コンピュータは、我が恩人(平成7年)
目標は稼働率55%

東京ビッグサイトの概要については、別のところに書いた。

裏方の動きだけを話そう。
新展示場準備室は、M室長の下、都からの派遣職員3名、見本市協会の固有職員2名の体制、これとは別に、技術系の都職員が3名派遣されていた。

このM室長がやり手だった。ある意味、役人離れした役人だった。開業後のバタバタもM室長がいたから、何とか乗り切れたといえる。

私たちは、新しい展示場の運用計画を作るように命じられていた。
分かりやすく言えば、「赤字が出ないようにしろ」ということになる。
「そんなの無理だ、本当に都当局は、黒字経営が可能だと思っているのか・・・」と、その真意を疑っていた。

************

展示場の黒字経営計画を作るのは、企業の経営計画よりずっと簡単だ。
要するに、何パーセントの利用があれば、必要経費を上回る収益が得られるか、ということになる。
私たち新展示場準備室は、損益分岐点を稼働率54%と定め、目標とする最低稼働率を55%に据えた。
晴海会場での歴史では、最高70%を超えたこともあったようだが、社会情勢からいってとてもそれは見込めない。

そのうえ、ただの大きな倉庫といった晴海とは違って、有明の新展示場は、豪華設備満載だった。
維持管理に要する経費も大きい。

かといって、利用率が低いという前提で採算を計算すると、展示ホールの利用単価が高くなる。
なおのこと、利用率は下がる。
いたちごっこだ。

************

当時、展示場は、まだ建設途上にあった。実際に稼働してみないと、細かな経費はわからない。
そういった条件の下で採算ベースを試算するのは、並大抵のことではない。

私が晴海の稼働率や予約の状況をまとめる。
それを吟味して、想定利用率を出す。
技術担当が、その利用率で、新しい展示場の稼働に必要な経費をはじき出す。
これをつき合わせて、仮の料金を作り、ここから収益計算をする。
その料金で、実際に目標の利用率が出せるか、再検討する。
ダメなら、別の利用率を設定して、再計算する。
といったやり方で、仮定の利用率と料金がはじき出された。

展示場の利用は、季節によって波がある。
8月、1月に展示会をやれといったって、お客を集めるのは大変だ。
単なる計算式だけでは、想定稼働率の精度は上がらない。

10ホール×365日=3,650が、稼働率100%。(現在は2ホール増え、さらに拡張中)
実際に3,650マスの日程表を作り、仮の予約日程を書き込んでいく。
そうすれば、現時点での稼働率予測がかなり正確にわかってくる。

もし、その後のビッグサイトの運営状況に興味があれば、(株)東京ビッグサイトの財務諸表でもご覧になっていただきたい。

************

こうなってくると、コンピュータの出番だ。
前提となる情報は日々変わる。電卓をたたいていたのでは間に合わない。
自分専用のパソコンが必要だ。しかし、その頃、私はパソコンを使いこなす自信がなかった。もう39歳だ。新しい機械に挑戦する歳は過ぎた。

実は、役所に入ってから、ポケコンとノートを1台ずつ買ったことはある。もとより研修担当で、ワープロの研修は山ほどやったので、嫌いではない(というより、メカ大好き人間なのだ)。
しかし、なにぶんその頃は「毎日夜中まで仕事」の生活。
しかも、パソコンを使うには、せめてbasicくらいのプログラムを組めなくては話にならない。
結局、モノにならないまま、捨てることになった。

ところが今回は、何が何でも使えるようにならなくては、いけなかった。
「パソコンを習得するか、過労死するか」――その選択しかなかった。

************

自分専用のパソコンがほしい。秋葉原に行って、富士通のDOS-Vを買った。
100MHz、Windows3.1。でも、Lotus123を動かすだけだったら、それで十分だった。
自腹で100万円は厳しかったが、過労死するよりはマシだ。

買った早々で、早くもダウンした。
店員の売り込みでは「Windows95に上げても、十分動きますよ」ということだったが、実際に95にすると、アプリケーションが満足に動かなくなった。所詮、馬力不足の機械だった。
購入店で1回交換させた。「初期トラブルは、よくあることです」とのことだった。しかし、交換したマシンも、すぐに動かなくなった。今度は、「近くに変電設備があるんじゃないですか・・・」という変な理屈で、ごまかされた。
そんなハズはない、周りのPC98は問題なく動いているぞ。
私が悩みきっているとき、出入りのウチダエスコの人が、何とか動くようにしてくれた。本当に助かった。

こうした一件から、パソコンは私にとって命の恩人となった。
その後、システム担当になったとき、何とかこの恩返しをしようと思った(その話は、後述)。

次のページへ→

自分年代史に戻る→

トップページに戻る→