労政事務所の再編が一段落し、私は、いよいよ本腰を入れて、労働情報システムの再構築に取りかかった。
ところが、そんなとき、また別の仕事が舞い込んできた。
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東京都勤労青年洋上セミナーは、私が東京労働の記者をやっていた頃に始まった事業だ。
当時(というか、今も)、中小企業では若手従業員の定着性を上げることが課題になっていた。
プチバブルで、大手企業は内定者を海外研修に行かせたりしていたが、中小企業にはそんな経済的余裕はない。
そんなことから、この事業が始まった。
船は、商船三井の「新さくら丸」。目的地は、北京(東京の姉妹都市)。約2週間の船上研修だ。
しかし、回を重ねるにつれ、事業の存在意義が問われるようになった。
この事業の実施には膨大な予算が必要だった。それに見合う結果を示せと、予算当局からは繰り返し、資料が求められていた。
事業そのものには、意味はあった。
本セミナーがきっかけでサークルが生まれたり、カップルが生まれたりした。
狭い船内では、規律を守ることが常に要求される。そういった集団生活を学ぶ場としてもよかった。
担当職員としても「危機管理とは何か」を身をもって体験させるには、いい研修であった。
だが、事業開始から時が過ぎ、新規参加者の誘致に中小企業を回ってみると「余裕がなくて、ここしばらく新採は採っていない」という声に出くわすことが多くなった。
特に辛かったのは、「以前、とても優秀な従業員がいて、社の推薦で洋上セミナーに行かせたが、帰ってきてしばらくすると、辞めてしまった・・・」という言葉である。
こうした諸々の状況から、とうとう平成9年は実施が見送られ、新たな要素を加えて平成10年に出直すことになった。
それが東京都勤労青年洋上セミナーにとっては、最後の航海となる。
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私が乗船したのは、第13回。団長は植野正明副知事(天津で合流)、副団長は大関東支夫労働経済局長。
私の立場は「教務主任」で、指導員の取りまとめの役割だった。
知らない人は「公費で海外出張なんて、うらやましい」と言ったが、20代の若い人達300人(しかも男女)と、閉鎖された空間で2週間の長旅をするのだから、それはもうタイヘン。
私は、この仕事が難儀なのは、かねてからよく知っていた。
過去の担当者も、日本に帰ってくると、げっそりしていた。
しかも、2週間もの間、本来業務を外すことになる。
私は当時、システム担当で、サーバー入れ替えの重要な時期だった。そこで、かねてから上司には、名前が上がっても推薦しないでほしいと、何度も懇願していた。
「やっぱり、担当してもらうことになったよ」と言われたのは木曜日、翌週の月曜日には説明会があり、私が説明することになっている部分もあった。
「私の説明する資料はできてるの」と聞いたら、「まだ、できていない。当日までにはできる」とのこと。説明会当日、「資料に前もって目を通しておきたいのだけれど」と聞くと、「会場に置いてある」とのこと。「ここに予備はないの」と聞くと、「ない」と言われてしまった。
結局、自分が説明する資料を、私は会議の席上で初めて見た。それまでの説明事項を聞かず、私は自分がこれから説明する内容を必死で読んだ。
初めから綱渡りだった。
準備が遅れたのには、それなりにわけがある。
見直しを迫られて1年間の猶予をおかれたために、かえって、あれこれ変更部分(ルートや嗜好など)を組み込まなければならなくなった。
そのあおりで参加者募集に集中できず、ぎりぎりまで締切を延ばしたからだ。
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出航日は平成10年10月17日。
運悪く、南から台風が迫っていた。
「台風を東京湾でやり過ごしてから出航するか、時間を早めて出航して名古屋に逃げ込むか」――私たちは、決断を迫られた。
出発前日の午後、「出航式典を取りやめて、予定より早く出航する」という判断が下された。
課職員が全員手分けして、乗船者300人の会社に「出航式典はやりません」という連絡の電話をした(当時は、電子メールなどなかったのだ)。
そこでもう、くたくただった。
しかし、台風の足は遅く。電話をし終わった頃に、「式典強行」の連絡が入った。
課職員が全員で・・・300人の・・・、思い出したくもない。
予定通り式典を行い、午前10時出航。しかし、これが裏目に出た。
船は静岡県沖で、台風と正面衝突する。
あまりの荒波のために、スクリューが水の上に上がる。
そのまま回転させていては、機関が焼き切れる。したがって、速力を上げることもままならない。
進むか、待つかで、船長と機関長が言い合いになっていたそうだ。
船旅に不慣れな団員の多くは気分が悪くなった。
役員・指導員とて、同じだ。
夜中に非常ベルが鳴った。
海水が回線をショートさせたための誤動作だった。船中、右往左往した。
申し訳ありません。そのとき私は疲れて、ぐっすり寝ていました。
何か鳴っているなとは思ったんだけれど、300人といっしょに死ねるなら本望だなんで思って、起きなかった。
翌日、船は相変わらず風を受けながら傾いて進んでいた。スープ皿を傾けなくてもよかった。
