仮想戦記 『東海道鉄道株式会社』
著者 文音
第04話
安政二年 1855年五月十五日
シャンゼリゼ
「只今をもって、朕ことナポレオン三世が第一回パリ万国博覧会の開催を宣言する」
「パリについてからというもの、我々二人がしたことは、家庭教師について仏蘭西語の習得であった」
「私は、先に蘭語を習っていた下地がありましたが、渋沢様はどうでした」
「仏蘭西語を話せる人をフランコフォンと呼ぶそうだが、アルファベをみながら、発音をする難しさと名詞に男性、女性形まであると、ものの名前を覚えるのでさえ、おぼつかんな」
「それでもこの街は仏蘭西語しかございません。我々が買い物に出かけますと、きちんと発音しなければものを売ってくれませんでしたから」
「今となっては習得が早くなって感謝するが外国人に冷たい街だと思ったものだ」
「さて、広よ、蒸気機関や蒸気船が実物大で展示されているから見学に行ってこい、といいたいのだが。どうやらそうは問屋がおろさんようだ。一人が織物問屋を担当しておればいいとおもっていたのだが、もう一人はどうやら若様の置き土産を監視しなければならぬようだ。」
「さて、仏蘭西人にどうやって江戸日本橋の説明をするかな。広よ、任せたぞ」
「はい、葛飾北斎の描いた『富嶽三十六景』の説明をするために、ここフランスでの絵具の名前『フェロシアン鉄V』の名称まで調べてきました」
「後は、日まくりに江都駿河町三井見世略図になり三十六日目に身延川裏不二を見せたら初日に戻るのでよろしいですね」
「後、これが版画であること。非売品であること。で、作成年度は説明できるか?」
「西暦にしますと、今世紀の三十一年から三十五年です」
「それだけで下準備は十分であろう。後は、盗まれないようにしないとな」
「ジャポンとはきいたことのない地名だな。はて、冷やかしに入ってみるか」
「こ、これは。青の洪水だ。今の写実主義にはない真新しさだ。急ぎ、同級生にも教えてやりたいが、売りものか?」
「おい、これは売りものか?」
「ノン、非売品です」
「これは期間中、ずーーと展示されておるのか」
「これは、三十六枚でひと組となっております。ゆえに明日展示される版画と今日展示される版画は別物です」
「なんと、この作品群を全て見ようとしたら一月の間ここに通ってこいということか。なんと金のかかることだ」
「ちなみに作者は生存か?」
「故人です。六年前に亡くなりました」
「そうか、彼の作品は生み出されぬか」
「作者、北斎は達筆な人でした。作品数は三万とも言われております」
「それを見たいのだが、手段はないか?」
「半年間はここにある三十六枚限りです。ただいま、本国に連絡をして急きょ、彼の作品を取り寄せております」
「私が直接赴いたら早くならないか?」
「ムッシュ、清という国をご存知ですか」
「ああ、極東の大国で、シルクで有名な国だ」
「ムッシュは、そこまで旅をする覚悟はございますか」
「なるほど、印度より遠い国であったか、そこまでいく金がない」
「でしたら、半年後にやってくる船をお待ちください。皆さまに見てもらう方法を考えております」
「うむ、ご丁寧な説明に感謝しよう」
「あーーあ、今日限りならば写真を撮ってでも残すべきか。いや、この絵を白黒にしたところで迫力の半分も伝わらない。とりあえず、時間の許す限り記憶に残そう」
巡回中の衛兵
「おい、あそこの展示場、えらく人があふれておるではないか。少しのぞいていくか」
「ああ、日誌に本日の留意点という形で書いておこう」
「お主がここの代表者か?」
「はい、渋沢と申します。衛兵の方ですか?」
「そうだ、なにかものすごいものを展示しておるのか」
「皆さん、一枚の絵の前で釘づけになっております」
「そんなに価値あるものか?」
「いえ、我々の認識ではそんなことはなかったのですが、後、期間が半年ございます。主催者にこの版画の警備をしてもらう者を斡旋してもらわねばならないようです」
「うむ、我々からそう上奏しておこう。博覧会の中で警備をする価値があるし、閲覧をしている人をときにはさばく必要があろう」
「はい、こちらからもよろしくお願いいたします」
「閉館時間となりました。忘れ物がないようにお帰りください」
「ぞろぞろぞろ」
「皆さんやっと帰ってくれましたね」
