インターネットに労働相談のページを(平成13年)
「労働相談マニュアル」をホームページに掲載

労働相談の業務に就いて、自分用のマニュアルがどうしても必要になった。

相談の大半は電話で来る。
相談者の質問にてきぱきと答えるには、必要な情報に軽快にたどり着ける手立てがあると便利だった。
詳細な解説が載った数百ページもある本をドーンと置かれ、「この中に書いてある」と言われても、まったく対応できない。
相談者は待ってくれないのだ。そこで、自分用のマニュアルを作ることにした。

************

作るにあたっては、HTML形式のファイルにすることに決めた。

その理由は、半世紀前にさかのぼる。
私が新採で渋谷労政事務所で勤めていたころ、先輩の多くは、本庁から配られた「労働相談マニュアル」に、自分なりの工夫(書き込みなど)を加えて、活用していた。
ある先輩のマニュアルを見ると、各ページにたくさんの紙が貼ってあった。
その紙には、関連する通達や、判例などが、細かい字でびっしりと書かれていた。

後年、ホームページの仕組みを知ったとき 、ページの一部からそれに関連する別の項目に八艘飛びのように画面が変わるのを目の当たりにして、「これだ」と思った。
あのときの先輩が、紙ベースでやっていたことを、電子ファイルが代用する。それが、インターネットだと思った。
おそらく、私がネットの仕組みなどを、まだよく知らなかった故に、そういう連想が浮かんだのだと思う。

************

当時、インターネットは、速報性と広範囲な伝達力ばかりが注目されていた。
しかし私が関心をもったのは、古くなった情報がなかなか削除されないまま残っていることだった。

「コツコツと蓄積する」というアーカイブ的な利用方法においても、インターネットは活用できないのか、と考えていた。

そこで、自分用の「労働相談マニュアル」を作り始めた。
最初は、自分のパソコンの中だけの世界だった。
実務で使うにつれ、あちこち作り直し、だんだんと使い勝手も良くなってきた。 やがて日を追うにつれて、マニュアルも次第に充実していった。
このまま、自分の手元に置いておくのはもったいないと思い、ネットにアップした。

それが、かつて本サイトに存在した「個人用労働相談マニュアル」である。
また、こればかりでは借り物の情報となってしまうので「労働相談の窓口から」という、散文も掲載した。 すでに書いたように、自分の関与で廃止された渋谷労政事務所への償いのつもりでもあった。

************

当時「はたらくネット」というサイトを労働団体が立ち上げ、話題になっていた。
他にも、労働安全衛生の関連団体が、膨大な大きさの情報サイトを立ち上げていた。

都道府県でも、神奈川県はいち早く、県労働部門としての独自サイトを立ち上げた。
地方自治体の情報提供サイトとしては、かなり踏み込んだ内容が書かれていた。うらやましかった。

************

労働相談マニュアルを出し始めると、自分のホームページへのアクセスがどんどん増えた。
年間2万8千も、カウントが上がった。

どうやら、たくさんの人が利用してくれたようだ。いまだにリンクが残されている。お気に入りのサイトとして、紹介してくれる人もいた。
自分も奮起してホームページを立ち上げたという、社会保険労務士の方もおり、今も活躍されているようだ。
私のサイトが、知らないところで労働紛争を解決している、という話も聞いた。

こんな風に評価されていた。
「一介の都庁職員がコツコツと作りつづけてきたウェブサイト。
とにかく役に立つ情報満載、何か調べようとすると必ずこのサイトのどこかのページが引っかかるというほどで、しかも見るたびに内容が追加されており、これをたった一人で単なる趣味で作成しているということが本当に信じられないサイトです。」

ほどほどで撤退しようかなと思っていたのに、引っ込められなくなった。もう、土日はすっかりなくなった。とはいえ、あらかたは、どこかの本からのパクリだし、いつまでも続けるわけにはいかない。
私は、タイミングを探していた。

************


前述したように、ちょうど私が労働相談の業務に就いたのと時を同じくして、職業安定法の改正があった。
このときの改正の特徴は、「自己都合で退職した人」と「会社都合で退職した人」との、区分の明確化だった。当然と言えば当然で、「会社勤めに飽きたから辞める」という人と、「経営不振で泣く泣く退職する」という人とで、失業給付が同じだというのは不公平である。

