やっとオリンピック開催と大谷ショーの1年
コロナ禍は年を越した

とりあえず、コロナ対策がどうであったかの記録は以下のとおり。
期間対応状況
2020.4.11~2020.5.6緊急事態宣言期間飲み屋は夜8時まで(中小企業に支援金)
2020.5.7~2020.5.25緊急事態宣言期間同上
2020.8.3~2020.8.31緊急事態宣言期間同上
2020.9.1~2020.9.15緊急事態宣言期間飲み屋は夜10時まで(中小企業に支援金)
2020.11.28~2020.12.17緊急事態宣言期間同上
2020.12.18~2021.1.7緊急事態宣言期間同上
2021.1.8~2021.2.7緊急事態宣言期間飲み屋は夜8時まで(1.22~大企業も支援対象となる)
2021.2.8~2021.3.7緊急事態宣言期間同上
2021.3.8~2021.3.21緊急事態宣言期間同上
2021.3.22~2021.4.11段階的緩和期間飲み屋は夜9時まで
2021.4.12~2021.4.24まん延防止等重点措置期間23区と多摩の一部の飲み屋は夜8時まで、その他は9時まで
2021.4.25~2021.5.11緊急事態措置期間飲み屋は休業(酒を出さなければ夜8時まで)
2021.5.12~2021.5.31緊急事態措置期間同上
2021.6.1~2021.6.20緊急事態措置期間同上
2021.6.21~2021.7.11まん延防止等重点措置期間飲み屋は夜8時まで(多摩・島しょの飲み屋は9時まで)
2021.7.12~2021.8.31緊急事態措置期間飲み屋は休業(酒を出さなければ夜8時まで、都内全域が対象に)
2021.9.1~2021.9.30緊急事態措置期間同上
2021.10.1~2021.10.24リバウンド防止措置期間都の認証店のみ支援される方式に
コロナ感染者の出方は増えたり減ったりで、地域差もある。そのため、支援金の支給対象も時期によって違った。当初、事業主あたりだったのが、1店舗あたりになったりもした。
また、一律支給が途中から大企業も支援対象となった。カラオケ店や映画館が対象となったりして、とても複雑だった。
感染時期から遅れて支援金が出されるので、その仕分けもたいへんだった。混乱の極みだ。
東京都では2020.6.2に「東京アラート」を発令し、レインボーブリッジが赤い照明で照らされた。 でも、それを見たくて人が繰り出すなど、あまり効果が上がらないばかりか、後になって振り返ってみると、この時期はあまりコロナ感染者が発生しておらず、 政策的には、ちょっとスベったものになった。
ただ、小池都知事は毎日のようにマスコミに登場し、少なくとも世間の注目を浴びていた。

東京でのコロナ感染は、第1波(2020年4月)、第2波(2020年7月~8月)、第3波(2020年11月~ら2021年2月)、第4波(2021年4月~6月)、第5波(2021年7月~9月)と来た。
ピークは2021年8月13日の5908人だった。しかし、8月下旬から、あれよあれよと減り、10月にはほとんど発生しなくなった。 普通、こういった感染症は患者が増加するときは指数関数的に増えるものだが、増えるスピードよりも減るスピードの方が急だという、あり得ない展開となった。
世間では、第6波は必ず来ると言われているが、はたしてどうなるのか。これを書いている2021年12月末には、また増える兆候が見えているのだが。
変異株が出て、イプシロン、ゼータ、ベータ、ラムダ、アルファ、デルタ、カッパ、ガンマ、イオタ、イータ、ミュー、シータと名づけられた後、ニューとクサイが飛ばされ、オミクロンとなった。 ギリシア語のアルファベットの知識は増えた。ニューは英語のNEWと紛らわしい、クサイは英字表記のXIが「習」と読めて人名と一致するという意味で使われなかったのだが、ガンダムだってニューもクスィーもある。 ちょっと不満。

そんな中でちょっと社会貢献をした(自慢)。
コロナで飲み屋の営業自粛が行われ始めた頃、商工部の知人に「店に人が入らなくなったら、そのうち弁当を売り出す飲食店が出るよ。 そういう“業態転換支援事業”を今のうちから考えていた方がいいよ」とメールした。すぐに事業化が実現し、ケータリングを始める飲食店には好評だったようだ。
ビッグサイト時代、来場者が大挙するとお利口なレストランは店先で弁当を売り始める。それを見ていたから思いついた。
あえて“業態転換”なんて難しい言葉を使ったのは、この事業をタネにして、他の業界にも広げたかったからだ。
残念ながら、東京都はそこまで間口を広げなかったけれど、この事業から発想を得たのかは定かでないが、国は“事業再構築補助金”を作った。 やっぱり、どうせ支援するのなら、事業転換のリスクを軽減するための補助金があった方がいいと思う。
東京都の補助金は製造業に手厚いものが多いが、たくさんの製造現場が都内から離れ、他県や外国に移っている。これからは、商業・サービス業の支援が大切だと考える。

