卒業論文(昭和56年)
労働相談って、一人前になるにはどれくらいかかるの?

大学の卒論のテーマは「ジェネラリストとスペシャリスト」とした。
そのための意識調査を、当時の労働経済局労政部の職員に対して行った。

質問はいくつかあった。
メインは「労働相談業務で、一人前になるには何年くらいかかると思いますか」というものだった。

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およそ役所のやる社会調査というものは、いわゆる「とりあえず調査」というものが多い。
このため、「毎年毎年調査で、いったいいつになったら実現するのか」というご批判を受けることもある。

回避するには、あらかじめ仮説を立て、それを検証するための調査にレベルアップさせるしかない。
私が前提とした仮説は、回答者の職務歴によって回答内容に差が出るはずであり、これを検証する、というものであった。
これまで職場で見聞きしてきた事象から、労政事務所で長年勤務してきた人と、他の職場から転入してきた人とで、回答に差がでるハズだ(=これが仮説)と考えた。

当然、差は出た。
当たり前のことといえば、当たり前だ。
他の職場から労政部に来た人は、「一般的な意味だが、行政の仕事は担当してから3か月もすればいっちょ前にこなせなくてはならない。労働相談といったって同じだ」と 答えた。

労働相談を長年経験して本庁勤務になった人は、「10年は必要。場合によっては一生かかっても一人前になれないかもしれない・・・」と答えた。

多くの人の回答はその中間だったが・・・。
これほどまでに違う考え方の人達が混在して、同じ行政を支えてきたことそのものが、不思議だった。

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対照的な価値観を持つ人が同じ職場にいれば、コンフリクト(葛藤)が生じる。
にもかかわらず、うまくやっていけるのは、仕事に関連性がないか、あえてそのような議論を避けているか、そんなところだ。
実際、飲み屋での意見を聞くと、それこそいろいろな見解が飛び交っていた。

私が来る少し前まで、部の構成員はほとんどが労政事務所出身者だった。
だから、同僚同士一定の素地が出来ていたし、その前提の上で、本音トークを出来ただろう。

しかし、部間・局間の人事交流が激しくなって、だんだんと労政出身者は少数になる。
真剣な議論も避けられるようになってくる。
その中で「労政不要論」「労政斜陽論」とやらが、ウワサされる。

私はその「論」とやらに接したことはない。本当にあったかどうかも知らない。
しかし、「上層部では、そういうことが言われているぞ」とい流言飛語だけでも、出先事業所に与えるインパクトは十分だった。

ウワサが流れることによって、事務所の若手は「沈む船からは早いうちに離れよう」と考え始める。
若手がいなくなれば、事務所の活力は失われる。
結果的に、その事務所は役割を果たせなくなり、廃止される。

こうした現象を、社会学者は「予言の自己成就」と呼んだ。
私が卒論を書いていた頃には、まだまだそんな終末感に現実味はなかったが・・・。
まさか自分が・・・(詳しくは後述)。

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当時は、労働局と経済局が統合したりして、都庁の行政組織がようやく柔軟に改正されるようになった頃である。

それまでは、労働部門で働く者は、管理職を除いて労働部門で長年を過ごした。

キャリア形成のコースは、
(1)新規採用で事務所の庶務(いわゆる事務の基本を学ぶ)→
(2)事務所の事業部門(まだ社会勉強の段階)→
(3)事務所の相談担当者(交渉能力を鍛える)→
(4)本庁の業務担当者(一段上の立場から、行政を見渡す)→
(5)本庁の庶務担当(世の中の複雑さを知る)→
(6)昇格して事務所の係長(前職で養われたバランス感覚を活かし、所を切り回す)→
(7)本庁の係長(社会で何が問題になっているかという体験を、大所高所の立場から施策に反映させる)→
(8)昇任試験に受かり、管理職になって事務所の所長(さらに大きな立場で、調整能力を活かす)・・・
といったところが、人材育成の標準であった。

事実、こういった経験を経なければ、一人前のスペシャリストは育たない。それは今も同じだ。

上の人材育成コースを終了するためには、約20年を要する。
職員を一生、特定分野で抱え込まなくては、このシステムは成り立たない。
組織の改廃が進む中で、そんな悠長な人材育成はできない。
人材が育成されたとしても、そのときに、その組織が存在するという確証はないのだ。

ジェネラリストと育てようとすれば、スペシャリストの存在を否定しなければならない。
しかし、行政にスペシャリストは必要だ。

こうした二律背反に、都庁の事業部門は、その後長年に渡って、大変悩まされることになる。

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労働相談の評価について、当時の私はどちらに軍配を上げていいか、判断できなかった。
どちらかといえば、役所の仕事だから一定期間で平均水準に達して当たり前だという気持ちの方が強かった。

しかし平成に入って実際に相談業務に従事してみると、「10年は必要。場合によっては一生かかっても一人前になれないかもしれない・・・」という答えの方が正しいと、思う。

次なる課題は「そこまで専門性が高い業務を、役所がやる必要があるか?」だ。
そして、サブの質問に「では、いったい誰がそれをやってくれるだろうか?」というのが、付く。

卒業論文の結論は、書き上げることができそうもない。

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