東京労働・主任記者(昭和58年)
賃金の奴隷

新聞といっても役所の出すものだから制約は多い。書きたいことがあっても、書けない場合がしばしばあった。
何代かの先輩記者のO主事(その後係長に)とA主事(その後部長に)は、当時、取材で地下鉄の工事現場へ行って、仕事上がりの労働者と酒を飲みながら本音の話を聴いた。
帰り道で、飲み屋に寄り、酒が回る前に記事を書いたそうだ。
そのときのルポは特集記事にして出したが、話の大半はそこに盛り込めなかったという。
「職場にあっては賃金の奴隷」とは、O主事の口癖になった。

私たちのときも制約は多かった。その頃、最大の関心事は「派遣労働」の是非だ。
法的には認められていなかったが、すでに派遣労働という就労形態は広まっていた。
これを法律で合法化するか否かが注目を集めていた。
結果はご存じのとおり。

その問題点について、当時も、各方面から指摘されていた。しかし、書けない。

役所の新聞で取り上げるとすれば、「是」とする意見、「否」とする意見の両方を取り上げて、「さぁ、決めるのは読者のみなさんですよ」という手法だ。
それ以外のどんな取上げ方をしても、クレームが来る。
相当勉強しないと、こんな問題は扱えなかった。時間のない中でやるには無理があった。

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そこで無難な題材として私が選んだのは「TQC(小集団活動)」だった。懐かしい言葉だ。今、こんなことをやっている企業は少ないだろうが、当時は大流行だった。
従業員に勤務終了後、自主的なミーティングを開かせ、研究発表などさせて、企業トップが直接その提案を取り上げる。それまで企業組織に潜んでいた問題点が、露呈される。
トップダウンで提案が採用されるから、従業員のヤル気もさらに高まる。経営効率も高まる。収益が上がるから、従業員の賃金にも還元される。
良いことずくめのように吹聴されていた。

TQCを労働サイドから批判するなら、
(1)仕事終了後の会合は職務命令であり時間外手当を出すべきだ、
(2)自主的といったって事実上参加を拒めない、
(3)労災などが発生したとき責任の所在が不明確だ、ということになる。

この特集を組むにあたり、いつものことながら、私は労働団体の意見を聞き、経済団体の意見を聞いた。どうも今ひとつピリッとこなかった。
労も使も、微妙な立場に立っていて、全面的にいいとも悪いとも言わないのだ。

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そこで、学者の意見も聞くことにした。一橋大学へ行き津田真澄教授にインタビューした(別に私の縁者ではない)。

津田教授は、当時、どちらかというと経営サイドの立場に立つ学者さんだと言われていた。
その津田先生が、こういった。
「TQCには大きな問題がある。本来組織の命令系統は、一般社員がいて、係長がいて、課長がいて、部長がいて・・・と、ピラミッド型で作られている。そうしないと、組織のシステムが保たれないのだ。
「TQCは末端の従業員が直接社長に提案する制度だ。そうなると、途中の管理職の立場はどうなる。職場の問題点を指摘して改善するのは、中間の管理監督者にとって 、本来業務なのだ。中間層がしっかりしていればこそ、会社が成り立つ。チェック機能が正常に働いていないと、その組織はダメになる。
「TQCは、その仕組みを否定する。そんなことばかりやっていると、その組織はダメになる。」
津田先生は、TQCの肩を持つと思っていた。意外だった。

私はかつておでん屋だったころに、元ヤクザのおじさんが、「組織の規律を保つために足を洗った」と言っていたことを思い出していた。

そのときのTQC特集には、津田先生の意見をそのまま記事にした。
特段の問題にならなかったが、特別注目を引くこともなかった。
でも、自分としては、十分満足だった。

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派遣に代表される労働市場の流動化は今日、「組織に対するロイヤリティの低下」という形で、逆に企業に対して牙をむき始めた。
また、日本人労働者総体の、エンプロイアビリティ(私は“職業対応力”と訳している)の低下という方向も見える。

かつて労働者派遣を後押しした高梨 昌氏(信州大学名誉教授/元雇用審議会会長)でさえ、今では、「労働者を円滑に転職できるようにする究極の形は、すべての労働者を単純作業労働者にすることであり、“日本人労働者全員をフリーター化するもの”と揶揄(やゆ)する」ようになっている。

都庁も柔軟な組織運営をするという命題の元に、どんどん人を回していった。
管理職も一般職員も、あれよあれよといいう間に異動していく。それが当たり前になった。
組織運営は容易になり、猫の目のように組織の新設・廃止が進んだ。
汚職があってもすぐに発覚するようになった。誰もが同僚をかばおうとはしなくなった。

しかし同時に、昔はどこの職場にでもいた「生き字引」のような職員が絶滅した。

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学生時代から私が抱いていたのは、「ジェネラリストとスペシャリストは両立するか」という命題だった。私の結論は、「人間には限界があって、両立は困難。無理に実現しようとすれば人として存続できなくなる」である。
30年かかって、ようやくここにたどり着いた。長い参加型調査だった。
気がつけば調査対象は、まさしく「自分自身」であり、その証左も自分自身だった。

そして後年、私は、まさしくその「有期雇用の非正規従業員」となるのだった。

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