ここから私の人生は、暗黒の時代に入る。=あまりにも残業が多い。 東京労働の記者をやれば、次の異動先は労政事務所が相場だった。そもそも、東京労働は、労働関係の知識を増やすにはうってつけの仕事だからである。いわゆる概論的な知識を得、しかる後に現場で実務を学ばせる
関係団体とも顔つなぎをしておけば、やがて相手方の担当も偉くなっていく。
双方で気心も通じるので、仕事もやりやすい(癒着も起こりやすいが・・・)。
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次の仕事は、部の業務担当かな、と思っていた。
しかし、ここで突然、私は総務部への異動となる。同時に、スペシャリストへの道は絶たれた。
配属先は、労働経済局総務部庶務課人事第一係。
「これまでの知識を活用して、新しい研修をやってほしい」と言われた。
研修担当は課長クラス1名と私の2名だった。しかも、課長はご病気で視力がかなり落ちていた。
課長は若いときにはかなりやり手だったらしい。そのころは同期の精鋭と出世街道を邁進していた。
ところが、金融機関に不祥事があって、指導を担当していた課長に全責任が課せられた。
その心労で身体をこわしてしまったらしい。
かつての同僚は、部長や局長に昇進していったが、課長は部下1名のまま。「都庁を退職する時は、胸を張って出て行きたかったのに・・・」というのが口癖になっていた。
課長は人柄は良く、周りからは大切にされていた。しかし、他人に頼って長年生きてくるとありがちなことで、きわめて依存性が高い。「すべて津田さんの考えでやってくれていい」と、丸投げだった。
いきおい、実務はほとんどが自分にかぶせられた。 要するに、使い減りのしない人間が必要だったのだ。
研修の企画から、参加者の募集、資料の作成、講師謝礼の手配まで、ほとんどに仕事をこなした。
仕事量は膨大だった。年間50本以上の研修をこなした。
そのほかいろいろ合わせて、年間で400件の起案をした。
役所にいる人なら、年間400件というのが、どれほどの量か想像がつくはずだ。
自分で企画した研修もあったが、実際には一つも聞けなかった。
おまけに、履歴整理や人事係の雑用も私のところへ来た。
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研修は神田橋インター近くの旧労働局の研修所で行うことが多かった。
今では、企業のインキュベーション施設になっている。この神田の研修施設は、その後、海外研修員の育成事業でもお世話になった。
朝、ここで研修のセットをし、課長にご挨拶をお願いする。
10時過ぎに有楽町に帰庁し、講師の謝礼金を出納から受け取る(当時、銀行振込はなく、全部現金渡しだった)。
その後、総務局が実施する研修と、民間機関への派遣研修の起案をし、次の研修の準備、次の次の研修の調整、次の次の次の研修の企画をした。
午後3時頃に本庁を出て、神田へ。講師に謝礼金を渡し、再び有楽町へ。そして、明日の研修資料のコピーをする。
人事係も残業していて、終わりが同じになると、それから一杯やったりした。
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当時、研修の予算は、各局の職員の頭数に応じて措置されていた。
ところが労働経済局には技術系職員が多い。そして、そういう専門職には、一般的な研修は不人気だった。技術系の職員は、他の技術系機関で行うセミナーなどを好んだ。そういう外部研修の予算は、局が自前で措置する。
結果的に、予算は潤沢になり、これだけやっても執行率が問われていた。
一方、事務系職場は多忙で、「忙しくて研修に行かせる余裕なんてない」と、冷たくあしらわれる。
ところがだ、その状況が一変する。主任制度の導入だ。
団塊の世代は、競争の世代でもある。昨日までの同僚が、明日は上司になる。それを認めることがなかなかできない。
各局とも「一人でも多くの合格者を出したい」と、研修の競い合いになった。
配布資料も分厚く、研修生1人分1回の資料は30ページから50ページにもなる。
研修のために多量のコピーを使うと用度担当からにらまれる。だから、昼間のうちにコピー用紙をこっそり隠しておき、夜になってから何時間もかけて資料をセットした。ソーターなんて便利なものもなかったので、机の上にたくさんの資料を並べて、グルグル回ってクリップ止めをする。テーブルの回りを毎晩600周も回った。
そうして作った資料を、両手に手さげ、身体の前後にリュックというスタイルで、神田の研修所に運んだ。
先週まで「忙しくて出せない」はずの職場は、「ウチの職員を優先して受講させろ」と迫ってきた。締め切っても、後から後から希望者が殺到した。「満員だからダメです」といっても、「いいから入れろ」とけんか腰だった。
研修室では入りきれず、大きな講堂を使って、何日も主任研修を実施した。
仕舞いには、補助椅子を資料といっしょに渡して、通路まで使った(ちなみに、消防法違反である)。
「そんなに試験に受かりたかったら、自分で勉強しろ・・・」 私は完全に切れていた。絶対に主任試験なんて、受けてやるものか、とも思った。
それに輪をかけて頭に来たのは、内部の研修講師を断った管理職が、外部で「主任試験講座」の講師をやっていたことだ。
「報酬を得て講師をやっているから、信義則から言って、無償の内部講師を引き受けるわけにはいかない」と言われた。そりゃ、違うだろ。
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昭和59年、研究機関で汚職事件があった。かなりの騒ぎになった。企業の持ち込んだデータをライバル企業に横流しし、その見返りに飲食代をつけ回ししたという事件である。
罪人の肩を持つわけではないが、いろいろと事情を聞くと、気の毒な面もあった。