************

gunpla そんな状況下で東京オリンピックが無観客で開催された。57年ぶり。前回は1964年(昭和39年)で、私が8歳のときだった。 さすがに前回のようなワクワク感はなかったが、ブルーインパルスの飛行を見るために新宿のサザンテラスまで行った。見れたのはちょっとだけだったけど。
オリンピックは7月23日から8月8日、パラリンピックは8月24日から9月5日まで行われた。

今回のオリンピックは、御難続きだった。
最初に、オリンピックのロゴが「盗作」との嫌疑がかけられ、作り直しになった(私は、後の方の市松模様の方が好きだが)。
国際競技場だが、設計コンペで選ばれたのが“アンビルト(建たず)の女王”と呼ばれた人の作品で、「これは建物の建設ではなく、もう土木工事だ」と言われ、予算内で完成が見込めないものだった。 建物のコンペをすれば、奇抜なものが選ばれる。私たちも、ずいぶんとその洗礼を受けたものだ。一端は規模縮小で設計変更がされたが、それでも建設困難で、最終的には隈研吾氏の設計となった。
次に、「マラソンには、東京の夏は暑すぎる」という話が出た。そもそも、夏場の開催になったのはアメリカのマスコミの都合らしい。 しかし、東京誘致の宣伝文句に「東京の8月は温暖で、アスリートには適している」ともある。「どこが温暖なんだヨ!」と突っ込みたくもなる。 結局、マラソン会場は北海道に変更された。
さらに、JOC会長の女性蔑視発言で急遽会長交代。開会式の演出担当もコロコロ代わった(ずいぶん昔の話を蒸し返された。ちょっと気の毒だと思う)。
加えて、コロナが来た。1年延期されたうえに、せっかく新調された会場は「無観客開催」となった。名前だけは「TOKYO2020」で踏襲されたが。
「とにかく、無事に終わって欲しい」とだけ、切に願わざるを得なかった。

それでも、日本選手は頑張ってくれた。
金メダル27個、銀メダル14個、銅メダル17個。計58個は、アメリカ、ロシア、イギリスに次ぐ成績だ(金メダル数はアメリカに次ぎ2位)。
圧巻は、女子ソフトボールの決勝戦。日本のピンチで、アメリカの打者の打った球が三塁手のグローブをはじき、万事休すと思ったら、そのまま二塁手のグローブにダイレクトで収まり、ピンチを脱した。
「こういうときには、こういう奇跡のようなことが起こるのか・・・」と感涙にむせんだ。
なお、パラリンピックでは、日本は史上2番目51メダルを獲得している。

************

オリンピックと同じ頃、アメリカ大リーグでは、エンゼルスの大谷翔平選手が大人気を集めていた。
打者としてホームラン王を狙う位置にあり、投手としても勝利を重ねて、二刀流はベーブルース以来と騒がれた。盗塁も多かったし、守備もし、オールスターのホームラン競争にも出た。
大谷は今季、投手で9勝2敗、防御率3.18、156奪三振、打者では打率2割5分7厘、46本塁打、100打点、26盗塁だった。
それに、子どもたちへのサインにも気軽に応じ、他軍の選手からも好かれた。 イチローが「修行中の武士」のようなタイプなのに対し、大谷は「野球少年がそのまま大人になった」感じだ。アメリカ人はこういうスターを好む。
結局、ホームラン王にも10勝投手にもならなかったが、シーズン後、大谷翔平、メジャーMVPを取った。満票だった。心配していたのは日本人だけだった。
おそらく、日本でそのままプロ野球を続けていたなら、「バッター」か「ピッチャー」か、どっちかに固められてしまっていただろう。

************

gunpla さて、世間のことばかりを書いていてもしょうが無い。とはいえ、私個人は、相変わらずの独居老人生活だった。コロナでも自粛はせず外出した。
今年歩いた距離は、2,973km。残念ながら今年も3,000kmには届かなかった。 距離を目指してはいないけれど、地上400kmの国際宇宙ステーション(ISS)まで、3往復半は歩いた勘定だ。しかも、お金を使っていない。自分で自分を褒めてあげよう。
ちなみに、8月4日にISSが東京でも見えるというニュースがあり、天を仰いだ(これかなぁ?)。
なお、右足がしびれる症状は、多少楽になった。でも日ごとに状態が変わる。弱ったものだ。

