平成の戦艦大和!?
▼ 巨艦vsインターネット?
東京ビッグサイトの竣工記念に合わせて、来賓向けの高価な装丁本を作った。そこへの寄稿を、当時大人気だった女性エッセイストに頼んだ。
彼女はこんなことを書いた。
「今さら展示場なんて時代遅れではないか。それに、倉庫にするには豪華すぎる」
失礼にもほどがあると思った。しかし、残念ながらその指摘は、私たちの不安と共通するものだった。
私たちも予想していた。
東京ビッグサイトの稼働率は、しばらくの間は高いだろう。しかし、そのうちだんだんと落ちていく。それでも経営が維持できるようにしなければならない。
東京ビッグサイトの東展示場は一辺が90mある。これを3つ連続して使うことが可能だ。差し渡し270mになる。
第2次世界大戦で、巨艦・巨砲を誇った戦艦大和だが、その全長は263m、つまり、東の3ホールの大きさは、戦艦大和がすっぽり入る規模になる(実際は、途中に柱があって入らないが)。
そのような説明をしてきた関係から、国際展示場は「平成の戦艦大和」と呼ばれることがあった。
大和が、巨艦・巨砲主義の象徴だったために、その後の航空戦力中心の攻防には時代遅れだったという皮肉である。
東京ビッグサイトが誕生した頃、インターネットというものが世界に広がる。
ある日、係員のK君が私のところに報告に来た。「インターネットというものについて大騒ぎになっています。今は東大が管理しているという話です」
インターネットの管理をかつて東大(と他の2校)がやっていた、なんて知っている人は少ないだろう。
「それって、パソコン通信の一種かな?」「よくわかりませんが、これからはインターネットの時代が来ると、皆、言ってます」
東京ビッグサイトが開業するなり、展示場のあちらもこちらも「インターネット」という言葉が飛び回っていた。ほんの数年の間の変化だ。
こういう時代が来ると、展示会などというものは、むしろ骨董品のように見られてしまう。
だから、いつまでも稼働率をキープすることはできないと考えた。
しかし、この予想は、いい意味で裏切られた(少なくとも、今のところは、だが)。
▼ やっぱり“東京”なのだ
実際の東京ビッグサイトの稼働率だが、
西ホールが修繕中だったので高めに出るのは当然とはいえ、ここ数年間は70%を越えている。
晴海と違って、夏場でも真冬でも空調が効く。このため、本来なら閑散期だった時期にも開催される展示会が出てきた。
稼働率が高いので、やむなく夏・冬に押し出されてきたものもあるだろう。
その後東に、2ホールを増設し、今は西・南に増設が進んでいる。当然、オリンピック後には、この数値は下がるが、それにしても高い。
東京ビッグサイトの稼働率が四半世紀に渡って維持された理由の一つは、やはり東京という経済の中心地に存在しているということが大きい。
展示会に出展している会社をよくよく見ると、他県の企業も多い。
東京に本社や支社があれば、そこを拠点として営業活動ができる。しかし、東京に営業拠点を持たない会社にとっては、展示会での商談が命綱になっている。
「東京の展示会に出るための補助金」を出している県もある。地元にも展示会場はあるのに。
私たちが名前に“東京”の2文字を入れたことは、間違いではなかった。
▼ 人が集まっても商売に繋がらないものは衰退する
展示会の内容は時代とともに変化してきた。
まず、業界団体が主催する展示会というのが少なくなった。
小泉内閣の時代、「いわゆる護送船団方式による産業育成では世界に太刀打ちできない」という考え方が強まった。
その昔、展示会は、公益団体が主体となって実施することが多かった。
社団法人は、会員の会費で団体が維持されてきた。しかし、それだけではきついし、簡単に値上げはできないうえ、会員数が減る傾向が続いた。
展示会を主催すれば、それは貴重な財源になる。また、展示会開催に対し、国や都道府県からの補助金が出たりもした。
出展する側の企業にも補助金が出ていたりするのだから、結局、公的な援助がぐるぐる回っていた、ということになる。
こういう状況に馴れてしまうと、何となく惰性で毎年同じような展示会が開催されるようになって、目新しさが感じられなくなる。
来場者も減り、ジリ貧になることが避けられない。