「乗務員の中にも気持ちが悪いという者がでました。こんなことは初めてです」と、船長は語っていた。
メンバーの多くは食事に出てこなかった。
でも、おいしいスープだった。こんなにおいしくスープをいただいたことは、初めてだった。
――それまで、自分がこんなに船に強いとは、知らなかった。いやぁ、ホントに申し訳ない・・・。
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日本を離れる頃、幹部クラスが別室で、しきりに深刻な会議をするようになった。
医務室から睡眠薬がなくなった、ということだった。
急遽、全団員を集めて集会が開かれた。「持ち出した者は申し出ろ」「申し出ないときは、このまま日本に帰る」と言明された。
しかし、実は別のところに保管されていたのが発見された。
「薬はなくなっていませんでした」という船内放送が、新さくら丸に流れた。船中から、いっせいに拍手が起こった。
これも台風の後遺症だった。
そんな騒動があって、ようやく落ち着いて船旅ができるようになった。
私たちは、照明が消された船のデッキから、星空を鑑賞した。
天の川を初めて見た。流れ星も見た。今後、二度とは見られないだろう。感動した。
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行程は、東京(晴海)→天津→北京→上海→東京、だった。
ところが、乗船後も、翌日の行動日程が、細部まで決まっていなかった。これでは、指導員たちも不安だ。
私としては、その不安を解消させる責任がある。
朝10時。船長室で情報交換と日程決定のための会議がある。
ここで、「何時にどこそこ、何時から○○・・・」という、翌日の日程が決まる。
私は自室に帰り、その会議の決定を、エクセルの日程表に落とし込む。
このとき使ったパソコンは、確かWindows95だった。プリンターは白黒のレーザー。いずれも私物。何を言いたいかというと、「この性能では、どんな作業をやらせても、遅い!」ということだ。
私の船旅は、その作業に大部分を費やされた。
昼の研修が終わり、夕食。夜7時半頃から役職員会議。翌日の日程の資料は、ここで配られた。
役職員の方は、なぜ、翌々日の日程を教えてくれないのか不思議に思っただろう。
実のところ、決まっていないのだ。
私が自転車操業をしていることなど、知るよしもない。
このときの役職員の中に、東商の相談センターのA氏や、中小企業振興公社のH氏もいた。その後、仕事でお世話になる。縁とは不思議なものだ。
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台風の疲れか、病人が出た。医者は、飛行機で東京に帰した方がいいと診断した。
船中からは、本土と連絡がついたが、すでに、中国領内に入っていた。
あと数分で電話が通じなくなる。
病気で帰るということだけ連絡すれば、きっと親が心配するだろう。
ひと言でもいいから、本人の言葉を伝えたい。
そう考えた我々は、医師の許可のもと、病床の団員を電話口まで運び、家族に連絡させた。
間一髪で、電話が繋がった。「大丈夫だから心配しないで・・・」のひと言で十分だった。
係員一名を同行させて、病人は飛行機で東京に帰った。
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帰路に入ると団員の気が緩む。
朝の集会にも遅れてくる者が目立ちだした。
「明日の朝、全員がそろわなかったら、夜のさよならパーティーは中止すると言ってこい」と、H課長から命じられ、私は悪役を務めた。
団員には、その印象だけが残っているだろう。損な役回りだった。
その他も、いろいろとトラブルはあったが、ここでは書かない。
いやぁ、ホントに大変だった。
船の窓越しに晴海が見えたときには、泳いで帰りたいと思った。
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職場へ帰ると、同僚が暖かく迎えてくれた。
しかし、私は、自分の不在中の労働情報システムの具合が心配だった。
案の定、ホストが機動しない。
見れば、書類が排気口を塞いでいた。熱のため、回路がやられていた。
そこからが、新たな悪夢の始まりだった。
「無事に帰ってきたのだから、祝杯を挙げようよ」という声が、背中の方からむなしく聞こえてきた・・・。
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その数年後、大崎労政事務所に勤務していた私は、労働組合の調査のため商船三井を訪問した。
「新さくら丸」の話をすると、商船三井の方々は、皆、懐かしそうだった。
当時、海事関係のソーラス条約というのの改定があり、このため、新さくら丸は「改造して運行するか廃船にするか」の岐路に立たされていた。
新さくら丸は、それまでにも何回も改造を重ね、生き延びてきた船だった。
すでに大型の豪華客船の時代になっていた。
結果として「廃船」が決まった。
今頃は、リサイクル材として、どこかで第二の人生(船生?)を送っているだろう。
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