パネルディスカッションの代理コーディネーター
突然のご指名ですが・・・

再就職後の初年はたんたんと過ぎた。
週の休みが1日増え、もてあまし気味になった。
実のところ、都庁人生ではナイショの休日出勤が当たり前だったし、自宅への仕事持ち帰りも当たり前だったので(※注:よい子はやってはいけません)、週の休みが急に3日も増えてしまった感じだ。

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本庁で労働相談をやっていた頃、急に就業対策をやらされることになった。
あわてて買い出した本にこんなことが書かれていた。

高齢者の中には、就職相談に来て『自分が何をやりたいのかわからない』と、吐露する人がいる。
そういう人には、「子どもの頃、どんな遊びをしていましたか?」と、問い返すとよい。
「子どもの頃の遊び」に近いことが、その人が本当にやりたいと思っている仕事に近い、のだそうだ。

私は、その話を思い出して、子どもの頃にやっていたことをもう一度始めることにした。

まずは、プラモデルを作り出した。
しかし、それにつけても、ガンプラはすごい。これこそ日本人のモノづくりの神髄だと思う。
外国のプラモデルは、あちこち寸法がずれていたり、なかなか接着剤でピッタリくっつかなくて、コーキング剤で無理矢理付けたりするものも多い。しかも、出来上がると、元の箱よりずっと大きくなる。内部構造がないからだ。
ガンプラはプラモデルというよりも、組木細工に近い。原則として接着剤は使わず、パッチンパッチンと組み合わせていく。部分部分で、素材の硬さも微妙に違えているようだ。しかも、内部はぎっしりなので、出来上がりは元の箱よりも、ずっと小さくなる。
いやぁ、奥が深い。

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学生時代に、よく映画館に通っていたことも、忘れていた。
当時は、渋谷に東急名画座とか全線座とかいう、とても安い映画館があって、名画2本立てで上映していた。「ローマの休日」や「愛情物語」なんか、ませたガキ時代に見て、感動していた。

そんなわけで、最近は足繁く映画館に通っている。
幸いなことに、家から20分ほどで豊島園のシネコンがある。温泉もある。
ビデオよりは高くはつくが、どうせなら大画面で見たい。
ちなみに、今年のマイベストワンは「永遠の0」。

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せっかく退職金をもらったので定期預金で利息を稼ごうと思ったが、あまりにもあまりにもあまりにもと100ぺん言っても言い足りないほど、預金利息は安い。これにはびっくりした。
そこで、投資信託に走ったが、儲からないどころか、原価割れが続いて、損切りした。
もう、欲をかくのはやめよう。

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そんなこんなの、のんべんとした毎日だが、1回だけ事件があった。
仕事上のイベント「モデル事業発表会」を3月4日に開催したのだが、前日に、パネルディスカッションのコーディネーターをお願いしていた先生が倒れられたという連絡が入った(※注:先生はその後、ご無事に復帰された)。
“今日の明日”だ。取りあえず「どうしようか」ということになった。
関係者にはみなスタッフとしての役割が与えられていて、持ち場を離れられない。
唯一、フラフラという自由な立場だったのは、私だった。しかも、そのイベントには企画段階から係わっているので、中身はよく知っている。

仕方なしに、「何だったら、私がやりましょうか?」と、申し出た。
ということで、突然のご指名を受け、ぶっつけ本番でパネルディスカッションの司会と相成った。
実のところ、ひょっとしたらそうなるのではないかと、前日から準備はしていた。急に言われたって、司会なんてすぐに出来るものではない。自分なりに質問リストを用意し、時程の検討付けをした(←とても重要)。
それにしても、緊張した。

退職後にこんな役回りが回ってくるとは、想像だにしていなかった。
周囲からはかなり感心されたが、こういったことは都庁時代にも何度か経験していた。洋上セミナーのとき、海外研修のとき、労働相談のとき、突発事件は何度も起こった。

仕事は私の精神を蝕んでいたが、ピンチをしのげたのも、その仕事のおかげだった。

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さて、今年の大きな変化といえば、ピッチをスマホにしたこと。
理由は、友人とのコミュニケーションを取る必要があったためだ。
どうもガラケーの親指でメールを打つのには抵抗があり、全然メールを使っていなかった。
スマホにしたらチャカチャカ打てるようになって便利だ。

なぜスマホにしたかというと、旧地元の友人たちから旅行会の幹事を頼まれたからだ。「退職してヒマだろうからお前やれ」ってことになってしまったのだ。
そもそも旅にも幹事にも馴れないものだから、これがもうたいへん。行き先は仙台と決まったが、みんな、我が儘言い放題。

取りあえずスマホで連絡を取り合い、日程を決め、ネットで旅館を予約した。
しかし、その日に仙台で楽天と巨人の日本シリーズが行われる可能性があり、切符の予約が心配になる。
取りあえず、「えきねっと」というのに加入して、新幹線の切符を予約し、みどりの窓口で席の変更をお願いし、切符を購入して、準備を整えたところで、友人からキャンセルの連絡。
再び変更の調整をしているうちに、台風がアベックで来てしまい、あわてて旅館の予約もキャンセル。切符払い戻し・・・。払い戻し手数料は自腹となった。

しかも、当日は台風が行きすぎてしまい、巨人vs楽天の初戦が好天の下、行われた。
そして、ボクたちの仙台旅行は、実現しなかった・・・・。

結局、スマホと、充電器だけが残った。
それでも、GPSもついていて、方向音痴の私にとっては都合がよい。電池の保ちがよければ、よいのになぁ~と思うが・・・。

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さて、今年もぼちぼち終わる。
都庁では、猪瀨知事の突然の退任で、長期計画や予算の局要求も止まっている。
きっと事務方は大変なのだろうが、辞めてしまうと、対岸の火事という風にしか感じられなくなった。
だんだんと仕事の拘束から、精神の自由を取り戻しつつある。

しかし、ちょっと寂しいような気もする。

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