婦長が足りない(平成3年)
窮地に立つ

衛生局の3年目に、人事係長が病欠になった。
11月、自宅で階段から落ちて、椎間板ヘルニアになって、歩けなくなったのだ。
病状は大したことはなかったが、その日から、私が、事実上、衛生局の人事係長になった。
とんでもないことになったと、思った。

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人事案件はあちこちと相談して決められないものが多い。
かなり重要な判断を、私が下さなくてはならなくなった。在籍わずか2~3年の主任が、だ。しかも、他局出身者だ。

ある日、病院管理部から「泣き」が入った。「婦長が足りない」という。
都庁の人事管理は科学的に行われていた。統計数値を用いて、将来推計を元に昇任者数なども決められていた。
ところが、看護師は、昇進試験に合格していても、いろいろと都合があって、途中で退職する人が多い。
もちろん、それを加味した人事計画だったろうが、民間病院との看護師の奪い合いもあり、実際の退職者は推計を超えていた。
このため、婦長となるべき人が、足りなくなった。

あわてて主任試験の合格者も増やしたようだが、昇任基準までは数年を要する。
「係長心得」など、不測の事態に備えるための制度もあったが、それを持ってしても補うことはできなかった。

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「婦長の重要な仕事は、病棟の勤務日程を作ることだ。事務的な処理だけなら主任級の看護師に婦長の仕事を代行させることはできる。 しかし、同僚の看護師に、“自分は婦長と同格だ”というアピールができないと、指揮命令がうまくいかない。何か手立てが必要だ」と、病院管理部の担当は、懇願した。

「だったら辞令交付式だけでもやりましょう。
「当事者には、辞令をもらったからといって、給料は上がらないということをよくよく説得してください。 履歴への記載はできません。だから、経歴にも残らないということを了解させてください。名称は、婦長見習にします。
「私以外の人には、この話はしないでください。人事部とか人事委員会に照会しないようにしてください。これは規則違反です。 相談しても、了解はとれません。後日、問題だと指摘された場合は、すべて私が取り仕切ったことだから、詳細は知らないと言ってください。責任はすべて、私が負います」
と、話した。

責任とって辞めることになったからといって、それはそれでよかった。
もう、何回も都庁を辞めようと思った。だから、「私がすべてを負えば、いい」と思った。

そのくらいの覚悟を決めていたが、何もなかったかのように、婦長見習の辞令交付は行われた。
後にも先にも、これ1回だけだった。
こんなこと書くと、今でも怒られそうなのだが、20余年が過ぎたので、もう時効だと許していただきたい。

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私が衛生局の人事係長代行だったのは、およそ3か月間。多くは語れないが、ほんとうにいろいろなことがあった。

残業時間は、はじめて月200時間を超えた。
完徹開けで、朝から新規採用の面接をした。
事務担当が「津田さんの目が覚めるようにしておきましたから・・・」と言った。私の面接者だけ、新卒の女性がずらっと並んでいた。
連続30時間以上働くと、さすがに足がもつれた。事務室をまっすぐ歩いていても机とぶつかった。
帰りの電車で意識を失いかけた。

こっちの窮地を知ってか知らずか、総務局はあれこれ難癖つけてくる。「役人ってヤツは、なんて役人役人しているのだろう・・・」と思った担当もいた。
しかし、最後の最後、総務局人事部は、部あげて「衛生局を救え」という雰囲気になってくれた。私たちが、ほんとうに辛い中で局を切り回していることを理解してくれた。
ありがたかった。

1月に係長は復帰した。

何事もなったかのように異動作業は終わった。
人事部の協力で、余裕をもって異動作業を進めることができた。

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係長は交代し、私は、衛生局人事第一係の4年目を迎えた。
当初のメンバーはすべて送り出した。係員は一新された。私はふぬけのようになっていた。

その中で配属した新規採用の女子職員が、配属後2日目に、「実は、お話があります」と、言ってきた。「退職したい」ということだった。理由を聞いたが、泣いているばかりだった。女性に泣かれると、ほんとに、どうしていいかわからない。

後になって知った話だが、当人の姉がすでに都庁に勤めていて、衛生局の残業の多さをウワサで聞いていた。しかも、その最たるものの総務部人事第一係だ。
「このままでは、過労死する。辞めたほうがいい」と、妹に忠告したのだった。

当方では、新採にいきなり大きな負担をかけないように、それなりの布陣を敷いていた。
彼女は、そんなことをまったく知らないまま、「退職する」といって、泣きじゃくるばかりだった。

私は彼女に、「辞める辞めないは強制できないが、せっかく配属されたのだから、各部の仕事を説明したい。」と言って、「この部は、ビルの空調環境や動物愛護をやっているんだよ」とか、「この部は、看護婦の養成や、医療基準を監視しているんだよ」とか、説明したまわった。
彼女は泣きながらも、私の説明を聞いていた。
おかげで、その後しばらく「柄にもなく、女の子を泣かしていた」とウワサが広まった。

「とにかく、今日は帰りなさい。辞める辞めないについては、もう少し時間をあげるから、考えて決めなさい」と言って家に帰した。
「辞めるのは止めないが、こんなイイ男がいる局を捨てるのは、もったいないよ」と、柄にもなくジョークを言ったら、最後に彼女は笑った。

皮肉な話だ。
これまで「辞めよう、辞めよう」といつも思っていた私が、部下を「辞めない方がいい」と説得するなんて。だいたい、女性をくどくなんて苦手中の苦手だ。

新任のM人事第一係長は、まだ、係長席について2日目だった。

「どうすればいい」と聞くので、「最終的には係長の判断に任せますが、私の感触ではまだ脈はあります。」と答えた。「だったら、できる限りの説得はしてみよう。それでも辞めるというのなら、止めない」と係長は答えた。
それから係長は家族の元へ連絡し、翻意を促した。

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数年ほど前に、都庁の廊下でバッタリ彼女と出会った。あれから、10数年が経っていた。

「辞めるなんて言って、泣いていたのがウソみたいですよね。」と言って、彼女は笑った。
その笑顔の無邪気さは、あの日と変わっていなかった。
今でも職員として在籍している。一児の母となった。

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