退職後の日々
これはこれで、よしとしよう

都庁の退職金は、平成25年3月末の退職者から、大幅に減額される。
私は、ぎりぎりで減額前に辞められた。「知ってたのか」「誰かから聞いてたのか」と、よく尋ねられる。
そんなことはない。しかし、予感はあった。
思い起こせば、私が採用された頃、都庁には定年制もなく、退職金を積んで辞職を勧奨するしかなかった。当時の退職金は90か月だ。
退職金でアパートを建て、生活は恩給と家賃収入で、悠々自適と言われていた。

その後、退職金はどんどん減り、私の退職時は60か月余り。今では40か月余りまで切り込まれた。
基本給の増加も55歳で頭打ちになった。管理職は退職日だけ特別に昇給させて退職金に色をつける、といった恩典も無くなった。

しかし、それだけではない。
給料の勧告が出るたびに、本俸部分が減り、地域手当が増えるという操作が行われた。試算すると、これで毎年、30万円弱の退職金額が減らされてきたことになる。
民間企業では、よくこういった「第二基本給」方式を使って、退職金を削減をする。ステルス性が高く、従業員も気づかない場合が多い。
その毎年ちょっとだけ削減が、23年度で終わることになっていた。
そうしたら、今度はドラスチックな減額、つまり、退職金テーブルの変更があるのではないかというのが、私の読みだった。当たった。
9年間人事係員をやってきたのは伊達じゃない。もう1年長く勤めていたなら、私の退職金はさらに100万円以上、減らされるところだった。

「退職金がこんなに減らされてるのに、駆け込み退職の報道ばかりで、減額の方は話題にあがらない」と、同僚はこぼした。ちなみに、東京都職員に駆け込み退職はいない。駆け込むと普通退職扱いになり、もっと退職金が減るからだ。

とはいえ、5年早く辞めたということは、少なくとも、5年分の経済的損失を負うことになる。
手取り500万円の年収としても、5年分で2500万円。つまり、ほぼ退職金全部が、早く辞めたための生活費に飲み込まれてしまうということだ。

とっとと、くたばれば、金持ちのまま死ねる。
しかし、平均余命と同じくらい長生きすると、足りない。そこのところが、わからない。困ったものだ。
やはり、経済的な問題は、退職後も避けて通れないのだ。

実のところ、退職後は、有名人の訃報が妙に気になるようになった。何歳で鬼籍に入ったのか。その年齢まで、私の資産が保つだろうか、と・・・。
「自分の死ぬ日が早く来ないかな」と思いながら、毎日が過ぎていく。なさけない。

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衛生局の退職担当だった頃を思い出した。あの頃、退職金・年金説明会というのが職員向けに開催されていた。
私は、退職金の試算額を一人ずつお示しする担当だった。
「まぁ、こんなにもらえるんですか」「え、税金はこれっぽっちでいいんですか」と皆さん大喜びだった。

ところが、そういう人たちも、隣の年金説明のコーナーに行くと、顔色が変わった。中には、泣き出す人もいた。
年金は昭和60年に大改正があり、退職年度の収入から計算されていた年金額が、生涯賃金を基に計算される方式に変わった。これが、公務員の年金額を大きく減らすことになる。
今では、公務員の共済年金と民間の厚生年金との間に差はない。
私に届いている年金お知らせ便によると、私の年金は65歳満額時でも、年間200万円ほど。
独身一人暮らしの私でも、さすがに、これだけでは生活できない。したがって、それまでの蓄えを少しずつ取り崩して不足分に充てることになる。
早く退職した分だけ、資産は減る。しかも、消費税は5%上がる、物価も2%上がるとなれば、不足額も大きくなる。
老親や年金額の少ない配偶者、就学中の子どもを抱えている人は、どうするのだろうか?

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というわけで、退職はしたけれど、経済的なことを考えると、なかなか悠々自適な生活は送れない。
私は、まったくの偶然から、運良く、外郭団体である(公財)東京都中小企業振興公社に非常勤(=アルバイトのちょっといいくらい)で雇ってもらった。
東京都中小企業振興公社 月給18万円。あれこれ引かれて最初の手取りは11万円(住民税が1年遅れなので、けっこうな額を引かれている)。
もちろん給料は、夜の飲み代で全部消える。それでも、無いよりはずっといい。
毎日飲むのをやめればいいのだが、それじゃ檻のない牢獄みたいなものだ。

退職を考えられている方がいるとしたら、まずは、生涯の収入支出のバランスシートを作ってみることをお勧めする。けっこう厳しいぞ。
退職したら、有り余った時間を利用して世界旅行だ、家のリフォームだ・・・なんて、とても無謀な話だとわかるだろう。

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中小企業振興公社には、私が商工会議所・商工会の仕事をやっていたときの、部下であり先輩でもあるI氏が勤務していた。この方が辞めることになり、後任を探していたのだ。
たまたま私の早期退職とタイミングが重なり、その後を埋めることになった。

仕事は、東京都地域中小企業応援ファンドという助成金(=補助金)に採択された企業のバックアップ。
直接の企業支援は、商工会議所・商工会・NPO団体が担当しており、これらの支援団体の調整をする業務であった。
都庁時代の商工会担当だった私は、こうした団体の多くと顔が繋がっていたので、公社としても渡りに舟だったと思う。

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精神面では、たしかに楽になった。何が起こっても、矢面に立たされることはない。
上野千鶴子氏の「おひとりさまの老後」という本を読んだ。これに反論した勢古浩爾氏の「定年後のリアル」という本を読んだ。どちらかというと、「毎日公園に行き、ぼ~っと、世の中の様子を見ている」という後者の方が、実際の退職後の生活は近い。

とはいいながら、なかなか現役時代の気持ちが抜けない。
休みが多くなった分だけ、朝寝坊している。よく夢を見てうなされる。夢は決まって「仕事でチョンボして、途方に暮れている」という内容だ。
もう、仕事で責任追及されることもないのに、そういう夢を見てうなされる。
目が覚めて、「自分は退職したから、大丈夫だ」と、あらためて再確認する。
例えとしては不適切だが、事故で手足を失った人は、まだそれが存在するような感覚を感じることがあるという。ちょうどそのような感覚だ。無いはずの仕事と、まだ自分は格闘している。

好きな映画は、しょっちゅう見るようになった。イチオシは「ツナグ」。人の死ぬ話に興味を引かれる。
家にあった特撮ビデオは全部見なおした。
プラモデルもコンスタントに作っている。
健康のため、天気の良い日は、意味も無く街中を歩くようにしている。練馬から、池袋まで1時間半、新宿まで2時間半、阿佐ヶ谷まで3時間、王子まで3時間余り。これが定番コースだ。

再就職できたので名刺が持てる。平日に休みが増え、しかも名刺があるので、ビッグサイトの展示会へもたびたび行けるようになった。
再就職できて、ほんとに良かった。

そんな、こんなで、日々が過ぎていく。
これはこれで、よし、としよう。

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