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東京ビッグサイト誕生秘話

東京ビッグサイト誕生秘話

“秘話”とつけましたが、いわゆる暴露話ではありません。裏方の苦労話です
めったにない大プロジェクトについて、後進の参考にと作りました。
すでに四半世紀が過ぎていますので、記憶違いもあると思います。主観も入っています。

ラピュタになりそこねた会議棟


▼ 天空の城、墜落す

国際展示場の設計は指名プロポーザルという方法で決められた。平成元(1989)年のことだ。
設計者は(株)佐藤総合計画である。
プロポーザル案を見てわかるように、逆三角形の会議等が高くそびえ立っている。 100m近くに達するはずだった(臨海部は航空機の飛行経路との絡みで100mを超える建物が作れない。写真は「東京ビッグサイト5年のあゆみ」から)。

proposal

会議棟のイメージは「空中都市」。
宮崎駿の「天空の城ラピュタ」が公開されたのは昭和61(1986)年だから、大いに影響を受けていたことだろう。
しかし、この高さは、現場サイドからの強い抵抗で、今の58mまで引き下げられた。
引き下げた理由を聞いたことはないが、素人の私でもわかる。来場者の輸送能力の問題だ。
会議棟の内部には大きな会議室が設けられることになっていた。来場者は来るときはパラパラでも、帰るときはいっせいに帰る。当然、エレベーターのキャパでは限界がある。
エレベーターとエスカレーターとでは、輸送能力がまったく違う。大型のエスカレーターは必須要件だった。
それに、良い会場というものには必ず「裏導線」または「VIP導線」というものがあって、すべてのエレベーターを来場者に開放してはいない。 都知事や海外の要人を来場者といっしょに運ぶことは警備上問題があるためだ。
4本足にすべてエレベーターを配置するとしても、1本はVIP専用、1本は荷物輸送用になる。1台15人乗れても、1,000人を運ぶのには大仕事だ。
だから、当初案では長時間のエレベーター待ちが生じる。

ただし、輸送力の大きいエスカレーターは事故が起きやすい。少なくとも降り口の先には十分な空間の確保ができてないと、将棋倒しが起こる。
東京ビッグサイトでもエスカレーター事故が起こった。その件については後述する。

設計会社も、おそらく輸送力の問題は知っていたと思う。 しかし、あえてこういう完成予定図を作ったのは、「審査がプロポーザル方式だった」というところに原因があると想像してみるとよくわかる。

当時、東京都では次々とハコ物を作っていたが、一般的にはプロポーザルによって設計が決まっていた。
通常、役所の契約は入札による。入札だとちょっとでも安い方が勝つ。 しかし、唯一無二の物件だと、入札で決めるのは困難だ。
こういった場合、プロポーザルという手法がとられる。
しかし、それを審査する側は役所の幹部だったり、関係会社のトップだったりで、実際のところ建設設計や運用管理の面では素人に近い。
結果、プロポーザル方式だと「見ばえのいい案」が採択される可能性が高い。

東京都庁もプロポーザルで決まった。決まる前から「きっと丹下事務所だよ」という噂はあり、そのとおりになった。丹下健三は旧都庁舎の設計者であったし、実績も多かった。 そこに決まるのは当然と言えば当然だし、個人的には都庁のデザインは好きだ。
だが、実際に中で仕事をしていると使いづらい。
上の“2本づの”の部分は、うっかりN(北)、S(南)を間違えると、行き来に時間がかかる。 縦に長い建物はエレベーター待ちの問題が生じる。
役所は、ともすればセクショナリズムに陥りがちなのだが、細く高い造りはこれを助長する。
いくら高くしたって、周りにあれほど高層ビルが多くては景色は良くない。
行政窓口へのアクセスと一般観光客のアクセスを区分しなかったのも問題だ。開業当初は観光客が入り込んで混乱した。
こうしたセキュリティ上の危険については、有楽町時代からわかっていたはず。 最近になって、1階で入場規制するようになった。
だからといって、設計者をとがめることはできない。そんなことを言うと、丹下先生が生きていたら怒るだろう。そういう設計を誘導したのは、都庁側だからだ。

