建つ前から、新工法のデモ会場
国際展示場の工事は、平成4(1992)年10月に開始され、平成7(1995)年10月に竣工となる。
これだけの大規模施設となるとJVは必然。それでも、とても1社では管理しきれない(邪推だが、1社だと、どこの会社が取るのかで収拾がつかなくなるのかもしれない)。
工事は3工区に分かれて行われた。
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管理会議棟:代表 間組
JV構成:間組、青木建設、日本国土開発、新井組、松井建設、不動建設、今西組、東海建設
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東展示棟:代表 清水建設
JV構成:清水建設、前田建設工業、東急建設、長谷工コーポレーション、大日本土木、村本建設、東亜建設工業、北野建設、共立建設、不二建業建設
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西展示棟:代表 フジタ
JV構成:フジタ、飛鳥建設、鴻池組、東海興業、大本組、地崎興業、株木建設
工事には、様々な新工法が活用された。
▼ 現代の一夜城
会議棟躯体と東展示棟大屋根にはリフトアップ工法が用いられた。
会議棟は上層部(6階~8階)が地上で組み立てられ、23m引き上げられた。総重量は6,500tを超えていた。
鈴木知事出席のもと、リフトアップ式典が行われ、その裏方を私たちが任された。
「それでは知事、スイッチをどうぞ」と司会のお姉さんが宣言する。知事がボタンを押す。楽隊が音楽を鳴らす。
・・・・しかし、会議棟はいっこうに上がっていかなかった。実は、リフトアップのスピードは毎分15cmくらい。だから、動いている様子はよくよく見ないとわからないのだ。
それでも、2日目が終わる頃には、ほぼ現在の高さまで上がり。3日目にリフトアップは終了した(写真は東京ビッグサイト10周年記念誌から)。
首都高を走っているタクシーの運転手は、急に建物が建ち上がったので、びっくりしたそうだ。
「一夜城のようだ」と言った人がいたが、私は「まさしくサンダーバードそのもの!」と思った。
その後、映画「ゴジラvsデストロイア」を見たら、秘密兵器スーパーXⅢが基地内をリフトアップする。川北監督はこの工事から発想を得たにちがいない。
東展示場の大屋根にもリフトアップ工法が用いられた。
大屋根は90m四方あり、1枚の重量は2,000t。計6枚が、17mの高さまで引き上げられた。
こちらの写真は、
巴コーポレーションのホームページに詳しく掲載されている。
アトリウムを覆うガラスの屋根(重量500t)は、西展示場の屋上で組み立てられ、横に引かれて設置された
こちらはスライド工法と呼ばれた
リフトアップ工法は、青海のテレコムセンターでも活用されている。
私が知るところでは、飯田橋のしごとセンターも、リフトアップ工法を使って上層階から組み立てられたということだった。
▼ お台場でも建設が進む
お台場ではフジテレビ本社社屋が建設中で、その様子は晴海からも見えた。設計は丹下健三氏、施工は鹿島建設である。
あの特徴的な丸い展望台だが、地上部分で内側の枠の鉄骨がまず組み上げられ、それが尺取り虫のように、桁の上に上がっていった。
その後から、外装が貼られた。
何と呼ばれる工法なのかは、残念ながら知らない。
あの玉の外装もチタンでできているらしい。