終活の1年
行き詰まったかと思ったら、急に進んだ

1月9日に親戚の叔父が亡くなった。今年はこのことから始動し始めた。 昨年書いたように、叔母さんを8月に亡くし、その後はずっと「早くそばに行きたい」といった話ばかりしていたようだ。
妻に先立たれると、ホントに男は弱い。
そろそろ自分も本気で考えなくちゃならないな、と思うようになった。

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5月8日に、3年間続いた新型コロナが5類相当に格下げされた。
新型コロナは、流行当初、ピンピンしていた人が突然他界するというショッキングな病気だった。千葉真一でさえ急死した。
しかし、その後DNAが変容し、オミクロン株になると、死ぬ人の数も減ったし、死亡者も年寄りと病人ばかりになっていた。
前年凶弾に倒れた安部元首相も「5類にするという方法もあるんだよ」と、言っていた。だったら、総理の席にいるうちに、そうしときゃいいのだけど・・・。
5月に5類になった後も、流行の波は何度か来た。最初はマスクを手放せなかった人たちも、だんだんマスクしなくなってきた。 ちょっとキツめのインフルエンザくらいに沈静したようだ。
それでも、未だに人混みの中では、マスクをしている人も存在する。習慣というのは恐ろしいものだな。

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コロナ禍の中、私も、三井住友銀行の終活プログラムを始めたのだが、なかなか進まないことがだんだんわかってきた。
まず当初は、友人の娘3人に相続させようと考えていたのだが、父親は乗り気でなかった。
まぁ、財産はあるし、何も私の助けを求めようとは思っていなかったのは、わかる。 こういった事は、センシティヴな問題なんで、やはり全面的にウエルカムで引き受けてもらいたい。なので、白紙に戻すことにした。

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そこで思い当たったのが、1月に他界した富山の叔父の家族だ。 叔父は母方の祖母の実家を守ってきたが、養子だったので私と血縁関係にはない。けれど、親戚といえば親戚だし、他に親しい縁故者はいない。
叔父には3人の息子がおり、まぁ、そこに遺贈するのがスジといえばスジだと考えた。彼らからも了解を得た。
しかし、今度は銀行側から再考を促される。
叔父の息子たちは、若い頃の印象が強くて、私よりずっと年下だと考えていた。しかし、もう60歳前後になっている。
私がいつ死ぬのかは未知数だが、平均寿命でいけば、85歳程度であり、これから18年ほど先だ。と仮定すると、彼らも70代半ばになっている。
「歳を取ってしまうと、もう、あまりお金は欲しいとは思わなくなる。もっと、若い人にしたらどうか」というのが、銀行側のアドバイスだった。
叔父の息子3人には次男と三男に1人ずつ子がおり、20代のお嬢さんと今年大学に進学する男の子だった。長男坊は独身で、私と立場は同じだ。
そこで、子供2人を遺贈先にすることにした。
銀行は後々のトラブルを心配して、「親に隠し子がいないか」など、調べたいという。なので、私の相続先が他にいない(はずなんだが)かどうか、確認してもらうことにした。 私の一族関係の戸籍謄本やら自宅マンションの固定資産評価証明書を集めてくれた。 もちろん有料だが(金21,428円也)。結果、相続先がないことが明確になった。
自分の戸籍は、自分で千代田区役所に行き入手した(金1,200円也)。 自分の住民票が必要なので、練馬区役所に行って入手した(金300円也)。
さらに、来年から相続登記の義務化が始まると知った。 私の本籍地にある家の所有者が誰だかわからないので、念のため東京法務局へ行って土地・家屋の全部事項証明を取った(2種類で金1,200円だったと思う)。 結果、他人の手に渡っていることがわかった。残念だが、そんなものを処分するのは大変なので、ホッとした。
奇遇にも、現在の持ち主は、私が以前住んでいた阿佐ヶ谷南の住民だった。ひょっとしたら、道ですれ違ったことでもあったかもしれない。
富山の親戚からも、叔父関係の原戸籍謄本を送ってきた。 おかげで、各種資料を判読して、自分で家系図を作成してしまった。

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私のもくろみはこうだ。
年金暮らしになって、年金だけでは生活できないことがわかった。あと余命18年だとすれば、その中で現金資産は使い尽くそう。 そして、死んだらできるだけ早く発見してもらい(そうでないと自宅の資産価値が下がる)、家を片付け現金化して、それを子供2人に遺贈しよう。
銀行のプログラムでは、銀行自体は何かしてくれるワケじゃない。月1回、面談して、世間話とか金融商品の紹介とかしてくれるのみ。
月1の頻度で、死後すぐに発見してもらえるか、心許ない。
さらにわかったのは、銀行には「不動産を売却する機能はない」ということだ。銀行の提携先には弁護士もいるのだが、そこでもやっていないという話だった。
それじゃ、死後事務委任も、どこまでやってもらえるのか不安だ。
担当の口ぶりだと、不動産を遺贈することは可能だが、結局のところ遺贈を受けた者が、東京に出てきて対応しなけりゃならないらしい。
富山からわざわざ親戚を呼び寄せるのか。そんときゃ、私はいないぞ。
銀行の話だと、弁護士に依頼すれば、月々の支払いを止める作業などはやってくれるという。しかし、どっちみち口座凍結になれば同じだ。
とても「特殊清掃」なんか、サービスの範疇ではできそうもない。頼めばオプション対応してもらえるのかもわからない。そのとき追加費用はいくらになるのか。書いていない。

