果てしなく続く見学対応
有明の建設現場の完成が近づき、東京ビッグサイトの愛称が決まると、新しい展示場のPR活動が本格化してきた。
「見学に行きたいんですけど」という問合せが多くなる。でも、まだ無理。
しかし、主催者団体は、この段階で会場を見ておきたい。営業担当は、そういう人たちを連れて会場案内した。
当然、都庁の幹部職員も、完成前の現場を見ておきたい。それはいい。
マスコミ関係者も同じ。特に、世界都市博の開催や、臨海副都心の将来に暗雲が生じ始めてからは、むしろこっちからPRのために招聘したくらいだ。
それから、都庁職員ではないが、都庁の事業に係わっている人たち、例えばいろいろな審議会などのメンバーも、見たいという。これもウエルカムだ。
しかし、見本市協会の営業課は「展示会の主催者は自分たちのお客だから案内するが、収益に繋がらない都庁の関係者は案内しない」と言った。ま、それも正論だと思う。
▼ 見学者案内が仕事の大部分を侵食
という流れで、都庁から紹介された団体の会場見学は、M室長と私が担当することになった。
ここまでは、いい。
だが、あまりにも見学が多くなって、事務ができない。1回の見学は1時間半から2時間くらいで、多いときには1日3本も入った。
人数が多いと、1人では面倒見切れない。
このため、派遣社員を雇って、見学者対応の補助をしてもらうことになった。
その後、竣工式典が終了し、誰でも会場に入れるようになる。そうなると、案内してほしいという一般からの要望は、さらに大きくなった。
この頃には、都市博中止も決まっていて、都庁も臨海部の引き起こしに必死だ。その一方で“臨海副都心の観光地化”という現象が起こっていた。
一般の観光客まで案内できない。「勝手に見ていってください」と突き放した。
しかし、都庁から「今度、こういう団体が来るから、会場の案内をしてやってほしい」という話が、矢継ぎ早に出るようになった。
たぶん、議員の先生方からの要望だ。“役人は議員に弱い、議員は支持者に弱い”というのが、世の中の一般原則なのだ。
かくして、なぜ案内しなければならないかよくわからない団体が次々と来るようになった。
事務をする時間がさらに少なくなる。午前と午後4時以降しか、事務をする時間が確保できない。当然、毎日残業。
さらにひどいことに、私たちが場内案内していることを知った観光会社が、東京ビッグサイトを臨海部観光の目玉スポットにした。
勝手に観光客をつれてくる。でも、見学自由だから、拒めない。
そのうちに、無断で観光バスを乗り付けるようになる。
「都庁が勝手に観光客を受け入れるから、こんなことになったんだ」と、現場からはお叱りを受ける。
▼ 大事なことだから「しのごの」言う
そういう状況だったが、最初に案内担当を補助してくれた派遣の方々2名(その後4名に増員)が、よく動いてくれた。彼女たちの評判はたいへんよかった。
開業後は、彼女たちに総合案内窓口をお願いした。
来場者の苦情や、会場運営についてあれこれ改善しなくてはならない点など、重要な情報が彼女らから私に伝えられた。後述する直射日光対策なども、その一つだ。
しかし、上司からはきびしく言われていた。「しのごの文句を言うようなら変えろ」。この話は今初めてする。
見本市協会は、彼女たちを来場者の苦情の防波堤にしようとしていた。
私も労働関係の仕事をやっていたから、派遣社員がどのような扱いを受けているか、よく知っていた。だから、四半世紀前としては、そういう言い方も、ま、不思議ではない。
でも、彼女たちは、「しのごの」言った。お客様のことを思って言っているのだし、この展示場がちょっとでもいいものになってほしいと純粋に考えて意見してくれているのだ。
しかし、それを上に伝えれば、彼女たちの評価にとってマイナスになる。「うるさいから別の派遣会社に変えた方がいいな」と、なりかねない。
だから、私の段階で留めたものも多い。本当にだめな上司だな、と自己嫌悪になった。
「外国のお客様が来て“国際展示場と言うのに両替できる銀行一つないぞ”と言っていった」というので、自腹でゆりかもめのプリペイドカードを購入し、
「申しわけありませんが、これを使って新橋で両替してください、とお詫びしてください」と、頼んだ。
子どもが大挙して集まるイベントの時は、迷子の預かり場所になってくれた。
(子どもは自分が迷子だと思っていないので落ち着いている、親は子どもが迷子になったといって狼狽していた)。
冬場はあまりにも場内が寒いので「勤務日を減らすからまとめて休んでください」と言ったら、「それでは私たちの生活が干上がってしまいます」と言われた。
そうか、それが派遣というものなのだと痛感した。労働畑の出身者としては失格だな。
次の冬は、自腹でパネルヒーターを買ってあげた。
開業後に会場運営が順調になってきた頃、彼女らを誘って8階の高級レストランで夕食会をした。コース1人あたり6,000円+ワイン代。けっこうな出費を自腹で出した。
彼女たちは見学者を案内するとき、「会議棟の8階には、高級なレストランあって、皆さまのおいでをお待ちしています」とアナウンスしている。
このレストランは、当時日本への初進出を目論んでいた外国ホテルが試験的に出した店舗だった。歌手の小泉今日子さんの写真撮影にも使われていた。
しかし彼女たちは、実際にはそのレストランで食事をしたことはない。だから、1度は連れて行ってあげたかった。もっとも、私もそこで食事したことはなかったし・・・。
ところが、そのことが別の派遣会社の女性たちのも伝わってしまい、「ずるい」ということになった。「ここまで来たらしゃあないな」と思って、こっちもごちそうした。
「こういう場合は家まで送っていくのが常識でしょ」といわれて、送った(ウ~タクシー代、高い)。
そんなこんなで大枚をはたいたが、今考えると、私が女性に夕食をごちそうしたのは、それが「人生最後」だった。
もうちょっと張り込んでもよかったような気もする。
その後、何代か後の担当が、その時私がやったのと同じようなことをやり、羽目を外しすぎてセクハラ騒ぎになったらしい。
やはり、一定の距離は必要だ。
▼ “特別な人”って?
世界都市博が中止になってしばらく経った。
都庁から、また見学のオーダーだ。「特別な人だから、丁寧に対応してほしい」
「特別って、どんな人ですか」「だから、特別な人なんだ」と、相手の素性を教えてくれない。
「きっと、かなり偉い人が、お忍びで見学に来るのだろう・・・」と、私はVIP相当の対応を用意した。ご挨拶は幹部職員にお願いした。
見学もフルコースにし、説明もかなり詳しく行った。
ただ、来たのがあまり年配の人ではなかったので、ちょっと変だとは思った。
来客が帰ってから「実際、どんな要人だったんですか」と東京都の担当に聞いた。
「あの人ね。都市博が開催するときに、カモノハシが来ることになってただろう。その飼育員だよ」
たしかに「特別な人」という意味では、間違っていなかったが・・・。