還暦
銀座で一大イベント

まだ、中小企業振興公社でアルバイト生活が続いている。これまでの仕事に加えて、伝統工芸の振興事業のお手伝いをすることになった。

銀座は中国人の爆買で賑わっていた。
東急が新しいデパートを数寄屋橋で開業した。
私たちは、そのデパートのガラス張りのラウンジで、4月21日、伝統工芸のイベントを開催することが決まった。そこでの表彰式に舛添知事が出席する。嫌な予感がした
都庁のイベントは、知事が出席するとなると、大騒ぎになる。失態を演じたら管理職が責任を問われるからだ。
まずは、どのタイミングでプレス発表をするかで右往左往となる。そのプレス原稿は、とてもたくさんの人が目を通すため、“船頭多くして船山に上る”の事態に陥る。
さらに、現場の配置図、駐車場の確保、知事導線の決定、警備の手配と、続く。その過程で、いったん決まったことが変更されることも多い。
そんなこんなの騒ぎの中、イベントそのものの主旨が置き去りにされていく。
会場側との擦り合わせも大変だ。しかも、まだ建設現場。
ADK(旧、旭通信社)が中に入って苦労していた。その後、電通の過労自殺が問題になったが、広告代理店ってほんとうにつらい仕事ばかりやらされていて、気の毒になる。

私はというと、そこはアルバイトなんで気楽な立場。
「この流れでいくと、ここでこういう問題が起こるよ」とか、「こことここの間の時間がかなり厳しくなるよ」とか、解説すると、その見込みが見事に当たって驚かれた。ビッグサイトや商工部で経験済みだし、岡目八目でよく見える。
このイベントと平行して青山にある伊藤忠のギャラリーでも伝統工芸の展示を行うことになっていた(何でまた知事イベントと別のイベントを同時に組むんだろう・・・)。
そちらの下見とか調整とかも手伝った。

2つのイベントは無事に終わった。両方とも大成功だった。

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しかし、どんでん返しはその後だった。
4月27日発売された週刊文春に「舛添知事の海外出張が派手過ぎる」という記事が掲載された。その後も波状的に「公有車で湯河原の温泉に行っている」「家族旅行の経費を公費で賄っている」といった告発記事が続き、舛添知事はとうとう辞任に追い詰められてしまった。
私たちのささやかなイベントは、記憶の彼方に飛び去った。

知事が短期間で代わるのは、前任の猪瀨知事に続いて2人目。しかも、両者ともお金がらみ。莫大な選挙費用もかかる。行政もストップする。
結果、自民党都連と対立したまま、小池百合子氏が当選となった。この人のバイタリティーがまたすごくて、矢継ぎ早に行動を起こす。勇み足もあるんだろうけど・・・。

たぶん都庁内も当惑していることだろう。
かつて労働経済局の人事で一緒だったMさんが移転問題で揺れる中央市場長に抜擢された。そういや、衛生局の人事で一緒だったFさんは産業経済局長だ。御苦労なことだな。
でも、もう、私にゃ関係ないことだし・・・。

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それはそうと、この年、私は還暦になった。
どんな機械でも60年使えば故障する。自宅のマンションも14年目にして大規模修繕となった。

私は生身の我ゆえ、当然、あちこちヤバくなってくる。
目は飛蚊症でうっとうしい。眼科に行ったら「軽度の白内障もあるが、いずれも歳相応の老化現象」と断じられてしまった。瞳孔を開ける薬を点眼されたので、帰り道、街中が天国のように見えた。

酒の飲み過ぎか、胃腸の調子は良くない。そのため遠出をためらう。でも、体重は落ちない。
階段で息が切れる。腰はまたぎっくり腰になりそうで不安だ。
歯医者で奥歯を抜かれた。咀嚼がさらに悪くなり、口内炎が多発するようになった。
そんなこんなで不安材料は多いのだが、社会的な責任を背負っていないので、気楽って言えば気楽でもある。

年末になって、友人の父が他界した。89歳。
そのすぐ後に、弁護士をやっている別の友人Tの妻が逝去した。以前から難病を抱えていて入退院を繰り返していたのだが、亭主の思いやりもあって、ここまで生きることができた。
いずれにせよ、次は俺たちの番だな。

還暦=大厄。どうやら、それは乗り切りそうだ。
長生きしすぎると経済的な心配が出てくるが、せめて、次のオリンピックは観たい、とも思う。

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もっとも長生きすると、いいこともある。
今年は、庵野監督のシン・ゴジラが上映された。もう日本製の特撮は衰退していると思っていたが、まだまだがんばれることが証明された。もちろん今年のマイベストワンだ。映画館で2度も観てしまった。
私も、もういっちょう、何か考えてみることにしたい。
ま、ほどほどにだが・・・。

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