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東京ビッグサイト誕生秘話

東京ビッグサイト誕生秘話

“秘話”とつけましたが、いわゆる暴露話ではありません。裏方の苦労話です
めったにない大プロジェクトについて、後進の参考にと作りました。
すでに四半世紀が過ぎていますので、記憶違いもあると思います。主観も入っています。

許しがたい、東京都の心変わり


▼ 話が違う!

東京ビッグサイトという名前がこうしてようやく確定した。
主催者団体との会議を催し、私たち新展示場準備室と都庁関係者とが並んで「これからは、この名前で売っていくので、よろしくお願いします。」と深々と頭を下げた。
ところがそのうち、主催者からクレームが入るようになる。
「東京都と話をしたが、“東京ビッグサイト”なんて言葉、ちっとも出てこなかったぞ。」

新しい名前が定着するのには時間が係るし、関係者一同が心を一つにして取り組まなくてはなかなかうまくいかない。
私には公共職業安定所が“ハローワーク”になったときの記憶が鮮明に残っている。 そもそも、“ハローワーク”なんて、よくわからない和製英語だ。 しかし、職安の古いイメージを払拭する経営戦略としては、きわめて有効な手法だった。
職安がハローワークになるという、まさしくその日、私は仕事で職安に電話をかけた。9時にまだ5分ほど間があった早朝だ。 しかし、電話口からはまったくよどみなく、返答があった。
「はい、ハローワーク〇〇です」
こういう対応は事前から徹底しておかなければ難しい。国の機関は、そういう面は完全に秩序がとれている。都の人間として、うらやましく感じる。
ずっと昔、私は国費の方々(=国家公務員の地方事務官)と隣り合わせで仕事をしていたことがあった。飲む機会も何回かあり、彼らはこんな話をされた。
「都の職員はうらやましいです。管理職試験があって」 「何で? 試験なんてない方がいいんじゃないの」 「私たちは、毎日が試験みたいなもんなんです」 それだけ、厳しさが違うのかと感じた。
私は東京都に管理職試験があることは歓迎していた。なぜなら「受験しなければ管理職にならないですむ」自由が保障されるからだ。 私は役人であり、役所から36年間も給料をもらってきたが、最後まで“役人”とは肌が合わなかった。 退職して縁が切れて、ようやくこんな話も書くことができるようになった。

主催者からのクレームを受けて、私は都庁に連絡を入れた。答はあっさりしたもの。
「そんな名前、使う必要はない。“こくてん”でいいじゃないか」
「こくてん」とは、工事期間中、建設現場で使われていた通称である。
だったら、あんなに苦労して名前を決めた意味が無い。
おそらく、この見解は東京都の総意ではない。管理職はそのような判断はしない。しても、そうは言わない。 たぶん、係長レベルの意見である。
「展示場の愛称選考なんて、PR事業の一つに過ぎない」と軽く考えられていたことを知った。

一昔前、「都庁は係長行政」と言われた時期があった。管理職は2年から3年くらいで頻繁に移動する。新米の管理職は、部下の係長に頼らざるをえない。 だから、職場を牛耳るのは古参の係長になる。必然的にボス化する。情報を管理職に上げない。
こういう状況を打開するために主任試験が導入された。係長に昇任する職員は、管理職と同じように畑違いの職場に強制的に人事異動させられた。 しかし、技術職は異動先の職場が限定される。畑違いに転勤というわけにはいかない。だから、技術職場では、ベテランのボス的差配が残っていた。
(※ただし、ベテラン職員育成を怠った副作用として、今、都庁は別の悩みを抱えている。だから、私もこういうサイトを作っている)

後に「ゴジラvsデストロイア」が映画になり、臨海部がその舞台となった。
「デストロイアが国際展示場の方へ!」というセリフがある。そのころ東宝との接触は都庁が担当していた。 なんで「デストロイアが東京ビッグサイトの方へ!」と言ってくれないんだろう、悔しかった。

▼ 必死の巻き返し戦略

どうしたものだろうかと考えあぐね、私は副会長に相談した。関係者全部が一致団結しなければ、新しい名称は普及しない。なのにもう足元が乱れている。
副会長は、こう話した。
「国際展示場というのは一般的な呼び方だ。いわば、体育館とか消防署とかと同じだ。だから、固有の名前は必要だ。今までの通り、その普及に努めなさい」
この言葉に勇気を受けて、私たちは国際展示場ではなく「東京ビッグサイト」の周知を進めた。
まず、主催者団体には「展示会の開催場所は“東京ビッグサイト”でお願いします」と依頼した。 「でも・・・」と不安を感じる場合は、「“国際展示場:東京ビッグサイト”と表記してください」と頼んだ。
主催者はポスターやチラシを作らなければならないので、対応を急いでいた。
次に、自分たちで作るチラシ・パンフレットの類は、すべて「東京ビッグサイト」の表記で統一した。

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シンボルマークが使えなくなってしまったため、東京ビッグサイトの名称をあしらったロゴマークを作ろうということになった。 もう、選考委員会がどうのこうのと言っている余裕はない。この辺から“即断即決”の嵐のような時期が進む。

デザインしたのは出入りのデザイナーさんで、有名人ではない。
3つほど案を作ってもらい。ウチの係員の感想を聞いた。 「どれがいいと思う?」「これ」「私もこれかな」「私もこれがいいと思います」、皆が一致した。「ボクもこれがいいと思う。じゃ決定!」
それで決まった。1分もかからなかった。そのロゴが20年も使われたのだから、何がどうなるかわからない。
ちなみに、青い横線は東京港の海(ウォーターフロントのイメージ)を、赤・橙・黄の3本線は虹(レインボーブリッジのイメージ)を示し、 そこに、東京ビッグサイトの象徴だった会議棟の逆三角形をあしらってある。

その後、ゆりかもめとりんかい線に、「国際展示場正門」と「国際展示場」の駅名を変えらえないか打診する。 しかし、すでに決まった駅名を変えるのは難しいとの答だった。
今回、ゆりかもめの方は、駅名が「東京ビッグサイト」に変わることに決まった。ここに至るまで24年かかった。感無量。
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追補:ゆりかもめの駅名は、2019年3月16日に「東京ビッグサイト駅」に改訂された。うれしい。
できればもっと大々的に宣伝してもらいたかったが・・・。

次に、駅名が変えられないなら、何らかの形で「東京ビッグサイト」と表示できないかと打診した。
りんかい線は、有料でよいなら、駅の表示に「東京ビッグサイト」と掲載してもよいと回答があった。
今も、駅名とならんでその表示がある。当時は、駅名と並べて「〇〇本社前」などの表記するルールはなかったので、当方が先鞭を付けたことになるだろう。
ゆりかもめは、英語アナウンスを車内に流すのだが、どうするか、という風に言ってきた。
「TOKYO BIGSIGHT,the tokyo internaional exhibition center,on your right」とアナウンスが流れる。それは当時のお願いによるものだ。

それでも、“バタ臭い”と評された「東京ビッグサイト」という名前は、なかなか普及しなかった。
たまたま、派遣職員が海外旅行に行って、現地の友人に会う機会があった。 友人は今度、東京に行くことがあると言う。職員が「どこ?」と問うと「TOKYO BIG SIGHT!」と答えたとのこと。
国内よりも、むしろ海外で、その名前は普及していた。


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