しかし、この制度変更は、予期せぬ副作用をもたらす。

「会社都合」なら失業給付を長期間もらえる。「自己都合」なら、最初の給付日まで3か月ほど待たされたあげく、給付日数も少ない。そうなれば、退職者は当然、「会社都合」による退職を望む。

ところが「自己都合」か「会社都合」かの間には、大きなグレーゾーンがある。

会社が従業員のクビを切るときには、それなりの「正当性」が求められる。それがないと「不当解雇」だとされ、会社に賠償が請求される。このため、会社側としては、何としても「自己都合退職」として処理したい。
加えて、会社は国から雇用安定のための補助金をもらっていたりする。
従業員を解雇すると、それが認めてもらえなくなることもある。それも当然だ。一方で従業員をバンバン辞めさせていて、他方で、人を雇うからお金をください、というのもおかしい。

ところが、巷では「トクする退職のしかた」的な本が多数出回るようになり、労働者が「自己都合」の不利さを知るようになった。
自分から辞めたというのが本当のところなのに、「解雇にしてくれ」と頼み出す人が出てくる。

従業員は「解雇ならいい、自己都合退職はいや」と粘る。会社は、従業員の意思で退職させたい。
結果、「いじめ」の問題が発生する。

いじめ、それ自体は、古今東西どこでもあることだが、この時期、「本当なら辞めたいのだが、自己都合で辞めたのでは不利になるので、我慢して働いている」労働者を、「後腐れがないように、きっぱり自己都合として退職届を出してほしい」会社側が、あの手この手で退職強要するようになった。

そのゴタゴタの中で、心を病んだりして、「退職したくても、再就職先が見つからないので退職できない」労働者が発生する。そして、さらにいじめられる。

************

その後、「トクする退職のしかた」の著者は、「こんな従業員をクビにする方法」的な本を書くようになった。本屋で平積みにされ、飛ぶように売れていた。
少なくとも、この本の著者だけは、この時期の騒動で、相当の収益を得たことだと思う。

私も数冊は購入した(もちろん自腹)し、その分の印税は入っていることになる。

労働相談のホームページを作りながら、私は、労働者に知識を与えることが、本当にその労働者のためになるのか、疑問を感じるようになった。

インターネットで労働者の権利や法解釈を説明することはできる。また、するべきだと思う。

しかし、今月の従業員の給料を全額出さなくてはならないために金策に走り回っている経営者もいる。その前で、「仕事がつまらない」と言えば、「とっとと辞めろ」と怒鳴られるということも、知っておいてもらいたい。

年間300万円の給料を会社から受け取るためには、その従業員はその何倍かの収益を会社に与えていなくてはならない。そうでなければ、会社は潰れる。そういった話は、いったい誰が教えればいいのか・・・。

************


クレームがあったこともある。
私のサイトにはたくさん判例も引用していたのだが、中には、上告後和解になったものもある。
判例は公表されているが、和解の内容は公表されていない。
その該当者から、内容が違うという電話が、労働相談情報センターに入った。
だが、公表されていないことは修正しようもないし、公表することもできない。
世の中には、そういう事実もある。

************

ホームページは4年ほど続けたが、まったく違う部への異動となった。

告知期間を置いて、半年してから、労働相談のページは引っ込めた。なお、私のサイトの内容は、かなりの部分が「社長のための労働相談マニュアル」というページに引き継がれていて、体裁もはるかによくなっている。私がサイトを閉じるということを聞いて、自主的に立ち上げられたようだ。
特段、私との関係もないし、どうこう言うつもりもない。

労働者を守るために作ったサイトが、経営者を守るために使われるというのは皮肉な話だが、労使紛争が少なくなるなら、それもいいだろう。

やはり、こういったものを、個人で維持するのはきつい。
日頃仕事がある中で、片手間で管理するというのにも無理がある。
組織としてきちんとした対応が担保されていないと、ネットを通じた情報提供は、長く続かないと思う

次のページへ→

自分年代史に戻る→

トップページに戻る→