はやぶさが帰ってきた
イオンエンジンだぞっ!

2010年(平成22年)6月13日22時51分、はやぶさが帰ってきた。2003年5月に打ち上げられてから、7年目の快挙である。
私は打ち上げ直後から、はやぶさ=ミューゼス-Cに興味を引かれていた一人だ。この話は有名だし、映画にもなっているので、多くは語らない。ともやく「ようやく帰ってきたか・・・」と、感慨ひとしおであった。

ところで、私がなぜ“はやぶさ”に関心をもったかというと、そのパワーがイオン推進によってもたらされているからだ。
私が子供の頃の少年雑誌には、「未来の宇宙探検」といった挿絵つきの物語がたくさん載っていたが、そこでは、固体・液体燃料の次にくるのは、原子力ロケットであり、その次に来るのがイオン推進とされていた。
次の次に来るはずの、なんだか得体の知れないエンジンを、ほかでもない日本人が開発し、すでに実用化しているとは、話を聞くまでまったく知らなかった。
それが「すごい」と思った。

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振り返れば、日本は万博の頃までは、いけいけどんどんで成長していた。
雑誌で“弾丸列車”と紹介されていた新幹線はすでに世界に誇れる技術だったし、出光のマンモスタンカーが進水し、YS-11(開発元の輸送機設計研究協会の名前からYとSをとったのを知っていると通だ)も飛ぶようになっていた。
タルコフスキーの『惑星ソラリス』(1972年)で、未来都市として描かれていたのは、東京の首都高だ。それに、円谷作品では日本人ばかりが宇宙で活躍していた(よく考えれば不自然だが・・・)。
いずれ日本が、世界の科学技術をリードする時代が来ると、少年時代の私は信じて疑わなかった。

しかし、最近はどうだろう。
たしかに、ICチップやアニメやデジカメや液晶や自動車の分野では、我が国は(“少なくともバブルの頃は”)世界のトップクラスだったが、そういうコンパクトな世界でない、空や海や宇宙のフィールドだと、やはり大国には遠く及ばない。
そう残念に思っていた矢先に、「イオンエンジンだぞ」「何だかよくわかんないけど、すごいんだぞ」という、小学生のノリで期待できるものができているじゃないか、と思った。

それゆえ、はやぶさの動向に一喜一憂してしてきた。

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夢の見づらい時代になった。
世界一の製品を作るエンジニアを目指す若者は一握りだが、安定した公務員を目指す若者はたくさんいる。
しかし、すべての人たちが安定を求めたならば、おそらくこの国は沈む。
はやぶさの成功は、そういう閉塞感の中で一服の清涼剤となった。
だからこそ、かつて子供だった者たちにとっては、大切な宝石のように感じられるのだ。

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さて、当時の私はというと、引き続き商工振興の仕事をしていた。
しかし、所詮は補助金交付の事務処理。
私も「夢見る年頃」は遠く過ぎてしまった。

それでも、補助団体の参加する「産業交流展」や「たま工業交流展」、「ふちゅうテクノフェア」で、中小企業の技術屋さんたちの顔を見ると、「まだまだ捨てたもんじゃない」という感じはしていた。
ビッグサイトでの「アニメフェア」や「ロボット博」「JIMTOF」「IGAS」の賑わいの中から、新しい時代を切り開く力が育っていくことを、願った。

たしかに将来は楽観できない。
しかし、四角四面に物事を考えてばかりいるのじゃなく、ちっとは破天荒な夢を描いてみたいとも思うのだ。
そうじゃなきゃ、人生、つまんないじゃないか。

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