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東京ビッグサイト誕生秘話

東京ビッグサイト誕生秘話

“秘話”とつけましたが、いわゆる暴露話ではありません。裏方の苦労話です
めったにない大プロジェクトについて、後進の参考にと作りました。
すでに四半世紀が過ぎていますので、記憶違いもあると思います。主観も入っています。

まさかまさかの前倒し開業


▼ ダイナマイトで火事を消す

都市博中止が決定したのが平成7(1995)年5月31日、展示場オープンの前倒しが決まったのはたぶん6月半ば頃だったと思う。 東京ビッグサイトは、当初予定の11月を半年以上前倒しして、平成8(1996)年4月1日に正式オープンすることとなった。
その時点では、もう1年を切っていた。都市博のゴタゴタで事業は遅れていた、にもかかわらず前倒し。ありえない。
前にも述べたように、展示会は2年周期で回る。世界都市博の期間中に開催される展示会は、当然、もう「晴海開催」を決めていた。 晴海会場側との契約も結ばれていたから損害賠償請求だってできる。

関係者の多くは、前倒し開業に反対だった。だけども東京都の意向には逆らえない。
都庁の中には「有明に移れる展示会だけ移せばいい」という考え方もあったが、それではどちらも非効率になり、会場側は赤字になる。
そのうえ、新展示場の貸出料金もまだ決まっていない。ここまで追い詰められると、一気に火を消すしかない。
私たちは、「晴海見本市会場の完全閉鎖と東京ビッグサイトの前倒し開業」をセットにし、さらに貸出料金の決定も同時に行って、一度に決着しようとした。 ダイナマイトの爆風で火事を消すようなものだ。

▼ 星の時間

そこで問題になるのが貸出料金である。都市博中止で東京都は弱みを晒している。主催者としては、この機会を利用して少しでも安い料金に持ち込みたい。 では、主催者は本音のところ、どのくらいと決着しようと考えているのか。
私たちは、いろいろ情報を取り、「400円/㎡をいくぶん越えるだろう」と考えているらしいとの感触を得た。 一気に解決に向かうには、これ以下にしなければ、皆、納得しない。
条件交渉で折り合うだけの時間は、私たちに残されていない。相手方もそうだった。

会議の冒頭、(社)日本展示会協会の会長が口火を切った。 「私たちの展示会のポスターは、今まさに、印刷工場の輪転機に乗っている。輪転機を止めて、会場に“晴海”と入れるのか“有明”と入れるのか、待っているところだ。 この場で決着をつけたい」

これに対して、見本市協会のN総務部長は答えた。
「展示会のホールの貸出料金は平米単価で380円にします。今、消費税の5%へのアップが予定されていますが、消費税が5%になっても400円を切る金額としました」
「新会場は4月1日にオープンします。これにより晴海の見本市会場は3月末で完全閉鎖します」
「すでに晴海会場に予約を入れている方にはご迷惑をかけることになります。このため、予約済の展示会に限り、晴海会場と同額の単価で新展示場をお貸しします」 (注:同額といっても、ホール面積が大きくなる分、ホールの貸出料金は増える)。

主催者の反応は早かった。会議が終わるなり、皆、足早に公衆電話に向かった。電話コーナーからは「次は有明だ!」という声が響いていた(この頃はまだ携帯電話は普及していない)。
たぶん「400円以下だったら即決着」という意思の統一ができていたのだろう。
『人類の星の時間』という本があるが、東京ビッグサイトに“星の時間”があるとすれば、この時だった。
それを書きたくて、本稿を残したのである。

▼ 竣工式典

さて、工事は予定どおり平成7(1995)年10月16日に竣工した。 開業は平成8(1996)年4月1日に決定した。 とはいえ、それまでに解決しなければならない課題は山積していた。

