tsudax99
「気づき」と「見える化」と「仮説」と・・・経営改善指導への一提言


(2) 気づき: 「こだわり」が「気づき」の障害となる

「気づき」は便利な言葉だが、経営指導員はその便利さに甘えてはいけない。

  経営力と呼ばれるものが何であるか知らないとしても、事業につまずく経営者に一定の傾向があることはわかる。一言で言うなら「こだわり」だ。
しかし、どんな経営者でも、事業に対する「こだわり」は持っているし、自分の仕事に何の「こだわり」も持たないようなら、とっととその仕事を辞めた方がいいと思う。
  それでは「こだわり」なるものが何なのか、もう一度、確認してみよう。
「ウチの“バカ息子”がね...」という話をする上司がいたとしよう。その上司が、たまたま息子さんを会社に連れてきた。そのときに、「ほぉ〜、この方が自慢のバカ息子さんですかぁ」と、うかつにも言ってしまったなら、「バカとは何だ、バカとは」と、かなりの剣幕で怒鳴られる可能性は高い。
  家族が入院した。「率直に言って、ご主人は余命○か月です」と医者に言われたとしよう。告知された妻は、「他の家ならともかく、ウチの主人は必ず元気になって戻ってきます!」と断言するだろう。
ここでいう<ウチ>という差別化こそ「こだわり」である。そして、こだわりがあると、客観的な判断が難しくなる。
およそ経営者というのは「こだわり」の強い人が多い。
そして、「こだわり」の対象は<わが社>ということになる。
  先の例に当てはめればこうなる。
「ウチの“貧乏会社”がね...」という話をする経営者がいたとしよう。その経営者に対し、出入りのコンサルタントが、「いつもおっしゃっているように、貴社の資産は底をついています」と、うかつにも言ってしまったなら・・・社長がよほど心の広い人でない限り、解任される。
どう見ても、経営が行き詰まっている会社があったとしよう。コンサルが社長に「今ならまだ間に合います」と、M&Aを持ちかければ、「他の会社ならともかく、ウチの社はきっと立ち直る!」と断言するだろう。
企業経営者は、かかるごとく「こだわり」が強いわけではあるが、それは“経営者”としてトップに立つ上では、必須の資質ともいえる。
むしろ「こだわり」のない経営者は、早期に経営権を放棄すべきかもしれない。しぶしぶ親からの相続で会社経営を背負わされた二代目社長などには、そういう人がいると思う。
統計によれば、起業したい人が100人いれば実現できるのは6人「100人→6人」/そのうち、2人は1年で廃業「6人→4人」/残った4人のうち、3人は10年以内に廃業「4人→1人」。
つまり、企業を志す100人の者のうち、わずか1人だけが、10年企業を維持できるということになる(出典:だから会社が儲からない! 嶋津良智 日本実業出版社)。
事業活動に死にものぐるいで入れ込んでいないと、企業は維持できない。
   そこで「気づき」だ。
「気づきを促す」というのは、私たち相談を受ける側からすると、たいへん便利な言葉である。
私はかつて労働相談を担当していたが、相談内容によっては、答えの根拠がはっきりしていることもある。例えば、「有給休暇を従業員に与えないと労働基準法違反になりますよ」といった類だ。この場合、まぁ、回答はストレートでOKである。
ところがだ。“経営”というものは、そんなに単純なものではない。
経営には、はっきりした準拠先の法律や判例がない。企業の置かれた状況は千差万別なので、決め手となる虎の巻もない。
経営判断はあくまでも経営者が決めるべきものであり、結果の全責任も、経営者が背負うべきものである。
そんな事象について、赤の他人が「経営指導」なんてことを簡単にできるわけはない。するべきでもない。
  とこがだ。岡目八目のことわざもあるように、第三者の方が、当事者の状況を客観的に見ることができることが、ままある。
しかし、あーせい、こーせいと直接に指示することは御法度である。
「あのとき、あんたの言うとおりにしたら、こんなことになった。責任取れ!」と言われても、責任は取れない。そう思うとアドバイスできる内容も限られてくる。「もう一歩二歩踏み込めるのだが、相手がこの経営者では、自信がなくてとてもできない」という経験は、多くのコンサルがお持ちだろう。
だが、もし、相手の経営者を「気づき」に導ければ、残念な結果になっても、責任を負うことはない。そういった事情をよくよく心得たコンサルにとって、「気づき」とは魔法の呪文なのだ。 
  とはいっても「気づき」に頼りすぎるようになると、「経営指導員は何の役にも立たない」とレッテルを押されてしまう。
経営者は企業経営のプロであると同時に、人物評価においても専門家なのだ。その場で丁寧なお礼を言われたことに気をよくしていると、二度と声をかけてもらえなくなる。
「話は親切に聞いてくれるんだけどね。ただ、それだけなんだよね」――、これは私に対する評価である。労働相談をやっていたときに、相談者が私のことをそう言っていたと、聞かされた。
役所の場合は、そこそこ限界もある。根拠無く公権力を振り回すことはできないからだ。
それゆえ柔軟な対応が必要な経営相談は、民間人である経営指導員や中小企業診断士に任せている。その民間が、役所チックな対応をしているなら、そんな相談窓口はいらないということになる。
  このため指導員側には、高度なシナリオ作成能力が求められる。
労働相談をやっていた頃、後進には「労働法を勉強する前に、刑事コロンボを見ろ」と薦めていた。結末は最初から見えている。その結末へ導くプロット(脚本)をどういう風に作り出せるかが大切だ。しかも、コロンボは犯人との間の「計算され尽くされた偶然」の積み重ねで、それを実現させている。
それこそが、相談を担当する者のシナリオ作成能力だと思う。


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