家内労働係(昭和54年)
突然、本庁に異動

そんなこんなで、渋谷区への異動を諦めたとたん、翌月に本庁異動の内示が出た。
事務所には若手職員を任せておけないと思ったらしい。

かくして、私は有楽町の都庁第三庁舎の13階に勤務することになる。
都庁第三庁舎は現在も存在し、民間企業が利用している。有楽町から東京駅に行く途中、東京に向かって右手のビルで、屋上に赤白の防災無線用アンテナが立っている(補注:元同僚のIさんからの情報によると、桜田門の警視庁が建て替えになることから、警視庁の仮庁舎となり、丸の内消防署なども入っているとのことである 2019.1.7追記)。

ここから山の手線・京浜東北線の線路を挟んで向こう側、現、東京国際フォーラムのところに、都庁第一庁舎があった。それゆえ、私たちは第一庁舎を「線路向こう」と呼んでいた。
総務・財務など、事業局よりは一段ランクの高い局があり、人と金を押さえていた。
「線路向こう」という表現には、自分たちとは異世界、まったく考え方の違う人たちがいる建物、という意味合いが込められている。

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配属されたのは家内労働係というところで、この係は今でもある。

いろいろな難しさを抱えた仕事だと、聞かされた。
駆け出しの私で欠員補充すると聞いたとき、Y係長は「この係の仕事の困難さを理解していない」と文句をいったとのことだ。

家内労働というのは、形式的には請負契約の形を取るので一人親方のようだが、発注元に対して対等な関係を持てず、その意味では労働者のような従属関係にある 職業のこと。
仕事を出す出さないは、発注者の意向次第だから、単価を不当に下げられたり、代金支払を引き延ばされたりといった扱いを受けがちになる。
それを防ぐために家内労働法という法律が出来た。
その少し前に、サンダルの底付けのシンナーの被害で、亡くなる人が出たりしていた。だから、家内労働法は、家内労働者のための労働基準法兼労働安全衛生法、といった位置づけにもなっている。

下町の自宅を作業場にしている、靴・袋物・鼻緒・草履・げた・サンダルなどの製造業者、あるいは小さな縫製業者・おもちゃ製造なども、家内労働に入る。
こうした作業工程では、接着剤として「有機溶剤」が使われる。その健康障害が問題となっており、家内労働者の健康診断なども、都の仕事になっていた。
「生活」と「もの作り」とが、まだ混在していた時代だった。

季刊家内労働という広報誌があり、私はそこに挿絵を描いたりしていた。それなりに楽しんでいた。

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だが、数の上で家内労働者の圧倒的多数は、「内職者」だった。

内職補導所の区移管後、東京都として内職行政をどう補完していくかが課題だった。
何せ内職補導所は3か所しかなく、残りの区はどうしていいか戸惑っていた。

実際、請負仕事をしている職人が、委託業者なのか、家内労働者なのか、偽装請負の労働者なのか、その違いを判別するのは容易ではない。
このことは、非正規労働者が大量発生した今日においても、たいへん重要な意味を持つ。
例えば内職で、会議のテープを聞いて、そのままテキストファイルに落とすというのは家内労働になるが、ワードなどで体裁良くきれいに加工すると請負契約だと言われてしまう。

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仕事のやり取りを記録に残しておかなければ、工賃不払いなどに対抗できない。
そこで「家内労働手帳を持ちましょう」というキャンペーンを行っていた。「インチキ内職にご注意を!」という啓発活動もした。

そのためのポスター作りをし、電車の車内吊りをした。
これを行うためには、東京都の印刷物審査会の了解を取らなければならない。「内職をしている人が電車に乗るのか!」と言われて、さんざん叩かれた。

当時はアニメの絵付けの内職をしませんか、というビジネスが流行った。
講習会をやり、希望者に高額で道具や材料を売った。しかし、実際にプロとして活躍できる人は100人に1人か2人。出来上がったセル画を持ち込むと、「こんなのでは買い取れない」と言って、追い返される、そんな流れだ。
これを詐欺だと言えるかどうかが、微妙なところである。

時代が平成になり、私が大崎で労働相談をやっていた頃には、「パソコンを使った、自宅でできる分析業務」という売り込みがあった。このパソコンというのが、特別仕様のもので、それだからこそ騙されてしまう。いつの時代にも、こういう話はなくならない。

とはいえ、家内労働係の仕事は、部ないではあまり高い評価を受けていなかった。
「外部の団体を上手く懐柔していればよい」くらいにしか考えられていない、と、私は思った。
いろいろと政治の渦に巻き込まれてしまい、本筋がなんだか見失ってしまう時代だった。
私的には、「また、こんな仕事か・・・」と思った。
辞めたくなった。

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