「明日からは、広は私の交代要員にしたかったのですが、どうやら富嶽三十六景の解説の方が忙しそうですね。今日は何とかなりましたが、明日からは閲覧時間を制限しなくてはならなくなるかもしれません。少なくとも、縮緬の商談の妨げになるのを防がなければなりません」
五月十六日
「この万国博覧会に絵画を五枚出展しているのだが。友人が言うには明日はぜひジャポン展を見てこいと言うので、開始時刻直後に来てみたんだが、すでに長蛇の列ができておるではないか」
「よう、ジャン。君も一枚の版画を目当てでここに来たのかい」
「ああ、写真ができて以来、このまま肖像画を手掛けていたところで、『はい、座って。にっこり、はいできました』というようになると画家を廃業するものが出てくるようになるだろうという危惧をいつもしているんだが、お目当てのものはその懸念を吹き飛ばすような色遣いなんだって?」
「ああ、初めてみる多彩な色遣いをした版画さ。対象を正確に写していた写実の時代は時代遅れといわんばかりの作品だという噂だ。もっとも、作品は三十六枚あるそうだ。今日初公開という作品さ」
「ほう、もうそんな話が回ってるのかい」
「ああ、実物を見たらひと眼で虜になるさ」
「ああ、友人が言ってた通りだ。プルシアンブルーを使った山の風景と凧をあげている対比がすごいな」
「ああ、明日も富士山という山をモチーフに三枚目の作品が展示されるそうだ」
「俺は出展者だから明日も来る」
「もしかして三十六枚すべてを見るつもりかい?」
「当然さ、この絵を手に入れられないのか?」
「版画だから刷った数だけあるそうだが、この作品は英国にもない、ジャポン以外ではここパリにある一枚限りだそうだ」
「いつ、彼の他作品を見れるのか?」
「半年後だ、この人気ぶりさ、きっとオークションにかけることになるだろう」
「全ては無理だろうが、一枚ぐらいは手に入れてやる」
「それはできるだろう。北斎の作品は三万点あるそうだ」
「おお、今日一番の収穫だ」
「喜んでいいのか。縮緬の商談をしにきてくれた名刺よりオークションなるものを薦めに来た名刺のほうが多い」
「明日からは、警備員に頼んで時間を限って巡回するように閲覧してもらうことになりそうです」
「それと保険なるものを勧められた。これを盗まれたら仏蘭西の損失であるから是非当社の盗難保険にお入りくださいとね」
「はいるんですか?」
「これも西洋の仕組みを知る上で助けとなろう。入っていないで盗まれたら切腹をせねばならんと脅迫されそうな気がしてな」
「えーえ。非売品という言葉を一番使いましたねえ」
五月二十一日
シャンゼリゼ通りのカフェ モンブラン
「おい、万国博覧会に行ったのかい」
「いったさ、蒸気機関車に蒸気船の実物展示をみてきたさ」
「どこが人気があったか」
「たしか、ジャポンの展示がすごかったよ」
「なにがすごいんだって」
「一枚の版画。多色刷りという画期的な手法が本邦初公開さ」
「で、いつ行ったんだい?」
「三日目の日さ」
「ほう、その日の富士山は何色だったかい」
「もっ、もちろん青さ」
じーーじーー。
「あれ、みんな固まってどうしたの」
東都駿台の富士山は白いんだがなあ。こいつ、ただのほら吹きか
六月六日
「明日から縮緬部門の商談は中止する」
「あれ、うまくいってないんですか」
「いや、うまくいきすぎている。縮緬を作っているのは丹後と近江にしかないんだが全て家内手工業。いいかえると、雪に閉ざされる冬の間におこなわれる副業扱いなのだから生産量は限りがあるし、急な増産はできない」
「つまり、売りものがなくなったわけですかい」
「あーーあ。若様がおいていった富嶽三十六景がものすごい販促だから、興味ある織物商は早々と版画を見たついでに商談をしていったよ。生糸もこれ以上売ったら、日本人が買う分がなくなる」
「はあ、すごい人気ですねえ。北斎、わしらにしたら北斎の作品といえば、北斎漫画であり、茶碗をつつむ緩衝材にしているんですがねえ」
「おい、もしかしてそれはあるか?」
「手荷物の中に一枚あった気がしますが」
「すぐさま、探し出してこい。欲しいものが買えるかもしれんぞ」
「は、はい」
「あの、茶碗を包んでいたんで、そのしわくちゃなんですが」
「あったか、広よ、それをオークションに出してみぬか」
