仮想戦記 『東海道鉄道株式会社』
著者 文音
第05話
安政二年(1855年四月十五日)
観光丸
「若様、急ぎ帰国となりましたが帰国が目的ですか?」
「いや、渋沢から連絡が入った。富嶽三十六景を売ってくれという商談がひっきりなしでくるそうだ」
「そうですか、北斎の富士山ですか。確かに東海道を歩きたくなるいい作品ですねえ」
「で、この船で帰国したら古紙回収業者から古物商まで話を通して北斎の作品をあるだけ船に積んで渋沢のところに送り、売るつもりだ」
「では、東海道五十三次も送るんですか」
「歌川広重はまだ在命であったか?」
「高齢ですが、在命ときいています」
「ま、百文かそこいらで手に入るものだ。手に入るだけの浮世絵を観光丸に詰め込んでまた仏蘭西まで航海してもらう」
「他には載せないんですか」
「もちろん、生糸に縮緬も載せる。後は、彫刻も載せるかな。売りに出ている仏像も送ってしまおう。売れなければ渋沢が毎日拝んでくれるだろう」
「日本刀に有田焼は載せないんですか」
「それもいただき。ただし、名目は観光丸の習熟訓練とすれば問題なかろう」
「載せているのは、美術品ばかりになりそうですが」
「さて、万丈よ。渋沢が帰国するまで我の会計係を任命する」
「承りました。ですが、給金はどうなりますか?」
「そうだな。渋沢と同じ分でよいかのう」
「ま、手が空いてるのは自分だけですよ。寛も満も辰も一対一で子弟教育を受けています」
「楠はどうした」
「楠は、アムステルダムの海軍病院で研修生扱いです。仏蘭西と阿蘭陀にそれぞれ一族が一人残りました」
「さて、帰国するまでにスエズ運河の建設工事に人と金を送る約束をしたのだが、どうやって承認を得るかだよなあ」
「豪商を回って、口説き落とせばよいのではないでしょうか」
「それしかないのかなあ。しかし、仏蘭西との交渉で丘蒸気も走らせたいんだが、なにはともあれどこから金をつくるかな」
「人員は日本中の藩から集めればよろしいではないでしょうか。西洋の進んだ機械に触れれば自発的に参加する連中もいるでしょうし、藩から鼻つまみ者を出してくることもあるでしょう」
「騒ぐやつがいれば、藩内から出ていかせたい奴というわけか。京に上って尊王攘夷、尊王攘夷と駆け回るやつをスエズに送ってやることにしよう。そこでじっくりと人間観察をし、心からその志が美しい奴を見極めてやろう」
「スエズで極限を体験させるわけですねえ。少なくとも途中で投げ出さない奴なら根性だけはありそうですねえ」
四月二十五日 下田亜米利加領事館
「ミスター堀田、いつまで我々を待たせるのです。日本は、清国のようになりたいですか」
「ハリス総領事、そんなことはありません」
「大英帝国に騙された清国は、アヘンが蔓延しそれをとがめたところ、清国と大英帝国はアヘン戦争をすることになりました。結果はご存知ですよね」
「清が負けて、香港を失いました」
「そうです、そこです。このまま、通商条約を結ばねばそれを理由に大英帝国は次なる標的として日本に宣戦布告しますぞ」
はあ、日本の総意は、このまま現状維持だ。しかし、英国に攻められたら勝てそうにない。しかし、俺が条約を結んだとしたら、老中連中は俺が通商条約を結んだといいはるだろう。そうしたら、尊王攘夷のやつらの手で俺の首がスパンととぶだろう)
「わかりました、すぐさま、江戸城に戻り協議をいたします。その結果をもってもう一度やってきます」
「こんどこそ、良い返事を期待していますぞ」
「それはもう」
「バタン」
「ハリス総領事、今度は期待できそうですか」
「最初は、奉行所の下っ端。それを追い詰めたら、奉行。それの後に来たのが若年寄。そいつを脅しあげたら、やっと老中だ」
「その上はあるんですかい?」
「その上は、ジェネラルということだがどうやらおつむが弱いやしい。いわば、老中という閣僚が最終決裁をしているわけさ。もう日本人の好きな責任逃れができなくなってるわけよ」
「では、次に来たときは、念願がかなうかもしれませんねえ」
「エッホ、ホイサ」