自粛期間があったことも影響して、映画館からは足が遠のいた。映画館で見たのは「新エヴァ」の最終作と「ゴジラvsコング」だけ。
しかし、映画を見たくなくなったのではない。前々年暮れに、Netflixとwowowに入ったので、自宅内で「毎日が金曜ロードショー」状態だった。

展示会等への訪問もぐっと減って、16件にとどまった。行っても、コロナの影響で低調なものが多い。
11月11日に、六本木の国立新美術館に初めて訪問し、「庵野秀明展」を見た。この人が子ども時代にワクワクしたものは、ほぼ私と同じ。 「お金と時間と覚悟があったら、庵野みたいになってたかも・・・」と思うと残念。

ガンプラは引き続き月産2台くらいの割合で作り続けてきた。しかし、ここに来て入手困難となっている。 いわゆる「転売ヤー」という人たちが買い占めてしまうので、プラモデル売り場ではガンプラの販売場所が小さくなってしまった。 まったく困ったものだ。とは言っても、もうマスターグレードのほとんどを作ってしまったが。

今年の思い出は、NHKの大河ドラマで渋沢栄一が取り上げられたことだ。 以前、商工会議所の担当になった折、渋沢のことを知った。その人生は実に面白かった。だから、たびたび「渋沢栄一をNHKの大河にして欲しい」と言ってきた。 ようやくそれが実現した。細かい内容は割愛するが、こんな人がこんなタイミングで日本にいたなんて、奇跡としか言いようがない。
ある意味、私にとって今年最大のイベントは、これだった。

コロナのワクチン接種をした。1回目7月10日、2回目は7月31日。今年度で65歳になるので、一般枠ではなく、高齢者枠でちょっと早かった。
1回目は近くの小学校(投票所もここ)だったが、2回目は少し離れたところだったので、場所がわからず、15分ほど遅れて汗だくで着いた。 袖が張り付いてめくりにくく、看護師さんに怒られた。「今日は、激しい運動はしないように」と言われたが、ここに来るまでが今年一番の激しい運動だった。
翌日、朝、発熱。でも、昼過ぎには平熱に戻った。若い人ほど副反応は出やすいと言われている。「オレってまだ若いのかな」と思う(勘違いかも)。
ワクチン接種ついでに、10月25日にインフルエンザの予防接種も受けた。

65歳になって、年金が満額になった。手取りで月あたり20万円。トータルで42年あまり働いたのだが、都庁は55歳で辞めたし、安月給だったので少ない。 しかも、65歳になると介護保険料がグンと上がった。それが来年度から天引きされるので、結局手取りは19万円あまりだ。
この先、貯金を取り崩して生活していくことになるけど、平均余命をまっとうするまではどうにか大丈夫そうだ。あまりお金を使わない方だし。

************

12月8日、重大事件が発生。2年間しか使っていなかったパソコンが壊れた。だから、本稿も古いパソコンを引っ張り出して書いている。 インストールしていた最新ソフトと、直近2か月分のデータも飛んだ。
実は、再出動している古いマシンは買ったときWindows8で、その後Windows10にアップしたのだが、Windows10は定期的に大幅アップデートするために、すぐに調子が悪くなった。 ノートンなどの手助けを借りて直そうとしたが、うまくいかない。あきらめかけていたころ、デバイスドライバーのアップデートで治った。
つまり、Windows10が勝手にアップするのに、部品が追いついていけなかったってことだ。
そこで、新しいマシンはこまめにデバイスドライバーのアップデートをやっていた。それが裏目に出た(というか、無料サポートソフトに一服盛られた感じだ)。
壊れたマシンは、カスタムメイドで、Intel-i7、SSD512になっていて立ち上がりが、すごく早かった(その分、高かった)。
古いマシンは、とにかく立ち上がりが遅い。ソフトも起きるまで時間がかかる。イライラする。 いったん立ち上がると、さほどの差は感じないのだけど、2年も使っていなかったので、いろいろと設定を確保するのに面倒くさかった。
すぐに新品にしようと思ったが、ちょうど、Windows10と11との端境期なので様子をみている。

************

余談だが、別項で補助金・助成金の一覧も作っている。今年は、コロナ関連の補助金がたくさん出されて、その上、場当たり的に追加募集があって、ほんとにたいへんだったよ。
来年は、穏やかな年であってほしい(また、コロナの感染者が増えてきているけど・・・)

次のページへ→

自分年代史に戻る→

トップページに戻る→