詳しくは書けないが、本事件は、お金が目当てというのではなく、業者から「自分が大事にされている」という気持ちが嬉しくて、ついやってしまったという案件だった。
しかし大盤振る舞いのあげく、誘われて飲み食いした同僚まで当局の取り調べにあった。職場全体がノイローゼ気味に落ち込んだ。
たいがいの職員は、「自分は汚職をしないであろう」と信じている。しかし、そういった道にふらふらと引き込まれるのは、ごく普通の人間なのである。
しかし、マスコミはそういう人を根っからの悪人のように報道する。一番の被害者は家族だ。
私は、その後も何件かの汚職事件の舞台裏を見た。
たいがいの場合、「最初は親切心」から始まっているように思える。だから、怖いのだ。
ともかく、こういうことがあると、「汚職防止の研修を強化しろ」ということに、すぐなる。
急遽それを研修計画につっこむ。
さらに、忙しくなる。
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研修担当としての功績は、OA研修(当時ITという言葉はない)を年間200人受講させたことだ。
OAといってもワープロ入門である。
当時、労働組合はOA化に反対であった。だから、たいへん微妙な時期の研修である。
実は労働組合をやっている人の中には、パソコンなどが好きな人もたくさんいる。組合の執務室にもワープロは入っていた。
しかし、組合員の中には、OA化をたいへん恐れている人が多かった。
だから、労働組合としての公式な立場を求められれば、OA化反対になる。ワープロで打ったビラにOA化反対と書く。変な話だ。
ワープロが急速に普及してきた時期だった。オフィス仕様の大型オアシスは200万円以上もした時代だ。
若手には、使い方を教えてほしいという職員がたくさんいた。
研修会場のキャパシティは1回あたり24人。
とてもすべての希望には応えられない。
私は研修生を選ぶとき、「年齢の高い人から」選定した。
当然、若い人からは「いったいいつになれば順番が回ってくるのか」と、苦情がきた。
「若手は職場にワープロが入ってから、自分で覚えろ」ということだ。そんなに難しい機械ではない。
※ただし、今こういうことをすると、「逆差別だ」と糾弾される。 要注意。
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職場にはOAアレルギーがあった。大切なのは、それをいかになくすかだ。
だから、本来ならそういった機械を避けるはずの年配職員から研修を進めた。
「オレは退職までこんな機械を使うことはないが、研修を受けてくれというのなら、試しに受けてやってもいい」と、年配の職員は言った。
その古株職員は、職場に帰って「あんなの、とてもオレには使えないな」と話した。しかも自慢げに。
目論見はあたり、「アイツが受けるくらいだ。話の種でもいいから一度受けてみよう、周りが年寄りならば、恥ずかしくもないや・・・」と、年配の研修希望者が殺到した。
実際、はじめてワープロを利用するときには、手書きで文章を書くより時間がかかる。
しかし、役所というところは、同じ形式の文書を毎年使う。
このため、2年目になると、ワープロの方が格段に便利だということが浸透した。「退職まで使わない」と言っていた職員も、当たり前のようにワープロを打つようになった。
出先からも、「ワープロを購入したい」という要望が寄せられるようになった。労働経済局では、さしたる抵抗もなく、OA化が進んだ。
民間企業でも「OA機器は若い人が使うものだ」と、思われていた時期のことである。
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人に研修をさせるくらいだから、自分でもワープロを買った。
総務局に行ったら、東芝のルポというのを使っていた。総務局が使うくらいだから、都庁の統一機種になるだろうと勝手に判断し、自腹を切った。16万円もした。痛い。
液晶画面は数行しかなく、文字は16ドット。斜め線は階段状に印刷された。
ところが、都庁が統一規格として採用したのは、富士通のオアシス。当時、親指シフトというのが他社よりも早く打てるということで人気だった。
そこで、オアシスを職場に持ち込んでいた先輩係長にお願いして、「昼休みだけ使わせてください」と、弁当片手に親指シフトの練習をした。
ところが、職場に入ってきたのはJIS規格のキーボードだった。親指シフトにすると、その先、都庁はすべて富士通の機種しか使えなくなる。それでは採用できないということだ。
今度は、富士通のオアシスを自腹で買った。痛い。
その後、8台くらい自腹でワープロを購入する羽目になる。
とはいえ、自分でお金を出すと、本当に上達が早いよ。必死だもん。
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東京都では、現在、職員の能力向上が課題となっている。
かつての同僚(今では偉くなっている)から、何かいいアイデアはないかと聞かれた。
「若手の管理職候補に何万字もの論文を書かせるのだったら、自分のホームページを立ち上げさせて、行政のPRでもやらせたらどうか。
「中堅職員が管理職になりたがらないなら、思い切って、合格者に長期休暇を与えたらどうか
「年配の管理職候補を何日も研修するくらいだったら、クロサワの『生きる』を鑑賞させた方が効果的ではないか」、などと伝えた。
第三者のいい加減な意見だが、私としては、かなり的を得ていると思っている。
残念ながら都庁は真面目すぎて、そんないい加減なプランはなかなか現実にならない。
しかし、民間企業では、中堅クラスに長期休暇を取らせるところも出てきているようだ。
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