商工部時代、仕事で叙勲・褒賞に係わっていた。
そのとき、東京グラフィックス工業会のK氏の褒賞の取次ぎをさせていただいた。
最近、叙勲褒賞の仕組みが変わり、審査がひじょうに厳しくなっている。とりわけ都道府県レベルでの推薦だと風当たりが強い。
以前ならそれなりの団体の役員を、一定期間以上勤めていれば叙勲候補になりえたところだが、今では本人が「個人として何をなしえたか」が、強く問われることになった。
要するに、本来あるべき叙勲褒賞の姿に近づいたことになる。
ところが、各推薦団体に、個々の役員の記録が、そこまできちんと整理され保存されているわけではない。
「個人別の歴史記録のようなものがあると、事務方も助かるんです・・・」と、私はK氏に申しあげた。印刷業を本業とするK氏は、さっそく「自分史」を作られ、祝賀会の引き出物にされたとのことである。
信長は「人間五十年・・・」と吟じたが、自分もいつしか、その齢を越えた。
大した仕事もしてこなかったとはいえ、これまでの人生、また、三十余年の宮仕えの中で、様々な経験をした。貴重な邂逅もあった。「なぜあのとき・・・」という後悔も少なくない。
今、自分はここに存在する。当然、父母も祖父母もいた。いずれ私がこの世から姿を消せば、彼らの記憶もいっしょに失われていくことになる。仕事で学んだことも、誰にも伝えられないまま消える。それゆえ歳を取ると昔話をしたくなる。これが聞かされる側にとっては迷惑至極なのだ。
だから、ネットを借りて、私の足跡を書きとめておくことにする。
別に褒めてもらいたいわけではない。
私を知らない人にとっては、おもしろさはない。興味のある方だけ、お読みいただければいい。
なお、本稿には、役所の仕事の舞台裏も書いた。しかし、いわゆる暴露ものではない。自重した箇所も多い。
それでも「あんなこと書いて・・・」と思われる方も多いかもしれない。役所では特にそういう受け止められ方をする。
失敗の記録も時には必要だと思う。
人間も組織も同じだ。同じ失敗を繰り返さないためには・・・。
そういう前提で、後進の参考にと、書き残した部分もある。
ただし個人のプライバシーに係わるため、文中の姓名は原則アルファベット表記と
している(すでに他界した親族と有名人は例外)。
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(追記)
平成23年度をもって私は都庁を退職した。時間の余裕もできたので、これまで書いてきた内容も一部見直すことにしたい。当時の時代背景も加え、できるだけ記憶の糸をたどってみることにした。
都庁時代の話も、少しばかり書き足したい。関係者にご迷惑がかからない範囲に留めようと思うが、万一のこともあるので、取りあえず「ゴメンネ」と謝っておく。 |