なにかないか、今は誰かに責任を押し付けるだけで構わん。宿老の責任を押し付けれるのは徳川宗家か天皇か、二者択一か)
四月二十六日 江戸城
「堀田殿、どうなされましたか」
「これはこれは、松平伊賀守殿、どうにもハリス領事の要求が厳しくなってきましてね。次に交渉に向かう時には、承認せざるを得ないかと悩んでいるわけでして」
「それは、困りましたねえ。誰かに押し付けるわけにはいかんのですか」
「二択ですかね、天皇の勅令を受け取ってくるから京に出向いてくるというか、徳川宗家のいわば、将軍家の承認を受けてきたというか。そうすれば、後一回ぐらい引き延ばせるかと」
「でしたら、私個人の考えですが、二人の十四代目候補のうち一人に交渉を押しつけてみてはどうですかな」
「徳川宗家に全権委託大使をさせるのですか。しかも条約を結んでしまってもやむなしとし、引き延ばすことに成功したところで痛くもありませんから」
「なるほど、その方法があったか。来月は、徳川宗家の帰国をもって全権委任大使に任命したといってやるわ。さすが、伊賀守」
「そうときまれば、今度の会合までに根回しをしておかねばなりませんな」
五月一日 江戸城
「本日最後の議題だが、亜米利加の要求は日に日にすさまじくなっており、このまま交渉を引き延ばすのも難しくなっておる。で、亜米利加と通商条約を結ばざるを得なくなりつつあります。結ばなければ、戦争を吹っかけられるやもしれません。そこで、取るべき手段は二つ。恥を忍んで京に上り勅命をいだだき、条約を締結するというもの。もうひとつは、徳川宗家に交渉を全権委託するもの」
「その前に確認をしたいのですが将軍に交渉を委ねるのですか」
「いやいや、それは皆さん難しいとおわかりというもの。というわけで、十四代目の候補にお願いするのです」
「それは、もしかして只今国外に出ている者に一任するというわけですか」
「そうです、西洋を見てきた方こそ適任という者です。それ以外に適任者がいれば推薦をどうぞ」
「「彼以外に適任という者はいませんな」」
「では、帰国次第全権委任大使にここで任命状を書いときますかな」
「「異議なし」」
五月二十五日 下田
「堀田め、押しつけよった」
「どうされました」
「堀田は、これ以上逃げれないとふんで、徳川宗家に押し付けおった」
「ほう、それで誰に押し付けたんですか」
「徳川慶喜という若造で、阿蘭陀から船が戻り次第、交渉を始めるとぬかした」
「責任のがれは、日本人の得意技ですなあ」
水戸屋敷
「堀田め、慶喜に責任をなすりつけおった」
「若様が国外に出させたのを逆手にとって西洋を見てきたのだから適任であろうという理屈をこねよった」
「では、我々の思いやりがみごと裏目に出たというわけで」
「あーーあ、船が故障でもして帰国を延ばす事態になるのがよいかのう」
「国内であれば、早馬をたてこちらから便りを出しますに、それもままなりません」
「後は、あやつの能力に賭けざるをえんか」
六月十五日 観光丸
「万丈、お主の見立てでは、いかほどあれば江戸に丘蒸気を走らせることができる」
「アムステルダムとパリを移動した丘蒸気のことですが、距離によって価格が違うと思います」
「それはなにゆえ?」
「仮に丘蒸気を十台購入したとします。後、始発の駅と執着の駅とは固定費で変化しません。そうですねえ、これが三百万洋銀でしょうか」
「ふむ、それはそうかもしれん」
「そして、途中に駅を作れば駅舎の数だけ、鉄でできた線路の距離が長くなればそれだけ費用が増すというものです」
「そうか、いわれてみれば我の質問の仕方が悪かったかもしれん。では、東海道に丘蒸気を走らせるとしたらどうだ」
「若様、問題となるのは二つございます。一つ目は丘蒸気を運転する者と線路をひくものにあてはございますか?」
「ない。だいたい経験者がいない」
「でしたら、仏蘭西あたりから技術者を雇わなければなりません。少なくとも線路を建設する者と船の場合は機関士といいますが丘蒸気でもそういいますかわかりませんが仮にそうだとします。丘蒸気が十台なら機関士も十人必要でしょう。かなりの給金がかかりますねえ。仮に十一人で千五百両ほどでしょうか」