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銀行の終活パンフレットを読んでみると(株)鎌倉新書という会社が掲載されていた。 この会社は知っている。知っているといっても、東京ビッグサイトで開催されたエンディング産業展で立ち話をしただけなんだが、パンフによると、 サービス内容の中に「不動産」「遺品整理」「お墓・散骨」とある。
なので、「こっちの会社を紹介してほしい」と銀行にお願いした。
さっそく、鎌倉新書に連絡を取り、さらにその提携先の会社を紹介してもらった。鎌倉新書そのものは、取り次ぎサービスだけらしい。
「信頼できる会社を紹介します」ということで、銀行にも了解を取ったうえで、(株)OAGライフサポートという会社を 紹介してもらった。
OAGはまだできてから日が浅い会社だ(設立、令和3年4月1日)。だが、OAGにはいろいろなグループ会社があり、連携対応している。元々は資産管理会社から始まっているという。 とくに独り暮らしの人に特化したサポート力点を置いている。
10月16日に1回目の面談。「不動産を売ることはできますか」と尋ねると、「できます」という返事だった。もう、ここに頼むしかない。
10月19日、銀行に「この先は遺言作成を含め、OAGで進める」と伝えた。10月24日、銀行の副支店長に状況を報告。
11月1日に、OAGに必要書類などを提出する。
OAGとの契約金は66万円、死後事務経費120万円は(後者のうち90万円が実際の死後事務経費となり、余れば遺贈者に分配、足りなければ贈与金から差し引かれる、30万円が手数料)。
さらに、遺言作成支援のための手数料が16万5,000円也。11月20日、都合、202万5,000円をを振り込む。
その後、遺贈先の子供たちの住民票(戸籍情報あり)を取り寄せるのに時間がかかった。
12月7日、八重洲の公証役場に赴き、遺言とOAGとの契約書を預ける(いずれも、公正証書になる)。
公証役場には、遺言と契約書の公正証書作成手数料13万583円を支払う。
ここまでの諸経費は、トータルで、約218万円かかったことになる。
以上をもって、初期の契約は終了するが、今後、OAGとの間に月額8,360円(年額10万320円)の会費が必要、この会費は入会時の年齢によって異なる。
さらに、特別な事態が発生し、OAGから人を派遣してもらうと、その都度、料金が発生する。
また、年齢が上がって認知症が進行し、任意成年後見人が付くと月額料金は上がるし、後見人には裁判所の監督人を付けなくてはならず、その費用も発生する。
ただ「死ぬだけ」のことなのに、お金がかかる。

OAG側も不動産を売却する以上、私が死んでしばらく発見されないのでは困る。 そこで、週2回、生存確認のためのショートメールを送ってくる。これに返事をしないと、エマージェンシーとなり、電話が来る。
12月27日、洗面所の照明を電波発信機付きのもの(ハローライト)に替えて、電気の使用実績をモニターしてもらえるようになった。クロネコヤマトが提供している。
加えて、日常的に携行する「緊急連絡カード」や、マンションの管理人室向けの「告知文」もくれた。やっぱ、これくらいやらないと、不動産処理なんかとてもできない、と思う。

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一方、銀行のエルダープログラムだが、「いつでも、やめられる」という説明であったけど、まだ、続けている。
このプログラムの中でお誘いを受け、NISAの口座を作った。銀行の株価連動だった。「お客様は、皆さんこれを選ばれますよ」という説明だった。
半信半疑だったが、株価が急騰した。その結果、34万円もの利益が出てしまった。
今年の懸案だった、洗濯機(5月)と一人がけソファー(6月)の買い替えをしたが、それでも20万円くらいだったので、黒字になった。
以前、銀行の投資信託をやってさんざんな状況だったが、今回は儲かった。
その次に、銀行そのものの社債を1,000万円で買った。そっちの運用益で、そこそこの利益が出る。エルダープログラムに必要な年額24万円に匹敵していた。
そもそも、エルダーをやらなかったのなら、この収益は出ない。なので、これがあるうちは、続けようかな、と思っている。
OAGに乗り換えた結果、「銀行に1,000万円以上の預金をキープすること」という課題は、事実上なくなったし。

