本庁で労働相談の元締め(平成15年)
荷が重すぎるぅ

希望も出さなかったのに、また、本庁勤めになった。
労働相談の取りまとめ担当である。私が選ばれたというよりは、他になり手がなかったというのが実際のところだろう。上司は人事第一係のこと上席だったH課長だった。
とは言っても、実務経験わずか2年で、本庁の統括責任者というのは辛い。
しかも、待っていたのは、労政事務所の再再編だった。またリストラだ。

労政事務所は再び、再編の危機にあった。
もちろんリストラ対象となったのは労政事務所だけではない。外郭団体は次々と統合され、多摩にあった3つ経済事務所は廃止になり、商工指導所も平成13年に廃止(事業は中小企業振興公社に移管)された。試験研究機関も独立行政法人化が進んだ。

ここで、踏みとどまるにはこれまでと違う実績を示さなくてはならない。
このため、労政事務所という歴史のある名前はなくなり、「労働相談情報センター」(長いなぁ)という組織に、模様替えが行われた。
また、この時期に、新宿労政の廃止、王子労政の廃止と池袋労政の誕生。
飯田橋のシニアワークの「しごとセンター」への改装など、目の回るような組織改編があった。

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かなり、いろいろなことがあった。
毎週のように嫌がらせの電話がかかってきて、難儀した。脅迫するようなお手紙もいただいた。
まぁ、いずれにせよ、大変だった。

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一番来客が多い新宿労政を廃止し、全員相談体制を専任相談体制に戻したことについては、ひじょうに風当たりが強かった。新宿労政は以前、高田馬場にあったが駅から遠く利便性に問題があった。このため、たびたび廃止が俎上にあがった。
とりわけ、中央労政が飯田橋のセントラルプラザに移転したときは、「同じ新宿区に2つの事務所が存在する」ということで、かなり風当たりが強かった。

その後、歌舞伎町のハローワークにあった適正相談所が廃止され、新宿労政がここに移転すると、急激に相談件数が増え、トップの集客力となっていた。
その事務所の廃止だった。
加えて、雇用情勢も悪い。「なんでこんなときに・・・」という、批判も当然だと思った。しかし、そう言える立場ではなかった。

当時は、2つの出先を廃止し、その見返りに1つの出先事務所を作る、ということがよく行われていた。
新宿も王子も老朽化していて、いずれにせよ長くは保たない。そこで、2所を廃止することで、池袋に新しい事務所を設置する方向性となった。
だが、廃止が先行、新設はまだ公表できない。だから、批判にちゃんと答えることもできなかった。

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都の人事異動が激しくなったため、担当職員の育成が難しくなっていた。
その一方で、労働関係法令は複雑になり、雇用形態は多様化し、労使の対立は経営者対労働組合から、事業主対従業員個人の感情的なトラブルへと変わっていた。
そういう状況では、経験不足の職員に相談対応を任せることは危険だ。
実際に潰れてしまう職員も出ていた。
だから、「これからは専任体制にしなければいけない」と考えた。表向きは行政機能の<強化>だったが、実際には<崖っぷちで踏みとどまる>ための、やむを得ない手段だった。
ところが、内部からは、「全員体制っていっておきながら、専任体制に戻すのはへんだ」と反論された。
そもそも、全員相談体制は、私が考えたことだったのに、何で私がこんな目に遭わなきゃならないんだ・・・。

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そんな折り、「公益通報者保護法」というのが、施行されることになった。

公益通報者保護法は、もともと消費者保護の担当である内閣府から生まれた法律だ。本来なら消費者行政担当のセクションが担当すべきことである。
消費者保護なら都では生活文化局が窓口だが、乗り気ではなかった。どこに担当させるかが未決定のまま、法律の施行日が迫ってきた。
「企業内部からの告発をコントロールする法律だったので、労働者保護だろう」ということで、こちらに来たときには、すぐにでも対応しなくてはならない状況だった。
私のところにお鉢が回ってきたときには、すでに資料には「担当:津田」と書き込まれていた。

実のところ、労働者が「会社の労基法違反を告発した場合、不利益扱いを受けない」ということが、労働基準法104条に書かれている。 そして、その労働基準法を遵守させるために労働基準監督署がある。
しかし、労働者がちゃんと守られるかというと、そうはなっていないのが実情だ。労災隠しのような明白な法違反なら監督署はすぐ動くだろうが、雇用問題などが争いになると双方の言い分があるので、どうしてもグレーな要素が強くなる。いきなり取り締まる、というわけにはいきにくい。