「高い。しかし、仏蘭西から来てもらうとしたらそれほど必要か。むむ、金がかかるぞい」
「二つ目は、石炭の確保ですねえ。全部、海を越えて購入しますと、これもばかになりません。ただし、これは筑豊に炭田があったような気がいたします。瀬戸内の塩田作業に石炭を売りに来ていた気がします。これが使えれば少し経費が少なくなります」
「それはよいことを聞いた。国内にあるならそれを使ってみようぞ」
「しかし、いきなり東海道を走らせますと整備の者たちも手が足りなくなるかと」
「むむ、それをいうな。では大幅に妥協する。日本橋を起点とするのは変更なしだ日本橋と名古屋ではどうだ」
「幕府がひっくり返るかと」
「なに、まだ妥協せよか。駿河と日本橋だ」
「幕府の転覆が五年延びましたなあ」
「むむう、日本橋と小田原」
「徳川御三家と駿河一国を商人に召し上げられてもよいというなら」
「ええーーい、少しは色を見せよ万丈。日本橋と戸塚でどうだ」
「洋銀にしますと三千万ですかね」
「小判にしたら八百万か。たしかに、これ以上となると幕府が傾いてしまうわ。元手がないとできんことよのう」
「とりあえず、幕府が独占している貿易でどうにかなりませんか」
「それをいうな、今、江戸城の蔵には借用書しかない」
「でしたら、優先順位は、スエズ運河に対する資金と人員の確保が上ですなあ。若様が仏蘭西の皇帝陛下に啖呵を切ってしまいましたから」
「それを肝にしまっておく。我は帰国したら御用商人廻りと殿への相談よ」
「しかし、少なくとも鉄道をひくのに節約できることはあろう」
「線路の設計は仏蘭西人に頼むとして、機関士を日本人で置き換えれれば、千両が節約できるかと。後は、日本で石炭を掘り出して指南役に合格をもらえればよいかと」
「よし、日本から仏蘭西に機関士候補を十五人ほどおくりだすことにする。仏蘭西に石炭の見本をおくりだす。見つかり次第、掘って掘りまくるのじゃ」
「石炭は、船でも使用いたします。これは反対する者はいないでしょう。しかし、機関士はどこから求めますか」
「侍からではいかんのか?」
「石炭を扱いますから全身煤まみれになります。言っては悪いですが、支配層にある武士が煤で真っ黒になってもかまわないから機関士になるという方がいるか疑問です」
「そうか、これは宿題よ。スエズ運河の問題が片付くまでに考えとくわ」
七月一日 水戸藩江戸屋敷
「殿、只今帰国いたしました」
「よくぞ無事に戻った。といいたいところだが、幕府より慶喜宛に任命状が届いておる。至急、開けてみるがよい」
「ははっ」
徳川慶喜殿
こたび、幕府は貴殿が西洋を歴訪してきたその知識と勇気に敬意を払い、亜米利加との折衝にあたる全権委任大使に任命いたす
幕府
「ほう、阿蘭陀と仏蘭西に十日いただけでこんな役が回ってきましたか」
「で、慶喜、いかがいたす」
「拒否権はないんですよね」
「お主の代わりとなると将軍とその跡取りしかいない。朝廷に勅令を慶喜自身の手で取ってくるか。将軍に押し付けれぬだろうしな、徳川宗家として命じられたものだ」
「で、私が仮に条約を締結いたしますとどうなりますか」
「尊王攘夷を唱える輩からは目の敵にされようぞ。万が一の場合、暗殺もあり得る」
「条約を亜米利加と結ばぬといった場合どうなりますか」
「その場合、亜米利加もしくは英国との戦争もありえる」
「一日、考えさせてください。明日、江戸城に登城いたします」
「うむ」
七月二日 水戸藩江戸屋敷
「殿、孫氏曰く囲魏救趙と申します。この策を用いて亜米利加と対峙してみたいと思います」
「具体的にはどうするのだ」
「亜米利加の土壌で戦うのがよくありません。亜米利加が攻めてくるならば、これと正面からぶつかっても相手の思うつぼ。では、我々は、仏蘭西という国に守っていただければ亜米利加は少なくとも攻めてくることはないでしょう」
「どうやって、仏蘭西に参加してもらうのだ?」
