令和が始まった
だんだんアブナクなってきた

今年も淡々と1年が始まり、淡々と終わる――はずだった。けど、いろいろとあった。

スカイツリー01 スカイツリー02 スカイツリー03



















2月1日、東京スカイツリーに登った。
以前から「死ぬまでに一度は登りたい」と思っていた。
たしかに高かった。しかし、スカイツリーの周辺にはあまり目立つような建物がなく、さほど面白味は感じない。ちょうど航空機の窓から景色を拝見しているのと同じだ。
ちょっとガッカリ。ま、心残りが一つ減ったので、良しとしよう。
スカイツリーには前も来たことはあったが、建ち上がったばっかりだったし、休日でもあったので、とても混雑していて、「整理券もらって2時間待つ」と言われた。
そのときは断念したが、今回は平日なのでほとんど待ち時間はなかった。 冬場で晴天、遠くまで見通せそうな日を選んだ。
この日のためにコンパクトカメラも買った。持ち歩くことが楽なので、その後も随時、鞄に入れて歩く。
11月にはInstagramも始めた。まだ、使い方がよくわからない。
前の古いミラーレス一眼を下取りに出したが、4千円にしかならなかった。もっと早く見切りをつけるべきだった。

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5月1日から、平成が令和になった。
天皇陛下が高齢のため引退し、皇太子に天皇を譲ることになった。
4月1日に菅官房長官が「令和」の発表をし、1か月後から適用されることになった。とうとう私も、昭和、平成、令和と3つの時代を生きることになる。
いつものように、上半期はホームページの「補助金」のページの改訂が続いた。いいかげん、飽きてきたなぁ。

オオタカ 6月29日、善福寺緑地公園でオオタカの巣立ちに遭遇した。何年か前から、この辺りにはオオタカが営巣するようになっていた。 区は警戒線を引いて、そっとしておくように保護していたが、大きな望遠レンズを担いだカメラマンが週末にはベストショットを狙ってたむろしていた。
その日は、小雨交じりの天気で、巣立ったタカは、まだよく飛べないようだった。
私が様子を眺めていると、向こうから「NHKのイダテンの金栗四三」のように、タッタ、タッタと走って来るモノがいる。そして、私の3mくらい前で、急に止まった。
そのときになって、タカの幼鳥だということに気づいた。
鞄からコンパクトデジカメを取り出して、3枚写真を撮った。1枚だけこっちを向いているのが、収まった。プロでもなかなかこんな瞬間は撮れない。 カメラを買って良かったと思った。

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合成写真をフェイスブックに掲載することも続けたが、7月9日をもって終了とした。その後、プラモデルの在庫を3分の1ほどを廃棄した。 これらのプラモにとっては、合成写真デビューが、最後の花道となった。
家の中の不要なものを少しずつ捨てる、ということが目標となった。一番始末におえない粗大ゴミは自分自身なんだが・・・。

7月、パソコンを買い換えた。今度はSSDがメインメモリーとなる。起動が速い。しかし、たまに動かなくなることもある。冷や汗をかく。
Photoshopも新しくした。illustratorも購入したが、とっつきにくくて、まだ初心者レベルにも到達できない。

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秋に大きな台風が2つほど、東京を直撃した。9月9日の台風15号は千葉県に被害をもたらした。10月12日には台風19号が東京を直撃した。
この間に事件は起こる。
前々から、急に立ちくらみを感じることがあった。
最初は昨年エアコンの掃除をしていた時。このときは脚立から落ちたが、大きなケガにはならなかった。
次は、友だちと飲んだ帰りに地下鉄のエスカレーターに乗っているとき。後ろの人たちにもたれかかり、迷惑をかけたが何とか踏みとどまった。
3回目は3月24日に友人Iの病気見舞いに慈恵医大に行った帰りに、友人たちと飲んでいるとき。トイレに立とうとしたときに、クラッとした。何とか踏みとどまった。
症状はというと、急に視野が小さくなっていき、視界がモノクロになってくる。と同時に、手足に力が入らなくなり、一瞬、意識が飛ぶ。1~2秒ほどで元に戻る。
半年に1度ぐらいの割合で起こるようだ。

