tsudax99
「気づき」と「見える化」と「仮説」と・・・経営改善指導への一提言


(6) 気づき: 治にいて乱を忘れず

会社にも、商品にも寿命がある。

  「気づき」の項も、ようやく本題にたどり着いた。
『治にいて乱を忘れず』の出展は易経であるそうだが、出典がどこだなんてことはあまり意味はない。『好事魔多し』だって、概ね同じような意味だ。
  ついこの間まで続いた「いざなぎ越え」の経営上昇の中にあっても、中小企業からは「景気回復の実感が感じられない」という言葉ばかり聞こえていた。実際、この間に大企業と中小企業との間の収益構造の格差はかなり開いた。しかし、現在、その大企業もサブプライムの波をもろに受けている。
その前はどうだったかというと、聞き覚えのないIT企業による会社買収が話題だった。その凋落は、周知のとおりだ。
その前は、失われた10年と呼ばれた低迷期である。
その前は、バブルの宴とその崩壊。
その前は、やはり景気低迷で、その前は「追いつけ追い越せ」の高度成長だった。
このように、時代は変わっていく。新しい企業が生まれ、そして消えていく。
  一般的に、企業の寿命は30年と言われる。そうだとすれば、一代保たない。
中には30年以上持続する会社もあるが、そんな企業でもしっかりと後継者を育成しなければ「売り家と唐様で書く三代目」という結末になってしまう。
  今は、多くの企業が大変な状況になっている。「治にいて乱・・・」なんて話を持ち出せば、「運転資金を借りられなければ、従業員の給料も払えなくなる状況なのに、なんて悠長なことを言っている!」と怒鳴られるのがオチだ。
とはいうものの、「治にいて乱」も「唐様で書く」も、昔の人が残した「気づき」の教えであり、その教訓は今も錆び付いていない。
眼前の課題を解決することも必要だが、そこにこだわり続けると、気がつかないうちに致命傷を受けていることもある。だから、企業の経営者には、時に一歩二歩引いて、自社の経営が本当にこれでいいのか、見直してほしい。
  あるビジネス誌に「こんな会社が嫌われる」という特集が組まれ、某一流カメラメーカーのサービスが最下位とされた。そして、その企業は、翌年、サービス1位に返り咲いた。
「当社のアフターサービスが他社と比べてどういうレベルにあるかを関係者が知らなかったことこそが、一番の問題だと気づいた」ということである。ビジネス誌に特集が組まれなければ、そのまま気づかなかったことになる(出典:顧客はサービスを買っている 諏訪良武 ダイヤモンド社)。
  有名な逸話だが「ユデガエルの実験」というのがある。
生きたカエルを水に入れ、少しずつ温度を高めると、ぬるま湯状態に馴れてしまい、やがては煮詰まって死んでしまう。いきなり熱湯に入れると、あまりに熱いので、飛び出してしまい、結果的には助かる。
生きたカエルを熱湯に入れた場合と水から煮た場合とで、どちらのカエルが助かるかというものだ。
これを比喩として、「状況がゆるやかに悪化する時、組織は『ゆるやかに悪化してゆく状況』に適応してしまう」という仮説が導き出された。(出典:変革のマネジメント 学習院大学教授 内野 崇 生産性新聞 2006.9.15)
最初に申し上げたように、どんなに優秀な経営指導員であっても中小企業診断士であっても、経営者の領分にずかずかと上がり込んでいくことはできない。
経営は、あくまで経営者が決定し、結果の責任を負うべきことなのだ。
  では、経営者が何に気づかなければならないか。
私は「現場力の衰退」だと思う。


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