東京オリンピックに向けた、国際競技場の当初案がやり直しになったのは、まだ、記憶に新しい。 当初案は、経費は膨大にかかり、工事の面でも、完成させるのがかなり困難だった。 「これでは建設工事ではなく、土木工事の領域だ」とまで言われた。
「また、同じ事を繰り返しているな」と私は思った。
ちなみに、役所の建物の設計を任されることは“設計者冥利に尽きる”とも言われる。やりたいようにやれるからだ。

国際展示場の竣工当時、国際展示場のこのプロポーザル図を見るたび、都庁の担当職員は「最初の案でやっていれば、もっと見ばえがよかったのにねー」と、嫌味を言った。
「見ばえ」――最近よく使われる言葉に言い換えるなら「パフォーマンス」と言ったところになる。
都庁はこの頃からちょっとずつおかしくなっていった。

▼ チタンの鎧

設計者への悪口ばかりになってしまったが、佐藤総合計画がきわめて短期間で国際展示場の設計図を作らなくてはならなかったという事情は斟酌すべきだ。
当時の業界紙を見ると「さすが」という言葉によって賞賛されていた。
ビッグサイトは基本的に、90m×90mのコンポーネントを単位として構成されている。これが短時間で設計できた理由だ。全体は複雑な形状でも、個々の部分は同一になっている。

また、バブルの時代だったので、建築材料にはひじょうに贅沢ができた。
海が近いので塩害が発生する。このため、アルミやステンレスなどの錆びない鋼材が多様された。
これらの素材を使ってデザインされた展示場の屋根は「波」、レセプションホールの屋根は「船」、ガレリアは「桟橋」をイメージしている。

極めつけは、あの逆三角形の会議棟だ。表面に張ってある茶色のプレートはチタンである。 当時、チタンはようやくゴルフ道具やメガネのフレームに使われ出した頃で、まだ、ひじょうに高価だった。それをあれだけ使った。 「千円札を貼っているようなものだ」と、関係者は言っていた。
実際に、あのプレートを1枚持たしてもらったことがあるが、ひじょうに軽くて驚いた。
ただし、その代わりにせっかくの会議棟には窓がほとんどない。これは残念なところだった。

会議棟の中には1,000人が入る国際会議場がある。4カ国語の同時通訳ブースがあり、各席にはイヤホンの取り出し口がある。
私たちは、国際会議場でファッションショーやテレビ向けイベントなどもやりたいと思った。
しかし、国際会議場は会議場としての利用しかできない。興業法上の基準で、会議場仕様なのだ。最初から1,000人ありきだったから、余裕がない。
このあたりも、世界都市博優先の設計になったためのデメリットだろう。

会議棟の屋上にはヘリポートがある。この高さでは義務づけはないのだが、多分当初の案にあったのだろう。
だが、4本柱の先端が会議棟の屋上に突き出していて、障害物となっている。
航空関連業界の見学者が言った。「ここに降りられるのはベトナム帰りだけだな」
今の若い人は、アメリカとベトナムが戦争をしていたことを知らない人もいるから通じないかもしれない。
まさか、日本とアメリカが戦争をしたことを知らない人はいないだろうけど・・・。まさかね。

また、自然光がふんだんに入る大空間を演出した方が、完成予定図は見ばえがよくなる。 このため、役所の建物には“アトリウム”と呼ばれる大空間が付いていることが多い。
東京ビッグサイトにもあるし、国際フォーラムは建物全体がそのような構造になっている。
開業直後に、ワイルドワンズがアトリウムに来て歌を歌った。
「ここは、音の響きがヘルスセンターみたいだな」と、言っていた。
この空間の空調経費は、ばかにならない。
気をつけないと、ガラスに鳩のフンが溜まって、たいへんな有様になったりする。



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