だが、10月5日の場合、無事ではすまなかった。
交差点を渡るとき、信号が変わりそうになって小走りに渡っていたのだが、その際、右折しようとする乗用車に煽られた。そこまでは覚えている。 気づいたときには腹ばいになって道路に横たわっていた。左手の手のひらに痛みが走った。
通りの向こうから、同年代の男性が「大丈夫ですかぁ?」と声をかけてくれた。定期入れが落ちているのも知らせてくれた。
慌てて立ち上がったら、ズボンが破れており、血で赤く染まっていた。小指の関節から出血していた。
「大丈夫じゃないみたいですぅ」と、通りの向こうに声をかけたが、冗談だと思われたらしく、「そうですか~」と答えたまま、男性は立ち去った。もちろん、車は影も形もなかった。
土曜日の午後なので、医者も休み。自宅までゾンビのような状況でなんとか帰った。
とりあえず消毒剤を付けて、バンドエイドを巻いたけど、その後、左手がパンパンに腫れた。ひどく内出血していたらしい。 普通、手の甲には骨の出っ張りとか、血管とか筋とかが浮き出ているのだが、ひどく膨れてあんパンのようになってしまった。
週明けに医者に行ったが、消毒剤を塗っただけ。傷はしばらくして癒えたけど、未だに指はしっかりとは曲がらない。ずっとこのままだと思う。

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実は、これと同時期に、不動産屋とマンションのリースバックの話し合いをしていた。
初回の話し合いが午前中にあって、その午後に転倒事件。やっぱ、変わったことはやるもんじゃないな。「やめとけ」という天の声のように感じられた。
リースバックというのは、自分の所有する住宅を賃貸に切り替えて、売却料金を得、なおかつ同じ部屋に住み続けるという手法である。 ネットでは盛んに宣伝していた。
リースバックを利用すると、不動産の売却金額は、相場よりだいぶ安くなる。 そして、住み続けるために賃貸料を払う。原則は定期借地権。それだと不安なので通常の賃貸借契約を結ぶと、賃貸料は割高になる。
これらのデメリットに対して、住宅の管理費・修繕積立金はナシ、固定資産税はナシ、というメリットがある。面倒くさいマンションの管理組合の役員にもならなくてすむ。
私には財産の相続人がいないので、不動産なんか持っていたって、死んじゃったら何の意味もなくなる。そんなわけで、リースバックが使えないかと考えた (これとは別にリバースモーゲージというのもあるが、こちらも手続きが面倒だと知っていた)。

転倒事件があったので、勢いを失ってしまったし、よくよく計算すると、当初の売却金額は、リースバック後の賃貸料の15年分くらいにしかならない。 その時点でも生存している可能性が高い。
家は他人のものになるわ、家賃は割高になるわで、あまりいいことがないとわかった。
それに、不動産会社もあまり乗り気ではない。高齢者が所有する住宅を取得した場合、居住者が死亡すると不動産としての価値が下がるからだ。 どうやら、売って転居する方向に誘導したかったみたいだが、私としては、そんな面倒なことはしたくない。
ということで、話は打ち切りとなった。いい勉強にはなった。

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台風とか地震とかが東京であると、高岡に住む親戚のおじさん(血縁はない)が電話をかけてくる。
そして、「いっぺん、遊びに来んか。早く来ないと、わしら死んでしまうぞ」と言う。
仕事にも就いていないので、忙しいという言い訳ができない。
そこで「金沢に旅行する予定があるので、その途中で立ち寄る」という話になった。台風で上越新幹線に被害が出たので、旅行は全線復旧後にずれ込んだ(10月30-31日)。
以下は、金沢での旅行風景。

金沢01 金沢02
金沢03 金沢05
金沢06 金沢07
金沢08 金沢09

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そんなこんなで、今年も暮れた。
何にもないのもつまらないが、あまり事件にはぶつかりたくない。

12月にwowwow、Netflixに加入した。HDMIのワイヤーをパソコンとTVとで繋いだので、AmazonPrimeも見られるようになった。

今年の映画鑑賞は21本で少なめだった。
ベストワンは「スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け」。このシリーズ全部を、最初から最後まで映画館で鑑賞できたのは幸せだと思う。
気持ち的には、「ゴジラ キング・オブ・モンスターズ」を一位に付けたかったのだが、ちょっとかなわないかな、ってとこだった。

来年はオリンピックイヤーになる。展示会に行く回数も、かなり減るだろう。その分は、自宅でのビデオ鑑賞で埋め合わせることになる。
そんなこんなで、ことしももう終わりだ。

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