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さて、富山の親戚の子供に財産を遺贈する手続は整ったが、3兄姉の長男には子供がいないので、1円もさしあげられない。
私が死ぬ10数年後のお金より、今の方が生活に必要な費用は大きいはずだ。
しかも、国が税制改悪して、歴年贈与のハードルが、来年から高くなる。
110万円までは相続税がかからない。そのため、これまで暦年贈与は、相続税の軽減のために活用されてきた(違法ではない)。
ただし条件があって、贈与する側の人間が3年以内に他界して、相続を行うと、あらためて暦年贈与分の相続税がオンされる。その前提が、3年→7年に延ばされるのだ。
「3年」だったらまだ生きているような気はするが、「7年」だと、ちょっと自信がない。
もっとも、私が贈与するのは、彼らではなく、その子供に対してだし、そもそも相続者以外の贈与なら対象にならないという話もある。なので、関係ないのかもしれない。
が、後日、税務署からあれこれ言われたら気の毒だ。
このため、富山の親戚3兄弟には、1人100万円を暦年贈与した。相続関係の書籍には「今年限りのワンチャンス」とさかんに書かれているので、思い切って行った。
終活経費と会わせると、500万円以上の預金が消えた。

ということで、遺言とかお金とかの話ばかりになってしまった。
ただし、年金額は思いのほか少ない。それに、いつまで生き延びるかわからない。 「人生90年時代」とか、国はお気楽に言ってくれているが、相当厳しい状況だ。
なので、預金通帳の残額とにらみ合いながら、この先、何年も過ごさなくてはならない。
まぁ、何とかなるだろうと、ノンビリかまえている。毎日、カップラーメン食べても平気でいられる人間だし・・・。
いつまで生きながらえるのか、わからないが、その日が来たとき、1円でも手元にお金が残っていれば、この人生は“勝ち”だ。少なくとも、経済的には。

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世の中の動きだが、今年も大谷翔平はすごかった。 WBCで優勝の原動力となっただけでなく、アメリカで2回目の満票MVPを取った。
頑張りすぎて、終盤、肘を痛め、2度目の手術を余儀なくされた。それでも、ドジャースへの移籍が決まった。 今年の大谷の成績は以下のとおり。
打者部門打率3割4厘
打点95打点
投手部門勝ち負け10勝5敗
防御率3.14
奪三振167

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天候は、異常気象でめちゃくちゃ暑い1年だった。やっぱ、地球温暖化が進んでいると実感せざるを得ない。 とりわけ「殺人的」と形容される夏の暑さが、連日続いた。散歩をするのも、ほどほどに控えるしかなかった。
それでも年間の散歩距離は、2,611km歩いた(今年末8,468km-昨年末5,857km)。年ごとに短くなっているが、そこそこだと自負している。

今年の流行りは、生成AIだ。私もChatGTPをはじめ、いくつか使ってみた。
文章の理解・作成能力は高い。 けれど、回答内容はごく平凡だったり、平気でウソをついたりする。
仕事には便利だが、すぐに人間に取って代わるとは思えない。

映画館で映画を観る機会は、ずいぶん減った。
今年観たのは「シン・仮面ライダー」「インディジョーンズと運命のダイヤル」「沈黙の艦隊」「ゴジラ-1.0」の4本。 まぁ、私的には、定番といっちゃ定番だ。
映画館には行かなくなったが、Netflixやwowowでは、かなりの数観ている。
「ゴジラ-1.0」は、これまで観たゴジラ映画では、ナンバーワンだと思う。 日本国内の興行成績も、シン・仮面ライダーに勝ち、シン・ウルトラマンに勝った。 とりわけ、海外での評価が高くて、全世界の興行成績を合わせるとすでに100億超え、シン・ゴジラを上回っている。 まだまだ伸びしろはありそうだ。

展示会は、いつも行くようなものを見聞したが、正直なところコロナ前の元気がない。
東京ビッグサイトの設立に加わった者としては、心配だ。 以前は毎年コンスタントに30億円前後の黒字を出していたが、オリンピック中の休止やコロナによる停滞を受け、赤字を出すことも増えている。 一時的なものなのか、展示会ビジネス自体がオワコンになっているのか、今後の推移を注視したい。
また、このサイトでも、これまで展示場で見つけた気の利いた商品を紹介していたが、10月1日から「ステルスマーケティング」が禁止された。 別に出展社から金をもらって紹介していたワケじゃないのだけど、変に勘ぐられるのも迷惑なので、その項目を落とした。
本音を言うと、項目を追加するためにわざわざ展示会を訪問していたところもあり、かなり負担に感じていたこともある。 正直、もういいだろう、と思う。

ウクライナの戦争は続いている。イスラエルでも戦争が勃発した。
999 2月13日、敬愛する松本零士先生が亡くなった。国際フォーラムのお別れ会(6月3日)に行ったが、あまりにも混んでいたので、待機会場から退席した。
10月8日、若い頃よく歌った谷村新司氏が亡くなった。♪今はもう、誰も~♪
だんだん寂しくなっていく。
そんなこんなで、前期高齢者としての毎日が続く。

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