの数息で数多くの神の温床となったのだ。

秋津島上位神の一人、火の神である金床耶迦具土彦穂弟命

(かなとこやかぐつちひこほでのみこと)の宮は

神代の昔、自身と神祖の産屋であったとともに

母と子の霊廟であった地にあるのだ。

 

夢の中で結界を破りこの地に幻光となって

彷徨ってきた少女は火の神を気遣うように瞬く。

「・・・そなたはなにゆえ子を求める?あの龍だけでは不満か?」

『・・・・・・・』

手の上できらきらと瞬きを繰り返す

淡く美しい光を放つ少女から火の神は視線をそらす。

「埒もないことを申した。人間でも神でも女の気持ちなど

わからぬ。神祖イザナギ神の想いならばいざ知らず。」

『・・・お子を殺したことを後悔されておられると思いますか?』

結果、妻も子も失った偉大なる神は孤独のうちに

秋津島を去ったという。

「後悔、とな。かの神にとって数多くもった子の

うちの一人など、死のうが生きようがどうでもよいことだ。

そなたも感じるであろう?ここに満ちる

波動はそのような言葉で表しきれるものではない。」

火の神は光から目をそらし滾り流れる火の河を

見つめたまま淡々と言葉を紡ぐ。

「イザナギの御方は最後何を思うて叫ばれた?

この地に満ちるは、神代の彼方から決して消え去ることの

ないほどの慟哭。吾はこれを子守唄として育ったのだ。」

そうして、再び手のひらに視線を戻した。

「まさに呪われた地よ。並みのものでは耐えられぬ。

この嘆きは後悔ではなく憎しみだとは思わぬか。

妻を奪った子への呪い。

己一人を残して冥界に下った妻への呪い。

そうして、子を産むことを許した己への呪い、だと。」

手のひらの上で、まるで慰めるかのように

言葉もなく瞬いている光を見ながら、

いつになく饒舌な自分に呆れたような深いため息を吐く。

このような愚痴ともつかない繰言を口にするとは、な。

「これが噂の御霊鎮めの力か。」

皮肉げに呟いた火の神は暗い瞳を光に向ける。

父母なくして迦具土神の屍から生まれでたこの神は

この地に満ちる力の名残を糧として、

自身の力のみでのし上がったのだ。

穢れを浄化し、闇を焼き尽くす秋津島上位神火の御方。

妻にも子にも存在意義を感じることのない孤高の神は

ただ一人、孤独に気付かぬほどの孤独の中、

ひたすらに力を追い求め上り詰めたのは無意識に

得られなかったものへの代償を求めていたのだろうか。

深い物思いに、小さな声が忍び込む。

一人で寂しくはないのか、と。

寂しい?

火の神はそのいかつい肩を竦める。

「去れ。たとえ魂の影だとて、そなたのようなものが

長い時間いてよい所ではない。神銀の加護がなくば

とうに呪いに塗りつぶされておるわ。」

知らず気付いた自身の身の上に、

しかし上位神としての矜持を見せながらそういうと、

手のひらを弾ませ、小さな光に向かって

ピンッと弾指したのであった。

 

 

周囲に満ちる空気そのものが、

まるで蒼く発光しているかのような光に満ちた空間。

その中心にはどのような素材でできているか

包み込むように柔らかく真っ白な褥があり、

そこにはその身長を覆うほど長く、

美しく輝く栗色の髪だけを纏った娘が眠っている。

まるで琥珀の中に閉じ込められた小さな生き物のように

身動きせずに眠っている娘の傍らには、

娘と同じく美しい彫刻のように瞬きもせず、

愛しげな視線を落とす青年が一人付き添っている。

と、まるで水面をたゆたっていた葉が風に吹き流されるように

眠っている娘の瞼がさざなみのごとく揺れ少しずつ開かれていく。

「お帰り、千尋。」

同時に彫刻のごとき若者が生気を吹き返す。

空中に甘やかな声の波動が海の波のように響き渡って。

先に眠りについたときと寸分変わらぬ姿勢で見守っている夫に

千尋は、まだ眠りの中にいるかのように

けぶった視線を向けながらかすれた声で話しかける。

「はく、約束して。」

「何を?」

青年の蕩けそうなほど甘い声は妻の視線を

独り占めしていることへの喜びに満ちていて。

しかし、次の言葉にその顔は憂いを帯びる。

「わたし達の子をわたしたちの手で幸せにすることを。

あなたのお父様のように、イザナギ神様のように、

子どもよりわたしを優先しないで。」

「・・・・・・」

「お願い。」

再び眠りにつくかのようにゆっくりと閉じた瞼から

一筋の涙が流れ落ちる。

「はく。」

「お眠り、千尋。何も心配しないで。」

「やくそくし・・・て・・・」

その言葉を最後に千尋は

琥珀主の返事を待たず、

ふたたび深い眠りに入っていった。

青年はいつまでも手放せないというように栗色の髪を撫で続ける。

そうして、何事かまじないを呟くと、そっと唇を触れ合わせる。

「約束しよう。そなたが悲しむことはしない、と。

だから、お眠り。まだ見ぬ子のことなど心配せずに。

今度は、心弾む夢を見ることができようから。」

 

夢か現か。

龍穴の結界に守られて、愛しい龍に見守られながら

眠りのうちに、まるで胡蝶のごとく秋津島の様々な場所を訪れた

千尋は、目覚めた後の先の未来に、この話を思い出すことになる。

 

 

おしまい

 

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火の神、金床耶迦具土彦穂弟命様についての詳しいお話しは

第2部人物および設定紹介の上位神の章を参照してくださいませ。