まず、中断していた竣工式典が、開催されることになった。日時は平成7(1995)年11月27日の当初予定どおりである。もう5か月しかない。
委託先の広告代理店は、「急にストップしろと言われたあげく、今になって予定どおりにやれと言われるとは・・・」と、こぼした。

shunko

当初案では、都知事を国際会議場に入れて式典を行うことになっていた。しかし、会場全体を見てもらいたいと誰かが言い出し、24万㎡の敷地内、知事を引き回すことになった。
そこで、見本市協会も竣工式典に併せて装飾関係の展示会(STAND & DISPLAY FAIR)を西ホールで実施することにした。これは装飾業者のデモだから仕立てるのは容易だ。
しかし、だだっ広い東ホールをどう見せるかが課題となった。
そこで、山九(株)という会社に頼んで、大きなクレーンを置いてもらうことにした。広さと天井の高さを強調するためである。
そして、開催イベントは会議棟の下で行われた。臨海部は風が強い。そこで舞台の壁には風抜きのためのスリットを入れてもらった。 しかしそれだけでは危ないので、式典の最中、私たちは後ろで壁を押さえていた。だから、式典そのものは見ていない。
写真は竣工式典の様子(東京ビッグサイト5年のあゆみから)。あの舞台の後ろで、私たちが押さえていた。

「東京国際展示場の展示面積は8万平米でわが国最大、さらに最新鋭の情報機器が設置されています。
「しかし、この展示場が誇りに思うのは、長年に渡って晴海の見本市会場を利用してきていただいたお客様がいることです。
「これからも、皆さまのショーケースとして、この展示場をご活用ください。」
と、青島知事は、高らかに挨拶した。
この挨拶の元ネタは、東京国際見本市協会会報の臨時増刊号での会長(=青島幸男)の挨拶だ。その原稿を書いたのは、この私だ。
都の担当部門が「参考にするから送ってよ」というのでさし上げたら、参考どころか丸々パクられた。

竣工式典に集まっているのは、多くのイベント関係者たちだった。
「都市博中止の被害者もずいぶんいるんじゃないか。被害者集会みたいなもんだな」と、誰かが言っていた。
ちなみに、フジテレビの人気ドラマに「踊る大捜査線」というのがある。主人公の名前が「青島」となっているのは、青島知事由来だ。
しかし、「事件は現場で起きているんだ」と言うべき相手は、意外と都知事本人だったのかもしれない。

▼ テストイベント

竣工式典が終わっても息がつけない毎日だった。
平成8(1996)年3月27日、東京ビッグサイトの管理が(社)東京国際見本市協会に引き渡された。
オープンは4月1日、ということは数日間の空白が発生する。この間に小規模なイベントを開催して管理の習熟度を上げようという話が出た。

プロデュースは、ゲーム「サクラ大戦」の作者として有名だった広井王子氏。
広井さんは、「ボクらは鉄腕アトムを見て育った。空中を列車が走り、ビルが空に浮いているような未来を夢見てきた。それが今、現実になったんですね」と言われた。

会議棟に下に臨時の舞台が作られ、桜井智さんのコンサートが行われた。私の役目は桜井さんの控え室の見張り。変なヤツが来ないように、ここに立って見張れといわれた。
歌が始まって演奏中に音が途切れるというハプニングがあった。スタッフに大丈夫ですか、と聞いたら、「よくあることですから」という。
その後、大阪にいる声優の横山智佐さんとインターネットを使ってのやり取りが続く。 当時はまだ、ネット回線が不安定だった。スタッフに大丈夫ですか、と聞いたら、「切れたらビデオを流します、2人ともよく馴れてますから、大丈夫です」とのこと。
繋がってなくても、繋がっているかのようにビデオと話ができる。すごい!
実際には、そのどっちだったかは判別できなかった。

コンサートが終了して、スタッフでもないのに桜井さんに「お疲れ様」と声をかけたら、「お疲れ様」と返してくれた。
それにしても、桜井智さんは、かわいかった。


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