「それは、かまいませんが、オークションに出すような価値あるものですか」
「ああ、十分価値はある。これがフランスに一枚しかないという希少性。万博で北斎の名は一気に世界の名声を得た。なのにここにあるものはすべて非売品だ。そこに一点しか売りものがないというのは、収集家の心をくすぐらずにはいられないし、世界の注目を集めるオークション会場で世界の金持ちが競うのだ。ひょっとするとクロノメーターが買えるかもしれないぞ」
「へえ、そんなにするんですかい。狐に化かされたつもりで渋沢様にお預けいたします」
六月十日
カフェ モンブラン
「おい、北斎漫画を見たか?」
「みたみた、さすが巨匠だ。スケッチからしてすごい。ジャポンの生活が手に取るようにわかる」
「で、ここからがまた巷の話題を独占している『遠く海を越えてフランスに偶然たどり着きし一品。陶器とともにやってきたばっかりに船員はそれを忘れてしまい、グシャクシャにしてしまったそうだ。しかし、万博での北斎人気を知った代表者にぽろっと漏らしたばっかりに脱兎のごとく取りにいかされ、旦那持ってきやしたぜとほうりなげたそうだ。そしたら代表者は絹をつかむようにゆっくりと受け取ったそうだ』」
「今月いっぱい富嶽三十六景の隣に展示されているが、来月一日にオークションにかけられるそうだ」
「船員が慌てふためいたというのは、価値がわからんせいだよな」
「ああ、西洋に一品しかないという希少性。北斎の名声。たとえ、ぐしゃぐしゃになっていようがそれはその北斎漫画の履歴をもたらす物語性」
「宝物というものはやはりそのようなエピソードがなくてはなあ」
「『代表の者がクロノメーターがお主のものになるやもしれぬぞ』といってもそんなうまい話はありませんよと否定したそうだ」
「で、実際いくらになるかなあ」
「クロノメーターより高くなるのは確実だろう」
「なるな。だとしたら、誰がほしがるかだよな。万博の話題を独占したプレミアムがつくから、蒸気機関車が買えるかもしれぬ」
「後、この作品は北斎がこの世界で初めてオークションに出された逸品です。という解説文をかきたい美術館は五万といるぞ」
「いるいる。初ものにつくプレミアムもすごい」
「大英博物館にルーブル、メトロポリタンというアメリカの美術館構想の目玉に引っ張って行くかもしれない」
「いやいや、これは仏蘭西人が落札するでしょう。西洋初お目見えの北斎をアメリカや英国にかっさわられたらメンツが丸つぶれだ」
「しかもパリ万博展示作品という万人に見せたということになれば、国粋主義者ならずとも落とすしかないでしょう」
七月一日 オテル ドウルオー
「チンチン、只今をもちましてピンクダイアの入札を終了いたします。つづきまして、本日最後の出品は西洋初お目見えの北斎作品、北斎漫画という版画一枚。遠くジャポンから海を越えてやってきたこの版画は、パリ万博で北斎派とも言うべきグループを巻き起こした北斎初お目見えの作品。もうこれ以上は必要ないでしょう。日々、パリの街角で話題になった作品ですから、一千洋銀から始めます」
「二千」
「三千」
「四千」
「六千」
「八千」
「ついに大台の一万があがりました」
「おう、これでクロノメータ―が三台買えるぞ」
「一万五千」
「へ、あんなに寛の欲しがっていたものが茶碗の緩衝材で買えるんですかい」
「二万」
「何を言う。これは手数料を除いたら全てお前の金になるんだぞ」
「二万五千」
「ちなみに渋沢様、小判にしたらどのくらいで」
「三万」
「今のところで千八百七十五両だ」
「千両より多いんですかい」
「三万五千」
銀塊にして日本に持って帰ったら一万両になるとは今は言えんな
「四万」
「四万二千」
「四万二千でありませんか?」
「四万五千」
「四万六千」
「四万八千」
「五万」
「五万一千」
「‥‥‥」
「チンチンチン。五万一千洋銀で北斎漫画が落札されました。落札者は三日以内に落札額の一割、五千百洋銀を手付として支払わねば落札者の権利を失いますのでお忘れなきようお願いいたします。」
「パチパチパチ」
「あ、あの、千両があっしのものになったんですかい」
「ああ、千両が三つできた」
「ど、どうしましょう」
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