「仏蘭西は我が国に土木工事の参加を要請しております。いうなれば、これに参加すればいうなれば同盟国扱いしてくれるやもしれません。少なくとも我々の味方になってくれるでしょう。そうして、それでも亜米利加が納得しないのであれば、仏蘭西に策を問えばよのです。少なくとも同等以上の戦いはできます」
「なるほど、利でこちらの味方をつくるんのか。さて、お主は全権を依頼されたのだ、好きにやってみよ」
「ははっ」
江戸城 本丸御殿
「将軍の御前である。一橋慶喜、そちに亜米利加との外交折衝をいたす全権大使としてここに任命いたす」
「ははっ、承りました」
「全権大使として必要なものがあれば申してみよ」
「まず、幕府の方針をお聞きいたします。通商条約を締結するのでしょうか、それとも交渉決裂でしょうか」
「宿老からお答えいたそう。そちの方針が幕府の方針である。全権を文字通り委託する」
「では、必要なものを申し上げます。二十万両の小判と一万人の人夫」
「理由を申してみよ」
「外交の基本は、遠好近攻と申します。亜米利加という近くの敵を相手にするには、遠くの味方をつくらねばなりません。幸いなことに仏蘭西という欧羅巴の大国がスエズ運河建設にあたり、我が国に援助を求めてきております。この機会に仏蘭西という同盟の傘に入れば、亜米利加は日本を攻める愚を犯さないでしょう」
「それでは、貴殿が申した金銭と人員はこのスエズ運河建設に必要とするものであるといいたいのだな」
「その通りでございます」
「もう一つ聞きたい。仏蘭西と関係を結んだ場合、通商条約はどうなるか問いたい」
「十年の猶予を願い出るつもりです。我が国の状況では通商条約を結ぶには時期尚早と考えております」
「なるほどと思わせる策である。では、この策を用いるにあたって人員と金にめどはあるか」
「人員は、二通りの人間が集まるはずです。積極的に国外を見たいという人間が第一。第二は諸藩の持て余し組ですな。京や城下町でぶらぶらとしているメンツであれば、厄介払いができたと諸藩は快く送り出していただけるでしょう」
「それは多くの賛同を集めるであろう。では、金にあてはあるか」
「西洋では、商人にも年貢を課すと申します。このまま通商条約を結べば、商人にも売り上げの一割を年貢として納めねばならなくなるであろうと申し出てください。来年から御用商人は、売り上げの一割を税として納めるようになるもよし、通商条約締結まで猶予される策があると申しつけるのもよし、さすれば二十万両が必要であると申しつけるのです。こちらは仏蘭西におさめる二十万両が集まればどちらでも構いませぬ」
「お主の策を取り上げよう。金と人員はいつまでに必要じゃ」
「今年中に仏蘭西に届けたいですから、出発はその三か月前。九月末がその期限でございます」
「お主のいうものを九月末までに用意いたそう。ところで通商条約を結ぶ場合の有利と不利をお主の見識で教えてくれぬか」
「此度の事態を招いた最大に理由は、世界を知らぬことです。英吉利と亜米利加、仏蘭西、露西亜、阿蘭陀、独逸といった強国自体を知る者がいないほか、強国同士の関係を知っておればこちらから仕掛けることができたでしょう。百戦危うからずとなすためには、敵国のことを知る者が必要でしょう。具体的にはハリス領事のような立場の人物をそれらの国に送り込めばよいのです。次に強国を強国たらしめる進んだ兵器や装置を鎖国しているために所持しておらぬことです。これらのものは通商を結べば貿易という形で手に入れることもできるでしょうし、技術を習得できるでしょう。以上有利な点ですが、小国がいきなり開国すれば、大国に振り回されます。日本にないものを国外から買いますと売り物がない限り、金銀が流出してしまい庶民は貧窮いたしますでしょう。今回、通商条約を結ばぬ理由はこれにあたります。猶予された期間で国外に人材をおくりだすとよいかと」
「お主の申すものを用意することを約束しよう。そして、ハリス領事と交渉に及んでくれ」
「ははっ」
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