今、話題の人気スポット“臨海副都心”
▼ ただの空き地に押し寄せる観光客
都市博中止で、臨海部の関係者は皆が意気消沈した。
マスコミは連日“空気を運ぶゆりかもめ”と書き立てた。
ゆりかもめも設備の増設をストップした。
「これからは、国際展示場さんと二人三脚ですから、よろしくお願いしますよ」という。
「実際に展示場が稼働したら運びきれなくなる恐れがあります」「そんなこと、ありませんよ・・・」
ゆりかもめも東京ビッグサイトの実力を過小評価していた。
ある日、場内を回っていると、ゆりかもめの知人らが8階のレストランで新聞を拡げて祝杯を上げている。
「今日は、こんなに大きく取り上げられている」と、うれしそうだ。記事は、臨海開発に暗雲という内容なのに。
聞くと、新聞にそういう記事が載る度に、ゆりかもめの乗客が増えているということだった。
「この大きさだったら、広告代〇〇万円に相当するぞ」と、皆、喜んでいた。
「本社内でこんな話をするわけにはいかないからね」と、舌を出した。
ところが、それだけでは、すまなかった。
しばらく経ってテレビ局が取材に来た。「空気を運ぶって聞いてたんですが、けっこう乗ってましたね」と、ニューススタッフは言った。
ゆりかもめは、は当初、観光路線としての位置づけだった。だから、窓が大きい車輌が走った。
最初はガラガラだった。初めての始発電車には、話題性を得ようと「ゴジラ」も乗せたが、小さな記事にしかならなかった。
運賃も高かった。席がせまくて窮屈だ。親しい間柄じゃないと、向かい合って座れない。
しかし、乗ってみると「これはいける!」と私たちは実感した。
展示場に来る来場者はワクワク感を抱いている。新橋からレインボーブリッジをぐるっと回って上がってくるとき、「おー」という声が上がった。
外国人の観光客がゆりかもめに乗って、こんな会話をしていた。
「オレたちはこの電車をハイジャックできないぞ。何たって運転手がいないからな」
世界都市博当時、東京都の事前想定では、東京ビッグサイトの来場者は7割が臨海副都心線、3割がゆりかもめから来るとされていた。
臨海副都心線はまだ大崎に直結しておらず、新木場からのキックバックである。
こんな予想は当たるはずないだろーが!
▼ 都心にいちばん近い外国
気が付けば、「何にもない」と言われた臨海副都心に、どんどん観光客が押し寄せていた。
「都市博中止の臨海副都心」はいつの間にか、「今話題の臨海副都心」にすり替わっていたのだ。
都心のすぐそばなのに、たしかにちょっと日本離れした感じがする。海岸では、子どもたちが水遊びを楽しんでいた(こんな汚いところでいいのかな?)
観覧車ができて、連日長蛇の列となった。大きなゲームセンターができた。イベントのテントが建つこともある。完全にリゾート化した。
都市博中止にもかかわらず開業を強行したホテルは、都内でも屈指の稼働率となった。
新しく建ったマンションの住民は「観光客から動物園の動物を見るような目で見られている」と嘆いた。
ゆりかもめの自動改札機は30分以上の列ができた。しかたなしに、手売りで切符を売ったら、今度はプラットフォームから人があふれそうになった。
当時、ゆりかもめの新橋駅は仮駅で、十分なスペースが確保できていなかったのだ。
「かまいませんから、ビッグサイトさんのお客は、どんどん臨海副都心線に回してあげてください」と、今度は、ゆりかもめはそう言うようになった。
今ではゆりかもめは、平成18(2006)年に豊洲まで延伸し、通勤路線にもなっているので、新しい車輌には棚も設置されている。
臨海部が観光地になってもなお、臨海開発に反対する政党の機関誌は、利用の決まっていない空き地を切り取った写真を載せて、
「雑草だらけの臨海副都心」という批判記事を載せていた。
だから都庁はこういう主張に反発して、臨海部の土地をどんどん販売する戦略に出た。
どっちもどっちだと思うが、批判する側の方が罪深い、と私は思う。
その後、東京マラソンが始まって、東京ビッグサイトがゴールに使われるようになった。
「一瞬、コミケ並の混雑になるんですよ」と、担当は言っていた。出迎えの家族が着替えを持って集まるからだ。
しかし、臨海部は橋が多くてアップダウンのあるコースとなるため記録が伸びない。
そんな理由から、最近は東京駅周辺がゴールになっている。大丈夫かな?
▼ ここにも役人らしからぬ役人がいた
前倒し開場になって、ひとつだけ良かったことがある。
(株)東京国際貿易センターは、東貿サービスという子会社を持っていた。晴海会場の利便施設や清掃などがこの会社の仕事だった。
東京ビッグサイトでは、見本市協会と貿易センターは共同で、(株)ビッグサイトサービスという子会社を作った。仕事の分担は東貿サービスと共通する部分が多かった。
都市博の開催期間中、両会場が稼働する。その後、晴海が閉鎖されると、2つの子会社は合併するが、当然、従業員がだぶつく。
このため、かなり大がかりな人員整理があるのでは、と予想されていた。
これを差配するために、東京都のOBが招聘されたのだが、私の知己である労政事務所長のT氏だった。たしかに、そういう問題には強い。
しかし、T氏は再就職後、自分の任務を聞かされて、頑なにこれを拒んだ。
「いやしくも労政事務所の所長をやっていた人間に、首切り役人をやれ、というのですか」と言ってやったよ、と2人で飲んだ折、T氏は話してくれた。
都市博が無くなって、二重管理が無用になったので、晴海の人員は大部分が有明に異動したはずである。
T氏は、幹部職員から清掃業者の現場監督に格下げされた。でも、楽しそうに毎日早朝から現場に立っていた。
元人事係員の私から言わせていただくと、実のところこういうOBは困りものでもある。
当時、都庁の管理職は60歳を待たずして退職を勧奨されていた。いわゆる肩たたきである。その代償として、民間企業への再就職をあっせんしてもらえた。
関連団体に天下りというのは、それこそ高い職にある人だけで、課長クラスだと、なかなか再就職先も見つからない。
都の当局としては、企業に何度も頭を下げて、再就職先の席を用意してもらっていたはずだ。
だから就職先で、格好良くタンカを切ってほしくはない。その後のあっせんを受け入れてくれなくなる。
(※注:最近では定年後の継続勤務ができたし、退職者の数が大きく減ったので、こういう再就職先の確保もかなり少なくなったはずである。)
実際のところ、役所の幹部職員は部下に支えられて仕事をしている。長いこと部下の御神輿に乗って、それに馴れてしまうと、自分では実務もできなくなる。
それでも、下が従ってくれるのは、「気持ちで部下を引っ張っていく」タイプの人間だ。T氏はその代表格だった。
数か月間だったが、日曜日でも、よく現場で顔を合わせた。「あんたもがんばるね」と声をかけてくれた。
しかしそのうち、T氏の姿を見なくなった。
「やっぱクビになっちゃったのかなぁ」と思っていた矢先、T氏が亡くなられたということを聞いた。癌だった。
そんな事情は、まったく知らなかった。ご冥福を祈りたい(合掌)