そうした流れの中で、先に述べたように、総合展は流行らなくなり、専門展が多くなった。
そして、同じ専門展も、さらに分野を絞ったものになりつつある。
例えば、昭和の時代、事務機器・OA機器(ITという言葉はなかった)の展示会である「ビジネスシヨウ」は晴海で大人気だったが、
2008年を最後に開催されなくなった。
グッドリビングショーのようなものも、終了した。
ヨットやプレジャーボートの展示も、やらなくなった。
つまり、広範囲な市民や一般的なビジネスマンが、興味本位で見に来るショー的なイベントは、だんだんと姿を消してきたことになる。
その反面、トレードショー的な商談の場としての展示会活用が進んでいる。
このため、出展物の年ごとの変化が激しい。
例えば、太陽光パネルに国の補助が付くと、たくさんの太陽光パネルが場内に並ぶ。
平成26(2014)年のスマートエナジーweekでは、太陽光パネルが3ホールを占領していて壮観だった。
しかし、太陽光発電の買取価格が下がった今では、あまり目立たなくなっている。
大きな地震の直後は、防災グッズの販売企業がたくさん出る。しかし、商戦の勝敗が固まってくると、出展社数は減る。
国がマイナンバー制度を打ち出すと、総務関係の展示会には、「マイナンバーなら当社へ」という言葉が飛び交う。だが1年限りだった。
外国人の爆買が話題になると、インバウンド関連のセミナーは満員札止めになる。しかし、それも数年しか続かない。
同じ内容を繰り返していては、展示会は生き残れなくなるのだ。
今、一番威勢のいいのは、食品加工機器を扱ったFOOMA JAPANあたりになるだろう。この分野で、日本は世界でもトップレベルだと思う。
話題性から言えばAIとかIoTといったところだ。だが、何やらつかみ所がない。
それにヴァーチャルリアリティ(VR)や拡張現実(AR)が注目されているといっても、来場者は前のようには驚いてくれない。
▼ 展示会自体が変化の波に乗れなくてはいけない
変化が激しくなってくると、むしろ規模の大きい展示会の方が有利になる。
例えば、物流展と広告展とIT展がそれぞれ1ホールずつ別個に開催されていたとしよう。1ホール規模だとすぐに見終わってしまうので、来場者は物足りない。
しかし、隣の展示ホールに行くとなると、また登録所を通らなければならないから面倒だ。
そこで、物流・広告・ITの展示会を一緒盛りにして「都市産業クリエイション」とか何とかアバウトな総称をつけて、相互交流させる。
そうなると、来場者は1回の登録ですむので便利だ。
そればかりではなく、自分の目当ての展示会を見た後、残りの2つの展示会も見て回れる。
だから滞留時間が延びる。滞留時間が長くなると、同じ来場者数でも、場内はずいぶん賑わう。
人がたくさんくると、出展社は喜ぶ。これまでとは違う顧客層にもアプローチができる。当然、次も出ようということになる。
また、主催者が実際に出展企業を募ってみると、広告展はまだまだ空きがあるのに、物流とITは満杯でこれ以上は無理ってことだってあるだろう。
展示会は2年周期であるが、なかなか2年先の状況というのは予測できない。予想と違った場合も、複数展だと出展面積のやりくりができて、柔軟な運営ができる。
だから、専門展をいくつもくっつけ、規模を拡大して開催する方が有利なのだ。
これを実現した会社がある。リード・エグジビション・ジャパン(株)だ。
リード社のホームページによると、その売上高は、平成17(2005)年83億円、平成22(2010)年105億円、平成27(2015)年187億円、
そして平成29(2019)年には243億円にも増えている。
リード社は、東京ビッグサイトが開業するまでは、幕張メッセで展示会を開催していた。
その頃すでにギフトショーのビジネスガイド社はあったが、国内の株式会社が“本業”として展示会を開催するというのは、まだ珍しい存在だった。
リード社は、展示会の開催ごとに面積を拡大していった。
そして、開催期間中に次の出展予約を受け付けていく、出展社誘致のための経費と手間も、これでかなり省けるはずであり、うまいやり方をしている。
東京ビッグサイトが「平成の戦艦大和」にならないですんだのも、この会社の存在あってのことだ。