だんだんポンコツになってきた
淡々と日々は過ぎるかと思ったが・・・

知事が舛添氏に代わった。
前の猪瀨知事は、オリンピックの誘致という点では功績があったが、それだけで失脚してしまった。
こういう場合、俗に「脇が甘い」という。下心もなしに、ポンと大枚を寄付してくれる人なんて、そうはいない。
二代続けて小説家の知事が就いたが、ブレーンという点では、石原氏の方がずっと厚みがあったと思う。

猪瀨氏は何となく浮世離れしたところがあった。
猪瀨氏が副知事をしていた頃のことだ。突然、「緑の募金」を都庁管理職が集めろ、という指示が出された。みんな、休みの日に上野公園に集められた。私は係長だったが「休日出勤の手当は出るから参加しろ」との業務命令である。

翌日、上野公園に行ってみると、「聞いてない? 係長級はボランティアなんだって話だよ」という。
管理職は休日手当が出ない、係長には出るというのでは、バランスが悪いと猪瀨副知事が判断したらしい。
確かに管理職とボランティアの係長なら、人件費はかからない。
しかし、誰が考えても、都庁のお役人が「募金をお願いします!」って連呼したところで、募金なんか集まるはずはない。
それでも副知事は「こうやってみんなが頑張っているってことが大事なんだ」と、豪語していた。
確かに人件費はかからない。しかし、あのとき特注で揃えた緑色のウインドブレーカーの費用よりも、募金が集まったとは、到底思えないし、そんなこと私でもわかる。
おまけにだ、上野公園に並んで説明を聞いていたときに、カラスが私の頭にフンを落とした。ほんとに、フンだり蹴ったりだった。

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担当業務も何となく先が見えてきていた。
アベノミクスで国がたくさんの補助金を出してきたので、私の担当している助成事業がかすんでしまった。霞が関では、「安倍首相の経済政策が功を奏し、事業所の減少に歯止めがかかった」とどうしても主張したいらしい。
しかし、1年や2年なら何とかなるが、お金が出るからって理由で起業した会社が、うまく経営を続けられるとはかぎらないことを、私たちはよく知っている。
結局、かわいそうなのは、経営者の皆さんだ。

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「私の事業プランは完璧だ、どうすれば補助金をもらえるのか?」と食い下がる御仁に都庁時代にも何回か巡り会った。
「この事業計画では収益が上がるとは思えない・・・」なんて言おうものなら、烈火の如く怒り出す。でも、そうなんだからしかたがない。
「みんながいい話だと言ってくれているのに、アンタはけちを付けるのか!」と言うのだが、「みんながいい話だと」言うのと、そのみんなが「資金を提供してくれる」と言うのでは違う。
「誰に何をいくらでいくつぐらい売って、収益はどれくらい残り、そこから経営者の生活費が捻出できるか」という根拠がハッキリしていないなら、浮ついた考えで新事業に手を出したりしないほうがいい。
それは、上野公園の一件とも相通じる。みんなが「いい話ですね」と言ったはずだ。だからといって、事業が簡単に成功するとは限らない。
判断するのも経営者、責任を取るのも経営者だ。

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この年、一つだけ事件が起こった。しかも、大事件だ。だが、当初、関係者はそんなに深刻に考えていなかった。

事件というのは、消費税の5%→8%の値上げである。
役所の予算編成というのは、あまり融通がきかない。過去に消費税が導入され、また、3%→5%に値上げされたときも、予算総額はそれに見合ったところまでは、なかなか増額されなかった。当局の指示は「それくらい飲み込め!」だった。回り回って、結果的には、罪のない民間企業が犠牲になる。

しかし、今回は違った。国が「消費税をきちんと上乗せしろ」と音頭取りをしたからだ。
ところで、私たちの仕事では、謝礼金を出すことが多い。謝礼金には、消費税が含まれる。そのうえ個人あてだと源泉徴収もする(私は今もって腹に落ちた感じがしないのだが、どうして、10.21%の源泉徴収をする上に、消費税分も8%ダブルで徴収されなくてはならないのだろう)。

そして、消費税の転嫁がきちんとされているかどうかを、指導するのも私たちの役割なのだ。
その私たちが、消費税の増額分を無視したら、どういうことになるか。これは、とんでもない問題なんだ。
そこんところが、関係者になかなか理解してもらえず、ぎりぎりのタイミングでようやくクリアした。ヒヤヒヤものだった。
どうも、役所やその関係団体は、税金というものについて、あまり感覚が研ぎ澄まされていない。困ったものだ。

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個人的には、だんだんと老人化が進んできていると、実感するようになった。
10月に事務をやっていて、突然、腰に激痛が走った。
ぎっくり腰は前にもやったことはあったが、こんなひどいことはなかった。何か重たいものを持ち上げようとしたのではない。ただ普通にイスに腰掛けて、パソコンを打っていたら、ギクッとなった。

3日ほど寝込んだ。当座はまったく立てず、クイックルワイパーのモップを支えにして、家事をした。何が辛いったって、トイレが辛い。
突然激痛が走ると、膝がガクッとなる。仕方なしに、杖を買った。杖を買いに行くまでは杖がないのだから、これも辛い。それに、結構、お高い。
折から、NHKの大河ドラマで『軍師官兵衛』をやっていて、杖に支えられて歩くのも、結構カッコイイのではないかと思ったが、そんなことは全然なかった。
電車に乗っていても、誰も席を譲ってくれないことがわかった。それに、スマホに夢中になって歩いてくる馬鹿どもを避けなければならない。これが、とてもとても辛い。

歳を取るっていうのは、そういうものなんだ、と実感した。
幸いにもぎっくり腰は2週間ほどで完治した。とはいえ、違和感は残っている。たぶん、またなる。

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ペースは落ちたが、映画館には足繁く通っている。今年のマイベストワンは「思い出のマーニー」。アニメだが心の琴線に触れるものがあった。
かなり昔(1978年)にアメリカの特撮映画で「バミューダの謎」(特撮監督は円谷プロの佐川和夫氏)というのがあった。ジェニーハニヴァーと呼ばれる海の妖精にまつわるファンタジーだ。妙に記憶に残っている。マーニーもこれと相通じるところがある。

大晦日に『紅白歌合戦』を見る。
以前は、そんなもの興味はわかなかった。しかし、このところは、けっこう長時間、お付き合いしているし、紅白を見て、『行く年来る年』を見ると、「あぁ、今年も1年生き長らえたなぁ」と思う。

そんなことが、結構幸せなんだと、思うようになった。

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