それが社会の実態であるのに、公益通報者保護法には、労働基準監督署のような公的実行力の設置すら、予定されていなかった。

ともかくも、この法律の普及をしなくてはならないということで、東奔西走し、都庁の大ホールで、1日に3回も説明会をした。500人規模の大ホールを、総入れ替え制で1日3回満員にしたのは、たぶんこのときくらいだろう。
ホント、しんどかった。

同僚のY主任にはたいへん助けられた。感謝していること、申し添えておく(・・・と言っておかないと、何か、みんな自分がやったみたいで、怒られそうだ)。
どうも私の人生、運命の巡り合わせは、か~なり悪いが、周囲の人には、ずいぶん助けられているみたいだ。

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3年いて、全く別な商工部に異動することになった。これにもびっくりさせられた。異動希望は「どちらでもよい」だったが、それにしても畑違いだ。
「点数を稼いでトンズラか」と、思っている人も多いんだろうな、たぶん。

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労働相談業務について、最後に申し添えておきたい。

そもそも、「なぜ、労働問題は解決するのか」――、それが、私にとって、一番の疑問だった。
労働相談には、「あっせん」という業務が付随している。対立する労使の間に入って、何とか紛争解決へと誘導して行く仕事だ。
ところが、東京都側には、何ら権限はない。ひと言「お断りです」と言われれば、それまでだ。
にも係わらず、かなりの件数のあっせんが、解決する。

当事者にはいろいろ不満は残るが、ともかくも「確認書」とか「同意書」とかいうものに記名捺印して、解決に行き着く。
実際に業務に携わっていながらこんなことを言うのも何だが、それが不思議だった。

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私の勝手な解釈かもしれないが、労働者も使用者も大きな声で自分の正当性を主張してはいるものの、実は心のどこかで、トラブルから早いところ抜け出たいと、思っているのではないか。
相談担当は、ただ、ひたすら相手の言い分を聞き。その話の中から、本人が無意識のままに持っている「解決したいという気持ち」を、探し出す。そんな役回りをやっている。
その「聞く」過程の中で、話す側も、自分の状況や考えの整理ができる。
結果、未だ漠然とはしているが、何かしらの「解決の方向のようなもの」を、相談者自身が紡ぎ出していく。
労働相談担当は、それを目ざとく察知して拾い上げ、「こうしては、どうでしょうか」と提案する。
相談者は、「実は私も、そう思っていたところなんです」と言い、目の前の担当者を「信頼してよい人物」だと受け入れる。
だがら、その後の調整も、スムーズに進む。

逆に、こちら側から、あれこれ法律解釈を振りかざしたり、「あなたはこんな権利があるんだ」といくら言ったところで、もめている当事者間は、解決に向かわない。

労働相談に限らず、およそ相談事業には、こういった要素がある。

先般、経営相談の担当者と話をしたが、その人も「相談者自身が答えを持ってきている」と言っていた。
また、医師も「患者が話す言葉の中に、患者自身の診断内容が含まれている」と言う。

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昔は、カリスマ相談員と呼ばれるような人が複数いた。どこがどうカリスマなのか、ハッキリした定義はないが、たぶん、こんな人たちだ。
まず、労働者からも、経営者からもよく話を聞き、本音を探し当てる。
そして、労働者のために経営者から最大限の経済的な提供を引き出す。その段階で、経営者の不備な点を指摘するが、絶対に経営者の自尊心は傷つけない。だから、経営者からは「解決してくれてありがとう」と、感謝される。
そのうえで、労働者には、「あなたにも反省すべき点はありますよ」と、ちくっと釘をさす。
そんな人たちだった、と思う。
もう、第一線には、そういう人は残っていない。

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私が採用された頃、労政事務所のあっせんは、「自主的調整の援助」と呼ばれていた。
まさに「自主的」な気持ちを引き出す、だから、解決する。

ところが、近年、解決困難な事案が増えてきた。
あれこれもつれた糸を解きほぐしていっても、「解決したいという」気持ちの端がいっこうに見つからない。
労使双方が、ともかく相手を「やっつけてやりたい」と主張する事例だ。申し訳ないが、こういう事案は、なかなか行政機関では解決できない。司法の場において白黒つける方策を考えてほしい。
一部の攻撃的な労働者が、経営者の対抗姿勢を強めた可能性があるのかもしれない。
現に、最近では、経営者の側が先手を打って司法に訴えるケースも出てきているようだ。「勝ち目がなくても、裁判に訴えれば、他の従業員への見せしめになる」。
経済的に弱い労働者は、ひとたまりもない。ひどい話だ。

ほんとうに難しい世の中に、なってきた。

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